力に任せて押し開けた扉の隙間から私は廊下へ飛び出した。縺れそうになる足を必死に引きずり、はしたなくも家の中を走る私の後ろで扉が大きな音を立てて閉まったのが聞こえたが、振り返る余裕は残されていなかった。
早く、早く。きゅうきゅうと切なく体を責める衝動を必死に抑える。体が揺れるたび、ちゃぷちゃぷと水の揺れる音が聞こえている気がする。水音は私を内側から急き立てるけれど、思いとは裏腹に体は全然前に進まない。広い家の長い廊下をこれほどまでに恨んだことはないだろう。はやく、はやく、はやく。
必死の思いでたどり着いたその場所の扉を引き開ける。重厚な扉がぎいぃと鈍い音を立てる。扉の隙間から待ち望んだものが見えた瞬間、水音は今まで以上の衝動を体に与えた。ぷくりと膨れた下腹部に添えられていた右手が、思わず水音の出口をぎゅうと押さえつけた。左手で重い扉を引っ張ったまま、隙間から体を滑り込ませるようにその中に入った。右手は内側から攻めたててくる衝動を少しでも逃がそうとして、ぎゅうぎゅうとそこへ押し当てられている。はしたないとはわかっていたけれど、手を放せばその瞬間、私は衝動に負けてしまっていたことだろう。
目の前にあるのは、待ち望んだトイレ。待ち望んだそれを見た瞬間、体は勝手に待ち望んだ行為を始めようとしたようで、私は今まで以上の尿意という名の衝動に襲われた。きゅううぅと下腹部が切ない衝動を与え、溜まりに溜まった水分を排出せよと私を責め立てる。
「だめ、あ、あっ、だめ、だめっ、あぁあっ……!」
後ろ手にカギを締め、私は両手でぎゅうぅぅとそこを押さえつけながら、足を進めた。一歩、また一歩と白い便器に近づくにつれ、両手で押さえつけたそこは溜まった熱い雫を排出しようと圧力を増していく。
だめ、もう少し、もうちょっと。はっ、はっと息を荒くしながら、これ以上体を刺激しないようにそろそろと前に進む。
白い便器が目の前まで迫った瞬間、じゅわっと足の付け根が熱く湿ったのを感じた。その瞬間、弾かれたように私は動いていた。下着をおろしながら、便器のふたを開けて、便器に背中を向けて。どれをどの順番で行ったのか全く分からない。気づいたときには、ふんわりした便座カバーをお尻に感じながら、全身を駆け抜ける解放感にため息を漏らしていた。
じゅううぅうぅ、と私の中から激しくあふれ出す水音は白い便器を叩き付け、さらに激しい音を響かせる。はぁぁ……っと長いため息が自然と漏れだす。気持ちいいと心の底から思った。
我慢に我慢を重ねたおしっこはたっぷりと時間をかけて排出を終えた。手を洗いながらふと視線を上げる。磨き上げられた鏡に映った自分と目が合った瞬間、今までの行動のはしたなさが一瞬にして頭の中に浮かんできて、思わず俯いた。
トイレから出て、先ほどまで自分がいた部屋に戻ろうと廊下を歩く。こつ、こつという音を耳で聞きながら、その音を鳴らす自分の足を見つめる。どうして私だけこうなんだろう。先ほどから同じ考えがぐるぐると頭を回る。
先ほど自分が押し開けた扉の前につく。戻りたくないが、戻るしかない。震えそうになる手をぎゅっと握りしめ、扉にかけようとしたとき、中から話し声がかすかに聞こえてくることに気付いた。
「相変わらずはしたないわね。お茶会の最中にお手洗いだなんて」
「あんな真っ赤な顔で飛び出していくなんて、よっぽど我慢できなかったみたいね」
「あの子、いつもいつもお茶会の最中にお手洗いに立ってるわね。子供ではないのだから、先に済ませておけば良いのに」
目の奥がじんと熱くなるのを感じた。歯を食いしばって涙を堪え、震える手を押さえつけて、私は重い扉をゆっくりと開けた。
お手洗いから戻った私を彼女たちは笑顔で迎え入れた。その笑顔の裏で何を考えているか、透けて見えるのが辛かった。お茶会は再開したものの、私のトイレで話が中断したこともあり、そこから物の数分でお開きを迎えた。
彼女たちを見送り、自分の部屋に戻る。手入れされたふわふわの布団に倒れこみ、枕に顔を埋める。ぐるぐると頭の中で彼女たちの言葉が回っている。
お茶会は令嬢としてはもはや日常生活の一部とも言っても構わないくらい、よく行われる。何も特別難しいことはなく、自慢の紅茶と茶菓子を振舞いながら、些細な日常会話を楽しむ。それがお茶会。振舞う紅茶と茶菓子によって、その家の品格が感じ取れるのだという。
私はお茶会が苦手だった。礼儀作法やは意識すればするほど空回りした結果になってしまうし、気取った会話は聞いているだけでも耳がかゆくなるのに、ましてやそこに同じペースで加わらないといけない。
そして、何よりも私が苦手だったのはお茶会にて振舞われる紅茶だった。苦手だといっても、別に口に合わないわけではない。濃厚な味わいは、それこそ何杯でも飲みたくなるほどに美味しいと感じられる。けれど、私は勢いに任せて紅茶を飲むわけにはいかない。
どうも私と紅茶は相性が悪いようだった。いや、利尿作用という意味では相性が良すぎるともいえるかもしれない。
紅茶をティーカップに一杯でも飲んでしまうと、私は数十分後には必ず激しい尿意に襲われてしまう。それなのに、私は紅茶のおかわりを飲まないわけにはいかない。お茶会、お茶を飲む会。注がれた紅茶に口をつけ、にっこりと笑いながら会話を続ける。そうしている間にも体に注ぎ込まれた紅茶は私の中で尿意へと姿を変え、私を苛めるのだ。そうなってしまうと、もう会話も作法も頭の中からは消え去ってしまっていて、ただただトイレに行きたいということしか考えられなくなる。
頭の中だけならまだしも、お腹の中には紅茶が作り上げたおしっこが実際にたっぷりと溜まっていて、はやくはやくと私をトイレへと急き立てる。出口へぎゅうぎゅうと押し寄せるおしっこによって、私は椅子にじっと座っていることもできなくなってしまう。スカートの裾を握りしめたり、体を不自然に揺すったり、上を見たり下を見たり。膝と膝はこれ以上無いほどにぴったりとくっつけられて、両足の付け根にあるおしっこの出口が決して開かないように締め付けられている。
そうやって頑張って我慢して、我慢して、我慢しているのに。ある瞬間、おしっこは私の我慢以上の勢いをもって出口へ押し寄せてくる。じゅわ、と足の間に溢れた熱い雫を感じた瞬間、私は弾かれたように部屋を飛び出すのだ。
お茶会の度におしっこが我慢できずに部屋を飛び出す令嬢。彼女達の間では笑い話になっていることだろう。
私だって何とかしたい。したいけれど、どうしようもないのだ。目頭がじんと熱くなるのを感じるとほぼ同時に、ぞくりと感じるわずかな尿意。先ほどあれだけ出したのに、またおしっこがしたくなってしまうなんて。恥ずかしさと情けなさを感じながら、私は部屋に備え付けられたトイレへと向かった。
+++
夕食を終えたあと、自分の部屋へ戻る廊下の途中で、私は真っ黒な人影を見かけた。色鮮やかで豪華な調度品によって整えられたこの屋敷では不似合いな真っ黒な背中。
「アメリア!」
すらりとした細身の長身。呼びかけると、真っ黒なローブを少し揺らして人影はこちらを向いた。ローブのフードを頭にかぶって全身真っ黒な中で、その顔は雪のように白く、美しく整っていた。
白く美しく整った顔の中、真っ黒な瞳が私を捉え、ほんのりと色づいた唇がゆっくりと弧を描いた。
駆け寄ると、彼女はくるりと私のほうを向いた。顔と同じように白い色をした手が私の頭に優しくのせられる。彼女の顔を見上げると、乗せられた手はやはり優しく私の髪を梳いた。
「アメリア、会いたかった」
「それは良かった。……それにしても」
彼女は声に出さず笑う。何がおかしいのかわからず、私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや。忌み嫌われている魔女を見かけて、喜んで駆け寄ってくるのはサユリくらいだと思っただけだよ」
「だってアメリアは優しいから。私、アメリアが一番好きなんだもん。……駄目?」
「駄目なんて言ってない。変わってると思っただけ」
そういって彼女はまた笑った。
すらりとした長身はいつも真っ黒なローブに覆われている。そのローブの中はまた同じように真っ黒な色をしたワンピースを着ている。
雪のように白く、整った顔立ち。その両目は夜の闇のように深く黒い色をしていて、唇はほんのりと淡く色づいている。髪は瞳と同じく真っ黒で、腰のあたりまで真っ直ぐに艶々と伸びている。
普段は顔を隠すようにローブのフードを被っている。アメリアは美人なのだからフードを被らないほうが良いと一度言ったことがある。彼女は私の言葉にありがとうと一言、そしてふんわり曖昧に笑うだけだった。
アメリアは魔女と呼ばれている。その呼称は間違いではなく、私は何度か彼女が魔法が使うところを見たことがある。手にした木の杖でコンコンコンと三度叩くことで、ランタンに火が付いたり、扉が開かなくなったり、破れた服が元に戻ったりするのだ。私からすると魔法で何でもできるように見えるのだけれど、彼女曰く万能ではないそうで、出来ることと出来ないことがあるらしい。
アメリアの手を引っ張って、私は彼女を自分の部屋へ連れて行った。ソファへ促すと、彼女はしぶしぶといった様子でそこへ座る。隣に並んで私も座ると、彼女は呆れたように口元に弧を描いた。
「私といるとまた叱られるよ」
「良いの」
彼女の肩に寄り掛かるように体を寄せる。アメリアは私の頭をぽんぽんと優しく撫ぜた。
「何かあった?」
「……どうしてそう思うの?」
「いつもより元気がない。言いたくないなら言わなくてもいいけど」
途端に頭に浮かんだのは昼間のお茶会のこと。思い出すだけで胸がぎゅうと苦しくなるのを感じて、私は思わずアメリアに抱き付いた。
彼女は何も言わず、私の背中をそっと撫ぜる。子供をあやすようにそっと優しい手に、じわりと目元が熱くなるのを感じた。
「アメリア、あのね」
顔も上げずに口を開く。声は涙で震えていた。泣いたって仕方ないとはわかっているのに、涙が止まらない。泣きながら、しゃくりあげながら彼女に抱き付いたまま、胸の内を吐き出した。昼間のお茶会のこと、紅茶が苦手なこと、次のお茶会が怖いこと、お茶会からは逃げられないこと。
アメリアは何も言わない。ただそっと私の背中を撫ぜるだけ。様子を探るように恐る恐る顔を上げると、彼女は優しい目で私を見ていた。真っ黒な瞳はとても濃く深い色をしていた。
「サユリ、私とお茶会をする?」
黒い瞳に吸い込まれそうになっていた私を引きもどしたのは、アメリアの声だった。
「アメリアと?」
白い指が私の目尻に溜まった涙を拭う。背中を撫ぜていた手は再び私の頭を優しく撫ぜていた。
「私とお茶会の練習をすればいい。練習ならば失敗しても構わないし、失敗しなくなるまで練習をすれば本番では失敗しない」
「でも私、紅茶が駄目なの。紅茶はどれだけ練習したって変わらないわ」
「だからそれも練習。勧められるがままに飲むのがお茶会じゃない。あまり飲みたくないのならば、逆に相手に振舞えば良いし話をすれば良い。それを覚える練習」
「アメリア!」
嬉しくて思わずアメリアに抱き付くと、彼女が声もなく笑ったのを感じた。やっぱりアメリアは優しい。私が困っていると絶対に助けてくれる。
「お茶会の練習、する?」
「する! 頑張る!」
「そうか。元気になってよかった」
先ほどまでの不安は一瞬にして消えていた。本番が怖いのだから、何度も練習するしかない。今までだってそうだった。作法や礼儀は何度も失敗しながら、頑張って覚えてきた。お茶会だって失敗を重ねて覚えるしかない。
そこで浮かんだ一つの不安。私にとってのお茶会の失敗。それを想像してしまい、思わずアメリアを見上げる。私の不安を感じ取ったのか、アメリアは首を傾げた。
「あの、でもね、その……、失敗しても、嫌わない?」
「サユリの言っている失敗が何を言っているのかわからないな」
アメリアの黒い瞳に意地悪の色が灯ったのを感じた。彼女は普段はとても優しいのに、時々凄く意地悪だ。
「……い、意地悪。わかってるくせに」
恥ずかしくなって彼女から目を反らす。アメリアはくすくすと珍しく声を出して笑うと、私の頭をぽんぽんと撫ぜた。
「わかってる。サユリがおもらししても嫌わない」
「……ほんと?」
「本当。大体、私の前で何回もおもらししたことあるのに、まだ気にしてる?」
「……アメリアのばか!」
思い出したくもない過去の失敗が勝手に蘇ってきて、私は顔が熱くなるのを感じた。確かにアメリアには何度も私の失敗を見られている。さらに言えば初対面の時から私は彼女の前で失態をさらしてしまっているのだ。けれど、何度も見られているからと言って恥ずかしいことには変わりない。それに大好きな彼女には恥ずかしいところは見せたくなかった。そういう乙女心は私にだってあるのだ。
+++
早いほうが良いとのことで、お茶会の練習第一回目は早速翌日に行われることとなった。場所はお茶会用の部屋ではなく私の部屋。丸いテーブルに紅茶とクッキーを用意して、私は先ほどからそわそわとしていた。
きぃと軽い音と共に扉が開く。扉の隙間から滑り込むように、音もなくするりと入ってきた黒い影は私のそばに寄ると、ぽんぽんと私の頭を撫ぜた。
「お待たせ」
彼女は真っ黒なローブを脱ぐと、ソファにそっと置いた。真っ黒なワンピースの背中で真っ黒な髪が艶を伴って揺れる。その長い髪をかき上げ、彼女はふと私のほうを見た。目が合った瞬間、緊張で息を飲むと、彼女は声もなくふわりと笑った。
「緊張してる?」
こくりと頷いた私を見て、アメリアは袖口から木の杖を取り出したかと思うと、コンコンコンと三度扉のノブを叩いた。
「何してるの?」
「念のために施錠を。サユリが魔女とお茶会をしてるなんて見つかったら、また面倒なことになるからね」
取り出した杖を袖口にしまい、アメリアは私のそばに歩み寄る。そして私の背中に手を添え、用意された椅子へ促した。戸惑いながらも導かれるように椅子へ腰を下ろすと、彼女は私の向かい側にある椅子をそっと私の隣へ動かし、そこへ座った。
「隣に座るの?」
「今日は一回目だから気楽に、ね」
小さく返事をすると、彼女はティーカップに紅茶を注いだ。
「魔法で紅茶の用意は出来ないの?」
「出来るよ。でも、紅茶は手で入れたほうが美味しいから」
「そうなの?」
「そうなの。……さあ、召し上がれ」
ティーカップの中には濃厚な琥珀色をした液体がたっぷりと注がれている。ほのかに湯気を放つ紅茶を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
アメリアが私のために入れてくれた紅茶。飲みたくないわけがない。けれど、頭に浮かぶのは先日の失態。これを飲んでしまえば、私はまた同じように失態を犯してしまうのではないか。彼女の前であんな恥ずかしい振る舞いはしたくない。けれど、彼女が私のために入れてくれた紅茶を無碍には出来ない。
飲みたい。飲みたくない。二つの思いが胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。ティーカップを手に取り、隣にいる彼女を覗き見る。アメリアは優雅な仕草でティーカップを口元に運んでいた。ごくりと彼女の白い喉が上下するのを眺めていると、カップに落とされていた彼女の目が不意に上がり、ばっちりと目が合ってしまった。何も悪いことはしていないのに、見てはいけないものを見ていたような居心地の悪さを感じ、思わず目をそらす。アメリアが口元でふっと笑ったような気がした。
「不味くはないから大丈夫」
彼女の冗談めいた言い方に、つい私も笑ってしまった。
湯気の上がるティーカップをしばし眺めた後、私は思い切って口を付けた。自分では気づかなかったけれど緊張で喉が渇いていたようで、紅茶は吸い込まれるようにするすると喉を通っていく。濃厚で、かといってくどいわけではなくて。見つめている間に少し冷めたようで、丁度飲みやすいと感じる暖かさ。凄く美味しい、と素直に思った。
ごくりと喉を鳴らし、私はカップをテーブルに戻した。先ほどまで並々と注がれていた紅茶はきれいに消え、ティーカップの白い底が再び姿を現している。
「美味しい?」
「うん、凄く美味しい」
「それは良かった。随分喉が渇いていたみたいだから」
アメリアはそう言うと、私のカップに紅茶を注ぐ。再びいっぱいになったカップを見て、思わずアメリアの顔を見た。
「アメリア、私、あんまり飲むと……」
「入れておくだけ。カップが空のまま放置するのはよろしくないから」
「それはそうだけど……」
「別に今飲まなくても、また喉が渇いたら飲んだら良い。紅茶を飲むだけがお茶会じゃない。喉が落ち着いたら、次は話をしよう」
お茶会での話といったら、絵画やら調度品やらの話をしたり、どこの国に行ってきたかという話をしたり、どこの誰のパーティーに誘われたという話をしたり、私からすると家柄自慢以外のなんでもない会話を繰り広げるのがお決まりだった。私もそういった話をするためにこの家にある美術品のことを勉強してはいるものの、そもそもが興味がないので話題として持ち出せるほどの知識はまだ得られていなかった。
複雑な思いが顔に出ていたのか、アメリアは私の頭をぽんぽんと撫ぜる。
「別に畏まらなくても良い。普段通りの話をしよう」
「普段どおりで良いの?」
「まずはお茶会に慣れるが大切だから。サユリが楽しいと思う話をしよう」
アメリアの言葉に頷いて、私は口を開いた。まずは昨日読んだ小説が凄く面白くて楽しかった話。それから勉強で分らなかったところの話。昨日のお茶会で感じたことへのちょっとした愚痴。どんな話題でもアメリアは微笑みながら、私の話に相槌を打ってくれた。アメリアが笑っているのが嬉しくて、私もついつい笑顔になってしまう。
緊張や躊躇いはなんていつの間にかどこかにいってしまっていて、私は喉を潤すために何の躊躇いもなくティーカップに口を付け、何度も何度も紅茶を飲み干していた。アメリアは私のティーカップが空になるたびにさりげなく紅茶を注ぐ。私は会話に夢中になっていて、気づかずにまた紅茶に口を付ける。
話し疲れてお腹が空いたなと用意されていたお茶菓子に手を伸ばす。一口齧ると香ばしくて凄く美味しい。隣で同じように菓子を齧るアメリアに思ったまま言葉で伝えると、彼女はまた静かに微笑む。彼女が笑ってくれるが嬉しかった。
お茶会での会話がこんなに楽しいと思ったのは初めてだった。友人たちとのお茶会もこれくらい楽しく会話が出来たら良いのに。そんなことを思った時、ぞくりと全身に何かが走った。思わず茶菓子を両手で持ったまま、固まる。ぞくぞくと悪寒は全身を走った後、下腹部の更に下、両足の付け根にきゅうきゅうと切ない衝動を持って集まってきた。
恐れていた瞬間。今までの自分の行動をすべて取り消したくなった。わかっていたのにどうして私は馬鹿みたいに紅茶を飲んでしまったのだろう。一体何杯飲んでしまったのだろう。自分の行動を冷静に思い返そうとしても、頭の中はすでにお手洗いに行きたいという思いでいっぱいで、他のことが全然考えられない。
きゅうきゅうと出口に押し寄せる切ない衝動はどんどん力強さを増していく。どうしよう。どうしよう。体はじっとしていることが出来なくて、足が静かに震える。テーブルの上のティーカップに目をやって、ティーポットに目をやって、空になったお皿に目をやって、シミひとつない白いテーブルクロスを見つめて。食べかけの茶菓子を置いて、開いた両手で自分の膝をぎゅっと握りしめた。
「どうしたの? 美味しくない?」
突然黙った私を変だと思ったのか、アメリアは私の顔を覗き込もうと顔を寄せる。思わず私は顔を上げて、にっこり笑った。
「な、何でもない! 大丈夫!」
何でもないわけでもないし、全然大丈夫でもなかったけれど、私の口は勝手に思ってもない言葉を吐き出す。お話に夢中になって紅茶を飲みすぎてしまって、お手洗いに行きたくなっただなんて、いくら練習とはいえ情けなくて恥ずかしくて、口が裂けても言いたくない。けれど、私の体に注ぎ込まれた大量の紅茶はその利尿作用を最大限に発揮し、私の下腹部に大量の水分を送り込んでいる。送り込まれた水分をいつまでも溜め込んでおくことなんて不可能で、私は早かれ遅かれそれを排出しなければならない。
ちょっとお手洗いに行ってくるね。その一言を言って立ち上がれば良いのに、喉の奥に張り付いたように言葉が出てこない。頭の中でも胸の中でも私は何度もその言葉を唱えているのに。
今までのお茶会もそうだった。切羽詰って部屋を飛び出すまで我慢せずに、余裕があるうちに席を立てばいいのに。私は幼い子供の様にその言葉が言えないのだ。恥ずかしさと情けなさとみっともなさとが私を責め立てるのだ。
足の付け根に感じるぞくぞくとした衝動が更に強くなる。もうじっとしていられなくて、膝と膝をすり合わせて、もぞもぞと体を揺すって少しでも尿意を逃がそうと足掻いてみる。両手はスカートの裾を落ち着きなく握りしめたり、指先で擦り合わせたり、落ち着きなく動き回る。
お手洗いはすぐそこにある。普段のお茶会と違い、ここは私の部屋で、備え付けられたお手洗いがすぐそこにある扉の向こうにある。はやく、はやくと急き立てる衝動。あれだけ紅茶を飲んだのに、喉はカラカラだった。
「サユリ?」
いつの間にか俯いてしまっている私の顔をアメリアが覗き込む。そろそろと視線を上げると、彼女の真黒な瞳と目があった。吸い込まれそうな黒い瞳。
頭の中で天秤がゆっくりと傾いていく。恥ずかしさと情けなさとみっともなさが乗ったお皿がゆっくりと上に、そして反対側のお皿がゆっくりと重さを増していく。
「あ、アメリア、ぁ、あの、あのっ……」
真っ黒な瞳はただ私を見つめる。その目に誘われるように口を開いた。
「ぉ、お手洗いに、行きたいの……」
消え入りそうな細い小さな声だった。隣にいる彼女にすら届いているか怪しいような小さな声。
言うだけ言って、私は再び自分の膝を見つめる。ぷっくりと膨れた下腹部のその下。じくじくと切なく私を責め立てる衝動を少しでも逃がしたくて、膝は小刻みに震えている。
「お手洗い?」
確かめるようにアメリアは言う。私は彼女の顔も見ずにこくりと頷いた。恥ずかしくて、泣き出してしまいそうだった。
「そう……、わかった」
その言葉に私は弾かれたように立ち上がろうとして、動きを止めた。アメリアはスカートを握りしめる私の右手をそっと持ち上げた。
「あ、アメリア……?」
「手は汚れていないから大丈夫だと思うけれど」
「えっ?」
「気になるならお手拭きを用意しようか」
アメリアはそう言って私の手の甲を自分の口元まで持ち上げて、軽く口付けた。
彼女の言動と行動が理解できなくて、ただでさえパニックになっている私の頭はさらに混乱しそうになる。もじもじと膝をすり合わせながら、そわそわと落ち着きなく彼女を見つめ返すと、アメリアはふふっと声を漏らして笑った。
「ちゃんと言わないとわからないよ、サユリ」
薄い唇が弧を描き、黒い瞳が楽しそうに軽く歪む。その瞳の奥に昨日と同じ色を見つけて、私はかあっと顔を赤くするしかなかった。
いつの間にか灯っている意地悪の色。アメリアは私に意地悪をするつもりなのだ。
「い、意地悪しないでっ……」
「意地悪じゃない。ちゃんと言わないサユリが悪い」
「だって、だって……あ、だめ、あぁっ……!」
瞬間、激しい衝動が全身を襲ってきて、私は思わず両手で出口をぎゅうと押さえつけてしまった。両膝で両手を挟んで、両手でぎゅうと出口を押さえつける。
「あ、アメリアぁっ……!」
「ちゃんと言わないとわからない。サユリはどこに行きたいの?」
頭の中でかちゃんと天秤が傾く音がした気がした。恥ずかしさや情けなさ以上に重さを増した“おしっこ”のお皿が地についてしまう勢いでバランスを崩してしまった。
「とっ……トイレ……! おトイレに行きたい……!」
言葉にしたのと、出口に強い衝動を感じたのはほぼ同時だった。我慢している以上の力で押し出された雫はじゅうぅぅと溢れだす。両手に感じる温かさに私は弾かれたように立ち上がった。
「あぁ、あっ、だめ……、だめっ……!」
はしたなくも両手で出口をぎゅうぎゅうと強く押さえつけて、私は泣き出しそうになりながらトイレに向かって走った。もう頭の中にはおしっこのことしかなかった。
同じ部屋の中にあるお手洗いは数歩の距離だった。飛びつくように扉のノブに手をかけて、勢いよく扉を引き開けた――つもりだった。
ガチャン、と硬い感触。左手でぎゅうぎゅうと出口を押さえつけながら、右手で半狂乱になりながらガチャガチャとノブを弄る。どれだけ押しても引いても、ノブを右にひねっても左にひねっても扉があかない。どうして、どうして? そうしている間にも再びじゅわっと熱い雫が溢れだし、左手を濡らす。
「あ、開かないっ……、なんで、どうしてっ……! トイレっ、おトイレぇ……!」
地団太を踏むように足踏みをするが、雫はじゅわ、じゅわと断続的に溢れ続ける。両足を伝う液体を感じ、私はノブから手を放して、両手でそこをぎゅうぎゅうと押さえつけた。でちゃう、漏れちゃう、おしっこ、おしっこ、おしっこ……!
ふわりと後ろから抱きしめられる。肩越しに私を見つめる彼女は意地悪な笑顔を浮かべていた。
「開かないよ。施錠した」
「ど、どうしてっ……!」
「お茶会の時のトイレはこんなに近くにないから。お茶会の時に使うトイレまでちゃんと我慢しないと」
「そんなっ……、だめっ、もう、我慢できないのぉ……!」
じゅっ、じゅううぅ。熱い雫は次々に溢れだしてくる。前かがみになって、両手は出口に強く強く押し当てているのに、止まらない。出ちゃう、もう本当に出ちゃう……!
アメリアは後ろから私を抱きしめたまま、その白い手を私の下腹部に添えた。ふっくらと膨れたそこには紅茶が作り上げたおしっこがたっぷり溜まっている。そろそろと撫ぜるように触られ、私はあられのない声を上げてしまう。
「ふぁっ、やっ……、だめっ……! そこ、触っちゃ、やぁっ……!」
「凄いね。何が入ってるの?」
「だめっ、だめぇ……、アメリアぁ……!」
ぼろぼろと溢れてくる涙をアメリアは唇で拭う。じゅわっとまたおしっこが溢れる。両手はもうべとべとに濡れているけれど、それでも何とか我慢しようと出口を抑える。じわじわと襲い掛かる衝動に私は狂ってしまいそうだった。
アメリアの手は私のお腹を優しく撫ぜまわしていたかと思うと、ぎゅうと一瞬圧迫する。耐え切れず悲鳴を上げると、アメリアの手は更に下へ伸びていく。
「あぁっ……! だめ、だめぇ……、でちゃう……! アメリアぁ……!」
「ふふ。もうびしゃびしゃ。おもらししちゃった?」
「違うぅ……! トイレ、おトイレっ……、出ちゃうからぁ……!」
「何が出ちゃうの? ちゃんと言ってごらん」
「あっ、んあぁっ……、だめ、だめぇ……!」
アメリアの片手は出口を押さえつけている私の両手を優しく撫ぜていて、反対の手は私の下腹部をそろそろと撫ぜたり時々強く圧迫したり、意地悪に動いている。
「んあぁっ、あっ、ほんとにだめっ、でちゃうぅ……!」
「出ちゃう?」
「あぁあっ、でちゃう、もっ、おしっこっ……! おしっこでちゃうっ、あぁああっ……!」
全身を駆け抜ける激しい衝動に、溢れ続けていた雫は一気に勢いを増した。じゅうぅうぅ、と激しい音を立てて水流が足元に落ちていく。待ち望んだ開放の瞬間を迎えるべきではない場所で迎えてしまいそうになり、私は必死で抵抗する。ばたばたと両足は足踏みを繰り返し、両手はこれ以上雫を溢さないようにぎゅうぎゅうと出口を押さえつける。我慢、我慢、我慢しないといけない。頭の中で何度も繰り返すものの、私の体は既に限界を超えてしまっていてちっとも言うことを聞かない。
「あっ、ああぁ、あああっ……!」
「凄くいっぱい出てる。おしっこ、我慢できなかったね」
私の両手を濡らし、そこに添えられたアメリアの片手を濡らして、私のおしっこは溢れ続ける。じゅぅううぅという水流の音と、ばちゃばちゃと足元で水のはねる音。両手に感じる温かさ。そして心の底から沸いてきた“気持ちが良い”という感情は、私の我慢を簡単に流し去ってしまった。
「だめっ、だめ、おしっこ……、だめぇ……」
私の口からうわ言のように言葉が溢れる。紅茶によって作り出されたおしっこはなかなか止まらず、激しい水音と共に私とアメリアの足元に大きな水溜りを広げていった。
溜まりに溜まったおしっこは段々と勢いをなくし、最後には雫へと姿を戻した。ぴちゃ、ぴちゃと両手とスカートから水滴が落ちる。一瞬のことだったのだろうけれど、私は永遠にも近く感じられた。
荒い息を整えながら、私はそっと両手を離した。ぎゅうとスカートごと握り締められていた股間は水分を含んで色を濃くしていた。両足は水流が伝った後がくっきりと残っていて、足元には大きな水溜りが広がり、私の素足を濡らしている。
やってしまった。我慢できなかった。目の前に広がる失敗の証拠から思わず目を逸らすと、体がくるりと反転させられた。驚きで顔を上げるとアメリアが正面から私のことをじっと見つめている。彼女の視線は私の頭の先からゆっくりと爪先まで降りていく。しとどに濡れた私の足元をしばらく眺めると、その視線は再びゆっくりと上っていき、一箇所で止まる。真っ黒な瞳は濡れたスカートをただじっと見つめていた。おしっこでぐしょぐしょに濡れたスカート。彼女の目はその内側まで見透かしているようで、そこから逃げ出したくて思わず目を瞑った。
「おもらししちゃったね」
「ぁ、あっ……!」
「凄い量。床もスカートもびしゃびしゃ。私の手もこんなに濡れてる」
彼女はそう言って自分の左手を私に差し出す。ところどころに水滴が残り、しっとりと濡れた手。私の両手に添えられた彼女の手まで私は濡らして汚してしまった。恥ずかしさと情けなさが胸の中で膨らんで、また涙が溢れてきた。
アメリアは私の背中に手を回すと、今度は正面からぎゅうと抱きしめた。泣きじゃくりながら彼女の胸に顔を埋めると、アメリアはふっと声もなく笑う。
彼女は濡れていない右手で私の顔をそっと持ち上げ、目を合わせた。吸い込まれそうな、全てを見透かしている様な黒い瞳に、何ともいえない恥ずかしさを感じた。
「おしっこ、我慢できなかった?」
私は彼女の目を見つめたまま、声もなく頷く。
「気持ちよかった?」
先ほど感じた開放感と快感を思い出してしまい、私は小さく頷いた。
「そっか。じゃあおしっこ全部出しちゃえ」
「っ……!」
思わず息を呑んだ私を見て、彼女は楽しそうに笑った。
「まだ我慢してるよね」
「しっ……、してない……!」
「本当?」
アメリアの手がそろそろと下りていき、先ほどまでと同じように私の下腹部に添えられる。
「まだこんなに固くしてる。本当に我慢してない?」
「して、ない……っぁ、あっ、だめ、触っちゃだめっ……!」
するすると優しくお腹を撫ぜる彼女の手に、私はまたあられもない声を上げてしまった。そして再び感じるじくじくとした切ない衝動に、体を捩って何とか耐え忍ぶ。
「だ、だめぇっ、アメリアぁ……!」
「どうして? 我慢してるから?」
「ぁっ、違うっ、我慢してないのっ……、ぁあっ……!」
「じゃあどうして? どうしてサユリはそんなにそわそわしてるの?」
「だってっ、だって……、あっ、ああぁっ……!」
「ちゃんと言わないとわからないよ、サユリ」
収まっていた尿意が再びぶり返してくる。あれだけ出したのに、私の下腹部にはまだまだたっぷりとおしっこが溜め込まれているのだ。これ以上おしっこがしたいなんて知られたくなくて私は嘘をつくけれど、アメリアには全てお見通しのようだった。
ぶるりと体が震える。じわじわと出口にかかる圧力。はあ、はあと激しく息を繰り返して必死に耐える私をからかうかのように、アメリアの手は私のお腹をじんわりと圧迫する。
「ああぁっ、あっ、だめぇ、で……、でちゃうっ……!」
「何が出ちゃうの? ちゃんと言ってごらん」
「だめぇ、あっ、ああぁっ……!」
「サユリ?」
「だめっ、また、おしっこでちゃうっ……!」
言った瞬間、彼女は私のお腹をゆっくりと押した。
「あぁっ、あっ、だめっ、だめ、おしっこ、あぁあっ……!」
アメリアの黒いワンピースを握り締めたまま、私は再び限界を迎えてしまった。出口がじゅわっと熱くなり、両足の間から激しく水流が床に落ちていく。先ほど広がった水溜りに落ちた水流はびしゃびしゃと激しい音を立てて、その面積を広げていく。
「あぁああぁ……!」
泣きながら悲鳴にも似た声が漏れる。全身を巡る切ない開放感に膝ががくがくと震えて、しゃがみ込みそうになる私の体をアメリアが支えた。彼女に寄りかかるような体制で、私はただただおしっこを排出し続ける。
「サユリ、こっち向いて」
彼女の手が私の顔を持ち上げて、アメリアはしっかりと私の目を見つめた。ぼろぼろと涙が溢れるのが止まらず、歪んだ視界の中、アメリアは私をただ見つめる。
「良い顔。気持ちいい?」
黒い瞳をぼんやりと見つめたまま、ただただ頷く。張り詰めていたお腹が段々と緩まっていって、我慢に我慢を重ねたおしっこがどんどんと排出されている。開放感は快感と名前を変えて、私の全身にぞくぞくとした衝動を与えながら駆け巡る。本当に気持ちが良い。
「その顔、もっと見せて」
「あ、アメリアぁ……」
「溶けてしまいそう。本当に、いい顔」
彼女の唇が私の涙を拭う。少しはっきりとした視界の中で、アメリアは何かに見惚れたようなうっとりとした笑顔を浮かべていた。
じゅわあぁあとおしっこは溢れ続ける。止まらない。気持ちが良い。羞恥も情けなさも背徳感も全て消え去って、私はただ快感に身を任せる。
「ぁ、あっ、おしっこっ、止まらない……」
頭の芯がぼんやりとしていた。熱に浮かされたように私は口を開く。自分が何を言っているのかわからない。笑みを浮かべたアメリアの黒い瞳をぼんやりと見つめて、溶けてしまいそうな快感に身を任せることしかできなかった。
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体を清め、しとどに濡れたスカートと下着を着替えて、お風呂の扉を開くと、アメリアはソファに腰かけ、ぼんやりとしていた。何を見ているのだろうとその視線の先をたどり、私はかあっと顔を赤くする。
お手洗いの扉の前に広がった大きな水たまり。並々と水の注がれたバケツをひっくり返したかのような大きさ。それを作り上げたのは私のお腹にたっぷりと溜め込まれていたおしっこだ。私はあんなに大きな水たまりを作ってしまうほどのおしっこをしてしまったのだ。
自分のやってしまったことを自覚させられてしまう光景に、私は部屋に入ることもできずに扉を開けたまま立ち止まる。ふと、アメリアが視線を上げ、私のほうを向いた。目があった瞬間、居た堪れなさを感じ、もう一度お風呂に戻ろうかと思った私をアメリアは呼び止めた。
「サユリ、おいで」
呼ばれるがまま、私は重い足を引きずるようにアメリアの隣に立つ。
「座らないの?」
「だって……、その、片付けないと……」
“何を”片付けないといけないかは言いたくなかった。
バケツと雑巾を取りにいかないといけない。誰かに何かを聞かれたらどうしよう。紅茶を零してしまったと言ったら誤魔化せるだろうか。メイドさんの誰かが片付けを買って出たらどうしよう。
ぐるぐる回る私の思考を止めたのは、暖かい手だった。顔を上げると、先程までソファに座っていたアメリアが立ち上がり、私の頭にぽんと手を乗せている。
「アメリア……?」
アメリアはふっと口元で笑うと、私の頭を撫ぜた――ぽん、ぽん、ぽんと三度。
「後ろを向いてご覧」
言われたとおりに後ろを振り向いて、私は自分の目を疑う。先程までそこに広がっていた水たまりが綺麗に消えていたのだ。まるで初めから何もなかったかのように。
「え、え、えっ?」
ただ戸惑いの声を上げることしかできない私の髪を指先で梳きながら、アメリアは言った。
「別に杖を使わなくても魔法は使える」
「そ、うなの……?」
彼女は声もなく頷いた。綺麗さっぱり消えてしまった私の失態の跡に、私は安堵を感じながらふと思う。こんな簡単に、それこそ触れることなく片付けられるのならば、どうしてアメリアは水たまりを眺めていたのか。
「……アメリアの意地悪」
「どうして?」
「私が戻ってくるまでワザと片付けなかったんでしょう」
彼女は私にもう一度お漏らしの後を見せつけたかったに違いない。こう何度も目にしてしまえば、嫌でも脳裏に焼き付いてしまう。私はお茶会の度にこの失態を思い出してしまうに違いない。アメリアに一部始終を見られたお漏らしのことを。
「……意地悪、アメリアの意地悪。……変態」
「何を今更」
「お茶会、ちっとも練習にならなかった」
「そう? 学ぶことはあったと思うけれど」
「そんなことない。だって、こんなの……」
こんなの、ただ私がお漏らししただけ。恥ずかしさで語尾はごにょごにょと小さな声になってしまう。
「今から言うことは聞かなくてもいいけれど、聞きたいなら聞いたら良い」
アメリアの声が背後からする。ぎしっとソファがきしむ音がした。アメリアは再びソファに腰を下ろしたようだった。私はそれを確かめることすらせず、ただただアメリアに背中を向けたまま、綺麗になった床をじっと見つめる。
「サユリが沢山紅茶を飲んでしまったのは何故か。会話に夢中になって、話し続けて喉が渇いたから。ならば、今度は相手をそういう立場にすればいい。相手が会話に夢中になるように振舞って、紅茶を注ぐ立場になれば良い。注ぐ立場なら、飲まなくても誰にも気付かれない。
そしてもう一つ。夢中になればなるほど時間の進みは早く感じる。お茶会での会話を楽しめるようになれば良い。そうすれば時間はあっという間に立ってしまって、きっとトイレを意識する前にお茶会は終わってしまうから」
「アメリア……!」
弾かれたように私はアメリアに飛びつくように抱き付いた。アメリアと正面から向かい合って、彼女の膝に座るように体を寄せる。ソファに座った彼女は驚いた様子も見せず、私をそっと抱き留めてくれた。
「ごめんなさい」
「練習になった?」
「うん。ありがとう、アメリア」
「どういたしまして。……ああ、もう一つ」
アメリアは私を抱きしめたまま、笑うように言った。
「紅茶の飲みすぎには注意すること。今日は明らかに飲みすぎ」
「だって、アメリアがどんどん勧めるからっ……」
「あんな風におしっこを我慢している姿は他の人に見せないほうが良い」
「それは、はしたないから?」
「違う。我慢しているときのサユリは凄く可愛いから」
かあっと顔が熱くなるのを感じる。アメリアは少し体を放すと、私の額に優しい口付けを落とした。
「恥ずかしがっている真っ赤な顔も可愛い。一番可愛いのは、お漏らししている時の溶けてしまいそうな顔だけれど」
「……変態」
彼女は声もなくふんわりと笑った。
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初出: 2015年6月14日(pixiv) 掲載:2020年9月12日