念のためでもご用心

 普段と違う感覚は安心の反面、不安も感じる。
 これだけ厚みがあると、服の上からでもわかるんじゃないか。動いた時に紙の擦れる音がするのも、聞こえるのではないかと気が気でない。

 椅子に座ったまま、そっと体の力を抜く。ある程度の時間が経っているから、それなりには溜まっているはずだ。けれど、いつもと違う状況に体が抵抗しているのか、上手く力を抜くことが出来ない。
 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせていると、いつぞやのことが思い出される。柔らかな声が僕の耳元でしー、しーと囁いた気がして、じわじわと羞恥が込み上げる。

 違う、そうじゃなくて。否定しようとした瞬間、体がぶるっと震えた。
 あ。小さく声が漏れる。じわ、じわと股間が温かくなる感覚に体が強張った。

 しんと静かな自室に僅かな水音が聞こえる。音は小さいけれど、他の人に聞こえないだろうか。
 股間が温かく濡れていき、その範囲がどんどん広くなっていく。これ、本当に大丈夫なのかな。実は溢れてるとか、そんなことはないだろうか。
 ばくばくと高鳴る心臓とは真逆に、体は爽快感に満たされていく。少しすると、感じ慣れた快感に満たされ、はあ、とため息が自然と漏れた。

 恐る恐る自分の股間に目をやる。ルームパンツは先程までと変わった様子はない。その上からそっと手で触れると、先ほどまでよりふっくらと膨れていた。あちこち触ってみても、濡れた様子はない。
 立ち上がると、股の下にずっしりと重みを増したものがぶら下がる。う、と思いながらもお尻の方も触ってみたが、濡れた感じはなかった。
 すごい、本当に吸収されてる。

 これなら大丈夫かもしれない。安心すると同時に、やはり不安も感じる。こうして試しておきながら、本当に大丈夫かと心配になる気持ち。そして、こんなものに頼ろうとしている情けなさ。
 いや、でも、念のためだと自分に言い聞かす。きっと大丈夫だけれど、もしかしたら何かあるかもしれない。その時のために。

 必死に理由付けをしながら、ゆっくりとルームパンツを脱ぐと、今まで隠れていたものが露わになった。
 ずっしりと重く、そしてふっくらと膨らんだ紙おむつ。この年齢になってこんなものを身に着けたことが恥ずかしくて情けないけれど、仕方ない。背に腹は代えられない。

 部屋の隅に置かれた段ボールに目が行く。無造作に開けられた通販のダンボールには未使用の紙おむつがたっぷりと入っている。
 こんなにたくさんいらなかったのに、通販だと少量の方がむしろ高くて、こんな量になってしまった。処分するにしても、せっかく買ったのにもったいないと思ってしまう自分に更に情けなさを感じた。ああ悲しきかな、貧乏学生。
 親元を離れていて良かったと、今以上に感じたことはなかった。こんなもの、そしてこんな姿、誰にも絶対見せられない。

 おしっこを吸収してずっしりと重くなった紙おむつを脱ぎながら、ため息が漏れた。
 それにしても、そんなに我慢した覚えがないのに、こんなに重たくなるんだなと思った。当日はあんまり水分を取らないようにしないといけない。
 勿論こうならないつもりではある。あくまでこれは念の為だ。けれど、万が一、紙おむつを使う羽目になってしまったら、早めにどこかで着替えないといけない。ちゃんと下着を持っていかないと。

 考えれば考えるだけ、自分が情けなくなる。なんでこんなに心配をしているのか。もう子供じゃないし、大丈夫だと思うのに、あの時の会話が忘れられない。
 鈴を転がしたような可愛らしい声で、あんなことを彼女は言う。そんなことないと否定しようにも、直前に盛大にやらかしていれば、その言葉は口にする前にへし折られていた。
 大丈夫だから。念のためだから。それが僕にできる唯一の逃げ道だったし、心の底からそう思っていた。

 駅に着いたとき、待ち合わせ時刻時間までまだ30分程はあった。色々な意味で緊張していたから、早く着きすぎてしまった。
 彼女がこれを知ったら、また笑われるのだろう。『いっそ、遅れるつもりで準備してみたら?』と以前言われたことを思い出した。

 改札付近でぼんやりと時間を潰す。出来るだけ平静を装いながらも、ズボンの中から意識が離れない。布とは違う柔らかさ。動くと、紙の擦れる音が僅かに聞こえる。
 本当に履いてきてしまった。高鳴る心臓が落ち着かない。本当にばれていないか心配になり、周りを見回すけれど、特別こちらに向けられた視線は多分ないようだった。念のため、ゆったり目のカーゴパンツを履いているから、普通の下着より厚みがあることもわからないはずだ。

 緊張と暑さで喉が渇いていたけれど、飲み物は買えなかった。出来るだけ水分は取らないようにしないといけない。
 あくまでこの状態は念のためなのであって、使う予定はない。そもそもトイレに行きたくならなければ良い。それに、万が一使う羽目になったとしても、あんまり量が多いと溢れてしまうかもしれない。

 ぐだぐだ考えながら再び時計を見ると、まだ時間はまだまだあった。念のため、もう一度済ませておこうか。朝から水分は出来るだけ控えたし、家を出る前にも済ませたので尿意は全くない。でも、突然行きたくなるかもしれない。
 まだ彼女が来ていないことを確認して、駅のトイレに入る。
 ズボンの前を寛げようとして、慌てて手を止めた。いつものように用を足したら見えるんじゃないか。わざわざ見る奴なんていないだろうけれど、でも、もし誰かにばれたら。心配性になり過ぎているのかもしれないと思いながらも、開いていた個室に入る。

 尿意が全くないのは間違いではなく、腹に力を入れると、ちょろちょろと僅かにしか出なかった。
 最後の一滴まで出し切った気がする。これで大丈夫だ。
 そもそも、途中でトイレに立てば良いだけだとわかってはいた。でもその言葉は口にしようとすると、喉の奥で固まって上手く出てこない。
 我慢して我慢して、言わないとと思いながらもそれでも言えなくて、もう無理だ、もう我慢できないと思ったその時に、彼女はそっと僕に助けの手を差し伸べてくれる。我ながら思い返すと情けない。

 でも、今日こそは大丈夫だ。水分はあんまり取っていないから、そんなに行きたくならないはずだ。行きたくなっても余裕を持って行けるだろう。
 それに、万が一のことがあっても、こうして恥を忍んで紙おむつを履いている。だから今日は前とは違い、純粋に映画を楽しむんだ。

 手を洗い、トイレを出ると、改札のところに見慣れた人影が見えた。ひらひらと手を振る様子に、慌てて時計を見ると、まだ時間までは15分はあった。
 駆け寄ると、彼女はにこにこといつものように笑っていた。
「もう来てたんだ。早いね」
「そっちこそ早くないですか。まだ時間ありますよ」
「楽しみで早く来ちゃった。時間にならないと始まらないのにね」
 緊張して早く来た僕とは裏波に、彼女は力が抜けた表情で笑う。不安や心配なんて全くない様子が少しだけ羨ましい。

 少し早いけれど、僕たちは並んで歩き始める。
「ね、めーめくん」
「……その呼び方、もう少しなんとかならないですか」
「可愛いと思うけどなあ。だめ?」
「駄目ではないですけど……」 
 可愛いと言われても全然喜べない。僕だって男なのだから、男らしく、かっこよく見られたい。……いや、今までを思えば、その扱いも無理はないとは思うけれど。それでも、少しくらいはと思うのが男心だと僕は思う。
「……それで、なんですか?」
「映画楽しみだね」
「そうですね」
「で、履いてきた?」
 ぐさり、と一番触れられたくないところを突かれて、心臓が跳ね上がった。
「違うっ、違いますっ、履いてないですっ!」
 咄嗟に口をついた言葉が意味していることは、僕以上に彼女の方がわかっている気がした。

「ふふ、何を履いてきたか、まだ言ってないのに」
 何も言えない僕に、彼女は楽し気な様子で口を開く。
「私、持ってきたんだ。どこで履き替える?」
「いりませんっ! そんなのいりませんから!」
「でも、3時間くらいあるんだよ? 大丈夫?」
「大丈夫ですっ!!」
 返事をすればするほど、どんどん自分で墓穴を掘っている。わかってはいたけれど、正直に伝えるなんて恥ずかしくて出来る訳ない。彼女だってそんなことわざわざ言わなくて良いのに。

「大丈夫なら仕方ないね」
「仕方ないとかそういう問題じゃないです……」
「でもそれで良いかもね。座ったままだと溢れやすいみたいだし」
 え。出そうになった声を飲み込む。
「……そう、なん、ですか?」
「うん。吸収する部分がお尻で潰れちゃってあんまり吸収してくれないみたい。
 だから、おむつでも椅子を濡らすかもしれないから、行きたくなったらちゃんとトイレに行くんだよ?」
「そ、そんなこと言われなくてもわかってますからっ!」
 そう返事をしながら、内心は結構焦っていた。

 この間試したときは座っていたけれど大丈夫だった。でも、確かにあの時も、びちゃびちゃでいっぱいいっぱいな感じだったから、本当に溢れるのかもしれない。もっと大容量の物とかを買えば良かったのだろうか。
 じゃなくて!
 慌てて思考を振り切る。違う、使う前提で考えてどうする。これはあくまで念の為で、万が一の為だ。
 水分を取らないようにすれば大丈夫だし、そうすれば行きたくなっても余裕を持っていけるはず。大丈夫、絶対大丈夫だから。

 ぐるぐる考えていると、いつの間にか目的地に辿り着いていた。
「なんだか久しぶりに来たなあ。めーめくんは?」
「……っ、あ、そうですねっ、僕もすごく久しぶりです」
「どうかした? なんだか落ち着きない?」
「だ、大丈夫です、何にもないです」
「トイレならあっちだよ」
「違いますからっ!」
 彼女の意地悪に翻弄されながら、必死に自分を取り戻す。大丈夫、大丈夫。今だって全然尿意はない。喉は乾いていたけれど、映画が終わるまで我慢すれば良い。だからきっと大丈夫。

 座席を確認すると、彼女はトイレに行った。
 映画館の柔らかい椅子に座る。体を預けると、お尻の下でかさっと音がした気がした。いつもより厚みのあるその部分に、先ほどの彼女の言葉が蘇る。
 確かに、座ってみると体重が掛かって、お尻の部分が潰れている気がする。いや、でも、この間試したときは大丈夫だったし、とまた使用する方向に考えが向いていて、慌てて引き戻す。

 今のところ、尿意は全然ない。でも、念のために行っておこうか。そう考えていると、目の前に何かが差し出された。
 顔を上げると、彼女が笑顔で立っていた。両手には大きな紙コップがそれぞれ一つずつ。
「はい、コーラで良かった?」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「どういたしまして。もうすぐかな。楽しみだねー」
 受け取って、ごくりと喉が鳴る。朝から出来るだけ水分を取らないようにしていたから、喉はからからだ。
 飲みたい、けれど、でも。……少しくらいなら大丈夫かな。
 恐る恐る口を付ける。冷たくて、炭酸が効いていて、美味しい。するすると喉を滑り、胃に落ちていく。あんまり飲んでは駄目だとわかってはいたけれど、飲まずにはいられない。

 はあ、と息を吐いて、口を離す。コップの中身は既に3割程減っていた。しかもこれ、一番大きいサイズじゃないだろうか。
 駄目なのに結構飲んでしまった。でも、朝からほとんど水分を取っていないし、これくらい大丈夫なはず。……大丈夫、だから。

 肘置きのホルダーに紙コップを置く。視線を感じて隣を見ると、彼女は楽しそうににこにこしていた。
「大丈夫ですから!」
「何も言ってないのに」
 どうせ、そんなに飲んでトイレは大丈夫か、とか言いたいに違いない。大丈夫、大丈夫だから。朝から何度も繰り返した言葉を、頭の中でまた繰り返す。

 まだ開演までは時間がある。今飲んだところなのに、既に喉の渇きを感じていた。そこに飲み物があると思うと、余計に飲みたくなってしまい、つい手を伸ばしてしまう。
 もう少しくらいなら大丈夫。それに、あんまり置いとくと炭酸が抜けるし、と理由を付けて口を付ける。喉を滑り落ちるコーラはまだ冷たく、とても美味しかった。

+++

 どれくらい時間が経っただろう。真っ暗な中、目の前で明るく輝くスクリーンを見てはいるけれど、内容は既に理解できなくなっていた。
 いつの間にか紙コップは空っぽになっていた。そしてその分、いっぱいになったものがある。ばれないように時折体を揺すり、内側から込み上げる衝動を耐え忍ぶ。

 いつからか意識はスクリーンよりも、脇にある緑色の非常口の方に向いていた。
 席を立って、あそこに向かって、外に出て。その道筋を何度頭の中でシミュレーションしたかわからない。
 このシーンが終わったら行こう、ここはタイミングが悪いから次のタイミングで。何度も何度も考えたけれど、結局、体は椅子に縫い留められたように動くことが出来ない。

 映画が始まるまでは全然平気だった。始まってからも、ちゃんと見入っていた。ついつい口を付けていた紙コップが空っぽになったことに気付いたあたりから、だんだんと尿意が膨らんでいくのを感じた。
 大丈夫、大丈夫と自分を言い聞かせられていたのも少しの間だった。

 乾いたスポンジが一気に吸水したかのように、空っぽだったはずの尿意がどんどん膨らんでいく。
 意識しないようにすればするほど、頭の中がトイレでいっぱいになっていく。
 あとどれくらいだろう。スクリーンを見ても、もうストーリーがさっぱりわからない。最後まで我慢できるだろうかとそればかり考えている。楽しみだったはずの時間なのに、早く終わることを望んでしまっていた。

 さり気なく足を組んで、込み上げる衝動に必死に耐える。
 下腹部がぽっこりと膨らんでいる。先程まで紙コップに入っていたものが、そこに収まっている。
 これをもう一度紙コップに戻せたら、楽になれるだろうか。真っ暗だし、出来るだけそっと出せば、わからないんじゃないか。そんなことを考えている自分に気付き、慌てて首を振る。

 ちゃんと我慢しないといけない。時間もある程度経ったと思うから、もうすぐ終わるはずだ。頭の片隅では冷静にそう考えながらも、引いては寄せる波のように、衝動はどんどん強まっていく。
 ああ、もう、なんで、どうして。ちゃんと済ませたし、水分も取らないようにしたのに、トイレに行きたい。早く、今すぐにでも行きたい。
 今、この紙コップに済ませて良いと言われたら、してしまうかもしれない。それくらいには我慢していた。

 さり気なく隣の彼女の様子を窺う。二つの目は前方のスクリーンをじっと見つめている。映画に集中していることを確認して、自分の手をそっとズボンの前に添える。
 お腹を撫でると、ほんの少しだけ衝動が和らいだ気がするけれど、お腹が、その下が、内側からじくじくと突かれているのを確かに感じる。

 じっとしていようと思うのに、体が自然と揺れる。おとなしく座っているだけのことが辛くて仕方ない。小さく息を吸って、吐いて、少しでも衝動を押さえようと足掻く。
 ああ、トイレ行きたい、はやく、はやくいきたい。波が激しくなって、出口に一気に押し寄せる。
 膝が勝手に動く。我慢、我慢、我慢。必死にそう思うけれど、そんな思いは上滑りしているかのように、波はどんどん強くなっていく。
 あ、あ、あ。じわじわ、確実に押し寄せる波は確実に僕を追い詰めている。

 トイレ、トイレ、トイレ、トイレっ……!
 手が震えて、何かを掴もうと空を掴む。は、は、と息をするたびに、固く閉じた出口がひくひくと開いてしまいそうになる。
 だめ、だめ、だめ。ああ、でも、トイレ、トイレ行きたい、でも、ああ、もう。

 震える膝を固く閉じる。その奥で、大きく膨れた膀胱が震える。空っぽにしたはずなのに、破裂する寸前まで水分が詰め込まれている。
 なんで、どうして。ちゃんと済ませたのに、そんなに飲んでないのに、どうして。その理由を問い詰めたところで、今この状態が何とかなるわけじゃない。

 大きな波が押し寄せて、頭のてっぺんからつま先まで走り抜ける。ぶるっと体が身震いして、じわ、と出口が熱く濡れる。空を掴んでいた手が、弾かれたようにそこを握った。
 柔らかいカーゴパンツの下で、ぐしゃっと紙が擦れる音が聞こえた。

 出口のすぐそこまで熱いおしっこが押し寄せているのがわかる。
 ああ、どうしよう、トイレ行きたい、おしっこしたい。他のことはもう考えられない。トイレ、おしっこ。頭の中はそのことだけ。

 ズボンの下、普段の下着とは違う厚みのある感触。こういう時のために履いていた紙おむつ。ぎゅうぎゅうとそこを揉むたび、がさがさと音がする。
 他の人に、隣の彼女に聞こえているかもしれない。そう思ったのも一瞬で、すぐにそれ以上の尿意でかき消された。
 おしっこ、おしっこ、おしっこっ……! もう他には考えられない。おしっこしたい、出したい、もう我慢できない。

 指先に感じる紙おむつの感覚が悪いことを考えさせる。
 少しなら、出しても大丈夫じゃないか。ほんの少しなら、もしかしたら。この間試したときも大丈夫だったし、少しずつ出したらきっと大丈夫なんじゃないか。
 ぎゅうぎゅうと押さえた手の中で、出口がひくひくする。おしっこ、おしっこ、ああ、だめ、だしたい、おしっこっ……! 視界が滲む。熱に浮かされたときのように、頭がぼんやりする。

 おしっこ、おしっこ、おしっこ。おむつ、履いてるし、少しくらいなら。
 悪いことを考えたせいか、気が緩む。ひくひくしていた出口が口を開き、じゅわあ、と一気に熱いおしっこが噴き出す。
 手の中、ズボンの下が一気に温かく濡れるのを感じ、宙に浮いていた意識が引き戻された。

 あ、あ、だめ、だめだめだめっ……! ぎゅうと強く握りしめる。
 体がかちかちに強張っている。上手く息が出来ない。短く呼吸を繰り返し、噴き出しそうなおしっこを必死に我慢する。
 あああ、おしっこ、おしっこ、おしっこっ……!
 猛烈な尿意に身を捩る。だめ、でる、おしっこ、でも、でもっ。

 いっそ忘れていれば良かったのに、彼女の言葉を思い出してしまう。
 『座ったままだと溢れやすいらしい』
 ああ、でも、もう本当に、でる、でちゃう、おしっこ、おしっこっ。手で、出口をぎゅうぎゅうと握る。

 ほんのり濡れたおむつの感覚。結構濡れてる。でも、もう少しくらいなら。そんな風に考えが傾いていく。
 でも、もし、溢れたら。ああ、でも、でも、でも。お腹の下、膀胱がこれ以上ない程に膨らんでいる。中身を出そうとしている。
 おしっこ、おしっこおしっこおしっこっ、でる、でちゃう、でも、もう、もうっ……!

 じゅわあ、と手の中が熱くなる。あ、あ、おしっこ、でるでるでるっ。駄目だと我慢しようとしても、もう体が言うことを聞かない。
 手で強く出口を塞いているのに、その僅かな隙間から、ぶじゅ、と鋭くおしっこが噴き出す。
 ああ、あ、あ、あああ、おしっこ、おしっこ、ああ、もう、もう、あ、あ、あああっ……!

 弾かれるように立ち上がり、縺れる足でその場から駆け出した。縺れる足でまっすぐに向かうのは出入口。飛びつくように扉を開け、外へ飛び出した。

 もうむり、もうだめ、おしっこっ、おしっこでる、もれるっ……!
 まだ映画の上映中だからか、廊下に人はいなかった。トイレトイレトイレっ、はやくトイレっ、何でも良いから早くトイレっ、おしっこっ……!

 走りたかったけれど、走ったら出る。出来るだけお腹を揺らさないように、震える足でひたすら歩く。
 トイレ、トイレ、おしっこ、はやく、おしっこっ……! 表示に従い、廊下の奥へひたすら歩く。
 もうでる、でちゃう。息が上がる。おしっこおしっこおしっこ、何でも良いからおしっこっ……! 隅に置かれたゴミ箱ですら、良いと言われたらその瞬間に使ってしまっていただろう。

 ぶじゅ、とまたおしっこが噴き出す。片手でぎゅうとそこを押さえる。誰かが見ているかもしれないと一瞬だけ考えたけれど、それどころじゃない。
 泣きそうになりながら、股間を押さえてトイレへ一直線に向かう。あと少し、もう少し。折れそうな心を必死に奮い立たせ、何とか廊下の奥までたどり着く。

 待ち望んだトイレに、気が緩んだのは一瞬だった。
 トイレに続く道には看板が置かれている。
 うそ、だ。股間を握り、足踏みを繰り返しながら、何度も看板の文字を読み直す。
 けれど、それは間違いなく『清掃中』で。

 あ、あ、そんな、もう、もうほんとにっ……!
 どうしよう、どうしよう、といれ、おしっこ、おしっこっ……!
 手の中が熱くなる。でる、だめ、でも、といれ、つかえない、でも、でも、といれ、おしっこ、ああ、もう、もうっ……!

「こっちおいで」
 聞き慣れた声が聞こえたかと思うと、後ろから腕を引かれた。
 彼女がいる、なんで、どうして。理解が追いつかない僕の腕を引いて、彼女はそのまま引き返して歩いていく。
「もうちょっとだけ頑張って」
 縺れる足で必死に付いていくけれど、もう自分が我慢できているかわからない。おしっこ、おしっこでちゃう、おしっこ、もう、もうっ……!

 上手く息が吸えない。手が震える。足が震える。でる、でるでるでる、おしっこでる、もうむり、でちゃう、おしっこ、おしっこでる、おしっこもれちゃうっ……!
「出してもいいから、もうちょっと。男の子でしょ、頑張って」
 彼女は扉を開けると、そこに僕を押し込む。縺れた足で何とか踏みとどまった。
 そこは非常階段らしき場所で、廊下以上にしんと静まり返っていた。

 ぶじゅ、じゅう、と呼吸のたびにおしっこが噴き出す。出口がおかしくなったのか、我慢しているのに、手で押さえているのに止まらない。
「あ、あ、あぁっ……」
「そんなになるまで我慢するから」
「だって、だってっ……あっ、ああっ、お、おしっこ、でちゃうっ……」
 震える手に、彼女の手が触れる。優しく撫でられると、指先から力が抜けていく。

「おむつ履いてるんでしょ? 大丈夫だから、ここで出しちゃおう」
「で、でも、あふれたらっ……!」
「何とかしてあげるから。大丈夫大丈夫、よく頑張ったね」
 もう、おしっこは出ていたし、止まらなかった。それでも、必死に堪えようとしていた体は石のように固まっていて。
 彼女の声に、優しい手の感触に、体から力が抜ける。押さえを無くした出口はゆっくりと口を開き、じゅう、じゅうう、とおしっこを噴き出していく。

 膝ががくがくと震える。あ、あ、おしっこ、おしっこ、おしっこっ……! じゅう、じゅ、じゅう、おしっこが出て、止まって、出て。
 出したいのに、上手く出ない。どうしよう、どうしよう。がくがく全身が震える。上手く息が出来ない。どうしよう、どうしよう。
「大丈夫?」
 じゅう、じゅ、じゅう。おしっこ、出て、止まって、出て。
「いっぱい我慢したね。えらいえらい」
 正面に立った彼女が、俺の両手を握る。顔を上げることが出来ず、俯いたまま、は、は、と呼吸を繰り返す。

「あっ……あ、あぁっ……!」
 ぱちんと何かが弾けたような感覚。そして、ひくひくしていた出口が大きく開く。
 じゅううう、とくぐもった水音が響いた。お湯をかけたように、股間が一気に温かく濡れる。
 あ、あ、おしっこ、おしっこ、でてる、あ、あ、あぁっ……。ぐちゃぐちゃだった頭が真っ白に塗りつぶされて、一瞬何もわからなくなった。

 あ、あ、でる、でてる、おしっこ、すごい、きもち、いぃ……。
 じゅわああ、と一気に噴き出したおしっこが紙おむつを濡らす。あたたかくて、気持ちいい。おしっこ、どんどん出てる、全然止まらない。
 やっと上手に呼吸が出来るようになり、肩で大きく息をする。顔を上げると、彼女は優しい顔でこちらを見守っていた。

 我慢しすぎたのか、おしっこは全然止まらない。おむつはどんどんおしっこを吸収して、重さを増していく。足の間にぶら下がっていくおむつに、本当に大丈夫かと不安になってくる。
 股間の周りだけお風呂に浸かっているような感覚は、心地よいけれど不安もあった。

「あ、映画終わったかな」
「……え?」
「人が出てきた。ざわざわしてる」
 頭を上げると、確かに扉の向こうから人の話し声がたくさん聞こえた。
「ど、どうしよっ……」
「みんなエレベーターかエスカレーターに行くんじゃないかな。非常階段には来ないでしょ」

 それなら、大丈夫かな。そう思う僕の顔を覗き込んで、彼女はにこにこ笑う。
「誰か来たら、おしっこしてるのばれちゃうかな」
「え、あ、ど、どうしたらっ……」
 おしっこを止めようとするけれど、我慢しすぎたからか、一瞬止まってまたすぐに出てしまう。
 慌てる僕を楽しそうに見ながら、繋いだ手を揺らす。
「大丈夫大丈夫、わからないから、落ち着くまで出しちゃえ」
「ほ、ほんと、ですか?」
「本当。だから、ほら、まだ出るんでしょ?」
 勢いはなくなったけれど、まだおしっこはしょろしょろ出ている。人の声は確かに聞こえていて、誰かが来るかもしれないと思うと、気が気じゃない。
 でも、我慢したおしっこは全然止まらなかった。

 最後まで誰もここに来なかったのは本当に運が良かった。
 おしっこ、でた。すっきりした。気持ちよかった。激しく動いた後のように息が上がっていた。
 すっきりしたお腹とは裏腹に、ずっしりと重いおむつがぶら下がる。お尻の方までぐっしょりと濡れていて、まだ吸収しきっていないのか、足の間にちゃぷちゃぷと水気を感じた。
 念の為、万が一の為だったのに。でも、おむつをしていなかったら、多分漏らしてた気がした。

 繋いでいた手が離れ、彼女の指が伸びてきて、僕の目元をなぞる。慌てて自分の服の袖で濡れた目元を拭った。
「すっきりした?」
 からかうような言葉に、何も言えずに俯いた。

+++

 人気が無くなるまで非常階段で待ってから、そっと廊下に戻る。
「とりあえず、トイレ行こうか。そのままじゃ気持ち悪いもんね」
「う、はい……」
 彼女の後ろに続き、再びトイレに向かう。清掃は終わったようで、あの看板はなかった。

 男子トイレに行こうとすると、彼女はまた僕の腕を引いた。
「そっちは私が入れないから、こっちにしよう」
 慌てる僕のことはそっちのけで、彼女は共用トイレに僕を引っ張っていった。

 トイレとしては広めの空間で立ち尽くす僕とは裏腹に、彼女は鞄を置くと楽し気にこちらに近付く。
「な、な、なんですか!?」
「着替えるの手伝おうかなあと」
「ひとりで着替えられますから!」
「そう? それならここで待ってる」
 そう言って入り口あたりでこっちをじっと見ていた。見られていると思うと脱ぎづらいけれど、このぐっしょりしたおむつは気持ち悪くて早く脱ぎたい。
 仕方なく背中を向けて、ズボンのチャックを下げた。

 ズボンを脱ぐと、白いおむつが姿を見せる。ずっしりと重みを増したそれは腰からずり下がり、足の間でぶら下がっている。そっと中を見ると、白かったはずの部分が黄色く色を変えていた。
「ちゃんとおむつ履いてきて偉かったね」
「……なんで知ってるんですか。僕、言わなかったのに」
「あんな反応したら誰だってわかるよ」
 この人には全てお見通しなのかもしれない。もしかしたら、僕が我慢していたことも知られていたのかも。そうだとしたら、すぐに後を追いかけてきたのもわかる。

 おむつも脱ぎ、捨てようと持ち上げると、重さに内心驚いた。こんなに出したなんて、信じられない。水分を取らないようにしてたのに、どうして。
「そうだ。気付いてないだろうけど、君、コーラ2杯飲んだんだよ」
「えっ?」
「途中で空っぽになってたから、喉が乾いてるのかと思って私の分と入れ替えたんだ。
 それもあっという間に全部飲んでたから、トイレも近くなっちゃうよね」
「な、なにしてるんですか! 僕、ちゃんと水分取らないようにしてたのに……!」
「水分取らなすぎるのも良くないんだよ。どうせ朝から何も飲んでなかったんでしょう?」
「うう……で、でも、飲むとトイレ行きたくなるじゃないですか……」
「ふふふ。それで、自分でおむつしてきてえらいね。通販で買ったの?」
「……そうですけど」
 言い捨てるのと同時に、重たいおむつを丸めてごみ箱に捨てた。

 持ってきた下着を出そうと鞄の口を広げながら、先に出しておけばよかったと思った。下半身裸で鞄を漁る姿は、みっともないし情けなさすぎる。
「……あれ」
 居た堪れなさから、急ぎ目に手を動かすけれど、なかなか見つからない。大きく口を開いてみるけれど、入れたはずの袋がそもそも見当たらない。

 ……嘘だ。ありえない。そんなこと、流石にない。ばくばく心臓が高鳴る。出来るだけ落ち着いて鞄を漁るけれど、やはり見つからない。そんな、まさか。
「着替え、持ってこなかったの?」
「持ってきた、はずなんですけど……、え、うそだ、忘れるなんて、流石に……」
 そう良いながらも、自分で理解し始める。替えの下着を忘れた。

 どうしようかと思っていると、彼女は自分の鞄を手にこちらに近付いてくる。
「おむつだけど、代わりに履いておいたらどうだろう?」
「う、で、でもっ……」
「どこかで買うまでの間に合わせにしておいたらいいじゃない」
 抵抗があったけれど、直接ズボンを履くことも気が引けるのも確かだった。
 仕方なくおむつを受け取り、下着のように履く。このごわごわした感触をもう一度味わうことになるとは思わなかった。ただ、先ほどの濡れた感触を味わった後では、ふかふかしたこの感じはなんだか安心を感じてしまう。

 おむつの上からズボンを履き、身支度を整えてから、手を洗う。
「さて、じゃあご飯でも行こうか?」
「う、まだ出かけるんですか」
「だってお腹空いちゃった。ご飯食べたら、折角だしお買い物もしたいなあ」
「じゃあ、途中でコンビニに寄ってください。下着、買いますから」
「そのままでも良いじゃない。それなら、またおしっこしたくなっても安心だよ」
「も、もう大丈夫ですから……!」
「そう? あれだけ我慢した後だと、また行きたくなると思うよ」
「大丈夫ですっ! ちゃんとトイレに行きますからっ……!」
「ちゃんと行けるかなあ」

 楽しげに笑う彼女と並んで外に出る。
 そんなことない、とその時には否定しておきながら、情けないことに僕はまたおむつを濡らす羽目になるのだった。

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初出: 2019年8月3日(pixiv・サイト同時掲載) 掲載:2019年8月3日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。