卯の花色はお見通し

 レストランに入ると、涼太郎さんは私に席を取っておいてと言いました。お昼まであと少しという時間帯、テーブルは大半が埋まっていましたが、私は幸運にも二人がけのテーブルを見つけることが出来ました。そこに座って彼の戻りを待ちます。お店の中は暖房が聞いていて心地よく、さっき食べたアイスは美味しかったな、その後に飲んだミックスジュースも美味しかった、そんなことを考えていました。
 この席からはレジがよく見えました。列に並んだ涼太郎さんを見つけると、ちょうど同じタイミングで彼もこちらを見ました。私が手を振ると振替してくれて、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。
 お昼ご飯は何かな。涼太郎さんのお勧めがあるとのことで、全てお任せにしていました。手持ち無沙汰でレジの周りを見ていると、天井から吊り下げられた看板が目に入りました。白い看板には青と赤のマーク、そしてアルファベットと黒い矢印。それを見た瞬間、気にしないようにしていたお手洗いを意識せずにはいられなくなりました。

 今朝は涼太郎さんが家まで車で迎えに来てくれました。その後はずっと一緒に乗り物に乗ったり、アイスを食べたりと、二人でデートを楽しんでいました。
 休憩のミックスジュースを飲み終えたあたりでお手洗いに行きたいと感じましたが、楽しい時間に水を差したくなくて、そしてお手洗いを申し出るのが恥ずかしくて、行動には移せていませんでした。思い返せば、出発前に自宅で行ったきりです。

 意識すると余計に行きたくなってしまい、私は看板に記された矢印の先をつい見てしまいます。矢印はレジの横に向いています。ここからでは見えませんが、きっとレジを回り込んだ先にお手洗いがあるのでしょう。
 今がお手洗いに立つチャンスだと少し思いましたが、私は席を取っておくように言われています。上着か何かを置いておけば大丈夫だと思うものの、気付かず誰かに席を取られてしまう可能性もあります。時間はお昼を回り、お店はだんだんと混雑し始めていました。座席を探して歩き回る人もたくさんいて、レジにも大行列ができています。
 やっぱりお昼ご飯を食べたらにしよう。行きたくないわけじゃないけれど、まだ大丈夫だから。浮いたお尻をもう一度椅子の上に乗せると、向こうから涼太郎さんがトレイを持って歩いてくるのが見えました。
「お待たせ。席を取ってくれてありがとう」
「いえ、たまたま空いていたのでラッキーでした」
 彼は私の前にトレイを置きました。ほこほこと湯気を立てるハンバーグにはデミグラスソースがたっぷりと掛かっていて、つい頬が緩みました。
「好きだと思った」
 涼太郎さんは自分の前にもハンバーグを置きました。そして私の反応を見て、頬を緩めます。まだ私たちは付き合いが浅いのに、涼太郎さんはまるで私のことなんてすべてお見通しとでも言うかのような行動をとることがあります。
「どうしてわかったんですか?」
「千雪は分かりやすいから。さあ、食べようか」
 2人で手を合わせて、いただきます。ハンバーグは本当に美味しくて、ほっぺが落ちてしまうのではないかと本当に思いました。そんな私の様子を見て、涼太郎さんは口元で笑います。そんな変な顔をしているのかと恥ずかしくなりましたが、彼が控えめに笑う様子は本当に素敵で、笑ってくれるのなら良いのかなと、そんなことを考えました。

 千雪はわかりやすい、と彼は言いました。もし本当に私がわかりやすくて、彼がすべて見通しているのならば、私が今考えていることもわかっているのかもしれない。そう思うと居た堪れない気持ちになりました。
 目の前には美味しいお昼ごはん。そして顔を上げれば大好きな人。こんなにも幸せな状況なのに、私は先程見つけた看板にばかり意識を向けていました。
 先ほどまでは忘れられたはずなのに、今は意識の片隅に居座って消えてくれないあの存在。食べ終えたら行こうと、そう思わざるを得ないほどの状況でした。グラスに注がれた水の1杯すらが余計に思えますが、熱いハンバーグを食べると水分を取らずにはいられず、つい手を伸ばしてしまいます。
「やけどに気を付けて」
 そして涼太郎さんは私を気遣い、空になったコップにお水を注いでくれます。こぽこぽと小気味良い音は、まるで私のお腹に水を注がれているのではないかと錯覚させるようでした。

 浮ついた気持ちで食事を終え、いつもの流れでコップに口を付けてしまったことに気付いたのは、コップを空にしてからでした。トレイの上のお皿はすべて空になっていて、そのすべてが私のお腹の中に収められたことを示しています。お水、何杯飲んでしまったのでしょうか。考えただけで、お腹の中でちゃぷりと音がした気がしました。
「ご馳走様でした」
 涼太郎さんは私より先に食べ終えていました。私がコップをトレイに置くと、目を細めて笑います。
「美味しかった?」
「はい、すごく。涼太郎さんのお勧めのものは何でもすごく美味しいです」
「それは良かった。
 もう少ししたら行こうか。この後はパレードを見て、観覧車に乗るんだったね」
 そういって涼太郎さんもコップに残っていた水を飲み干しました。彼の向こうにはレジに並んだ行列が、そしてその向こうにはレジ以上に長く並んだ行列が見えました。お店の外にまで達しそうな行列はすべてが女性で、おそらく彼女たち全員があの白い看板に導かれてきたのでしょう。
 お腹の底でぞくぞくと揺れる感覚に背筋が震えました。お昼ご飯を終えたら行こうと思っていましたが、それはあの行列に並ぶことを意味します。あの行列に並んだら、涼太郎さんをどれだけ待たせることになるのだろう。こんなことならば食べる前に行けば良かった。座席に鞄か上着を置いてそっと行けば良かった。いくら後悔してもその時に戻ることはできず、そこに伸びた行列は今も長さを伸ばしています。

 他のお手洗いに行けば大丈夫だよね。誰に確認しているのか自分でもよくわかりませんでしたが、そう思いました。外の空いているお手洗いを見つけて、そこに行けばいいのです。少しお手洗いに行ってきますね。そう言って自然に行けばきっと大丈夫。
「そろそろ行こうか。お腹は大丈夫?」
 胸がどきっと跳ね、咄嗟に返事ができませんでした。お手洗いに行きたいことがばれてしまったのかと思いましたが、そういうわけではないようでした。
「いっぱい食べたから、そろそろお腹は落ち着いたかなと思って。俺は大丈夫だけど、千雪はどう?」
「あ、はい、大丈夫ですっ」
「じゃあ行こうか。場所を取りに行かないと」
 立ち上がる涼太郎さんに続いて私も立ち上がります。その瞬間、お腹がずっしりと重く感じました。やっぱり今言おうかな、でも。トレイを返却しにレジに近づくと、お手洗いの行列は入り口近くまで伸びていました。
 大丈夫、お店の外にもお手洗いはあるからそっちで行こう。レストランを出ると、ひやりとした空気が全身を冷やします。お店の中の行列が恨めしく、そして羨ましく思えてしまいました。

+++

 パレードを見るには良い場所があると涼太郎さんは言いました。その場所に向かいますが、一歩ごとにお腹の重さを感じずにはいられません。移動中にさり気なく言えば大丈夫。念のためにお手洗いに行ってきますね。その言葉を頭の中で何度も何度も復唱して、その時を待ちます。
「千雪、前を見ないと転ぶよ」
「ご、ごめんなさい……」
「そんなにきょろきょろするほど遊園地が好き?」
「そうなんです。なんだか子供のころに戻ったみたいで、わくわくします」
 門を潜って始めに遊園地を見回していたのは確かにそういう理由でした。けれど今はそうではなく、私はただある場所を探しているだけです。お手洗いを探して落ち着きなくきょろきょろするなんて、本当に子供のころに戻ったみたいで、とても恥ずかしくなりました。
 違うんです。ただ、念のために。パレードの間に行きたくならないために探しているだけで、慌てているわけじゃないんです。涼太郎さんに、そして自分に言い訳をして、お手洗いを探します。
「家族で遊園地とか、よく来たの?」
「そうですね。涼太郎さんはあんまりですか?」
「俺は友達とかと来たことの方が多いかな」
「涼太郎さんも遊園地好きですか?」
「割とね。なんとなく楽しい気分になれる」
 会話は頭に入ってはいましたが、意識は全く違うところに向いていました。レストランとは違って肌寒く、上着を着ていても寒さを感じました。
 気合を入れて履いた短めのスカートを少し後悔していました。もう少し長いスカートを履くか、ストッキングではなくタイツにすれば良かった。ブーツもショートではなくてロングにすれば良かった。朝、涼太郎さんが可愛いと褒めてくれたことが遠い日のように感じました。優しい彼のことだから、きっとどんな格好をしても可愛いと褒めてくれたに違いありません。

 お腹の奥のぞくぞくが強くなっていました。目に付く建物がすべてお手洗いに見えてしまい、いっそ駆け寄りたい、そんな風に思ってしまうほどでした。
「あ、千雪。悪いんだけど、少しだけ良いかな」
 歩くのを止めたのは涼太郎さんでした。同じように足を止めると。今まで以上にぞくぞくが強くなります。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくる」
 彼が指差す建物が私には輝いて見えていました。こじんまり建物には確かに赤と青のお手洗いのマークがついています。探し求めていたものが視界に入った瞬間、気持ちが緩んだのでしょうか、今までのぞくぞくが一気に強くなりました。言わないと。強張る体を誤魔化し、私は口を開きますが、あれだけ復唱していた言い訳はすべてどこかに消えてしまっていました。
「わ、わたしも行きますっ!」
「そう? それなら一緒に行こうか」
 お手洗いに行きたいことを伝えてしまった。それを意識する余裕は既になく、ただお手洗いに行くことが出来るということしか理解していませんでした。彼についていく形は先程までと変わりませんが、先程とは比べ物にならないほど浮かれていました。気のせいかもしれませんが、張り詰めていたお腹も少し楽になったようでした。

 私たちがいたのは裏手だったようで、ぐるりと回りこむ形で建物の正面に行きました。
 今度は私が足を止める番でした。先程見送ったはずの行列が、それ以上の長さとなってそこにはあるのです。男性側には列が全くできていないにも関わらず、女性側には長蛇の列がまっすぐに伸び、それは隣の建物にまで差し掛かろうとする勢いでした。おおそよ30人、もしかしたらそれ以上の女性が列を作って並んでいます。これだったらレストランの方がましだったのかもしれません。
「大丈夫?」
 立ち尽くした私に涼太郎さんが声を掛けました。
「っ……あ、すごい列で、びっくりしちゃって」
「時間はあるから、気にせず行っておいで。俺は済ませたらそのあたりにいるから」
 そう言って涼太郎さんは男性側へ向かいます。私も女性側の列の最後尾に並びましたが、その位置からはお手洗いが遥か向こうに思えました。一体どれくらいの時間がかかるんでしょうか。涼太郎さんはああ言ってくれましたが、パレードまであまり時間はないようでした。

 5分程経ちましたが、列は一向に進みません。ここでじっとしていると、体がどんどん冷えてきます。お手洗いに行きたい。けれどパレードも大切です。早く行かないとパレードが見られなくなってしまいます。それでもきっと涼太郎さんは怒らず、他の乗り物や他のショーに行こうと言ってくれるに違いありません。でも、そうだとしても。
 更に5分、合計で10分程経ちましたが、まだまだお手洗いは遠くにあります。パレードは20分ほどで終わると聞いていました。今から20分後にパレードが始まって、そこから20分で合計40分。頭の中で計算をしながら考えます。
 40分くらいならきっと大丈夫、だよね。パレードが終わったらすぐにお手洗いに行けば大丈夫。その頃にはもっと空いているだろうし、直後なら人も少ないはずだから。寒さの中でお手洗いに行きたいとはもちろん感じていましたが、気持ちが緩んだものあってか、先ほどより余裕を感じていました。この状態なら多分大丈夫。
 このまま並んでいれば、時間はかかるにせよ、私はきっとお手洗いに辿り着けていたことでしょう。でも、それだと駄目だから。たったの40分。それくらい、平気なんです。
 少し向こうの売店に涼太郎さんを見つけました。列を離れてそっと近付くと、私が声を掛ける前に彼は私に気付いてくれました。
「あれ、千雪」
「お待たせしました」
 背後に伸びるお手洗いの行列は少し短くなったように感じました。列を離れたことを実感すると、先ほどまで落ち着いていた尿意がゆるりと蘇り始めます。大丈夫、もう少しだけ、本当に少しだけだから。ぞく、ぞくと強まる尿意を押さえつけ、自分に言い聞かせながら、再び涼太郎さんの隣を歩くのでした。

+++

 腰の高さのフェンスに手をつき、大通りを見下ろしていました。私たちは高台になった休憩エリアの一番端に陣取ることが出来ました。パレードを見下ろすことが出来るこの場所は人気だそうで、私たちがその場所に立った数分後には後ろにはたくさんの人が立っていました。
「この場所が取れてよかった」
「そうですね。ぎりぎりセーフです」
 自分の声が震えている気がしました。時計を見ると、パレードが始まるまで数分というところです。あのまま並んでいたら、間に合わなかったか、間に合ったとしても後ろの方から覗き見る程度にしか見えなかったことでしょう。
 高台は風が吹き抜けていき、先ほどまでの場所より寒く感じました。寒さを感じると、余計に尿意を意識せずにはいられません。お腹がきゅうきゅうと疼いて、切ない衝動に襲われます。もうちょっと、もうちょっとだから。自分に言い聞かせますが、冷たい風が吹き抜け、冷えた体ではお手洗いを意識せずにはいられません。
「寒くない?」
 頷くと、涼太郎さんは自分のポケットに手を入れました。
「寒かったら上着を貸すから言って。寒くて集中できなかったら勿体ないから」
 その言葉にとても恥ずかしさを覚えました。今の私は別のことで頭がいっぱいで、全然パレードに集中できそうにありません。あと20分だけ、パレードの間だけ忘れられたらそれでいいのに、体は全然言うことを聞いてくれません。膨らんだお腹はずっしりと重く、きゅうきゅうと切ない疼きが止まりません。あと20分、たった20分我慢すればいい。そうしたらちゃんとお手洗いに行くの。今度こそ、今度こそちゃんと行くんだから。

 膝が勝手にすり合わされるのは寒さのせいで、体が震えるのも寒さのせい。大丈夫、大丈夫。言い聞かせて、息を吸います。冷たい空気が体の中を冷やすと、さらにきゅう、とお腹が切なく疼いた気がしました。今までよりもずっと強い衝動に、体が強張ります。
 だめ。その言葉が頭をよぎった瞬間、大きな太鼓の音が響きました。びくっと体が震え、お腹も震えます。ぞくぞくと嫌な衝動が全身を駆け巡ります。パレードの開始に湧き上がる人々の中、私は内側から襲い掛かる衝動に耐えるために立ち尽くしていました。
 パレードを楽しみに思う気持ちは、既に生理欲求にかき消されていました。やっぱり行っておけば良かったかもしれない。つい先ほど行列を抜けたことを後悔していました。先程の行列に並ばないとしても、レストランでは並んでおくべきでした。そうしていたら、今頃の私はほかの何も気にすることなく、涼太郎さんとお喋りを楽しみながらパレードに没頭できたのに。
「千雪、」
 ざわざわと騒がしい中で、耳元で名前を呼ばれました。今、私の名前を呼ぶのは一人しかいません。振り向くと、涼太郎さんがこちらを見ていました。何かを言いましたが、上手く聞き取れません。その様子を感じ取ったのか、涼太郎さんは私の耳元でもう一度言いました。
「大丈夫?」
 何が大丈夫なのかも確認せずに、私は大丈夫ですと言いました。大丈夫、大丈夫なんです。ちゃんと我慢できるんです。
 彼は険しい表情でした。私の返事が聞こえなかったのかなと思いながら、もう一つの考えが頭を占めていきます。違うんです。大丈夫なんです。パレードを楽しんで、それからちゃんとお手洗いに行くんです。たった20分くらい平気なんだから。胸の中で涼太郎さんに言い訳をしますが、届くはずはありません。けれど、何故か全て聞こえてしまっているようにも思えました。
 もし、涼太郎さんが気付いていたら。千雪はわかりやすい。彼はそう言っていました。もしそうだとしたら。想像すると怖くて、恥ずかしくて、涼太郎さんを見ることができませんでした。

 目の前で楽しみだったパレードが繰り広げられているのに、私は自分の爪先を見つめることしか出来ません。落ち着きない爪先は私を苦しめる衝動を逃がすかのように上下へ、時折左右へとステップを踏み続けます。じっとしていないといけない。頭ではわかるのに、体は既に言うことを聞きません。けれど頭でもわかっていました。こうでもしていないと、私は大変なことになってしまう、と。
 まだかな。腕時計を見ましたが、まだ5分も経っていません。まだ5分、あと15分もある。“たった20分”が、“15分も”になります。短くなったはずなのに、確実に時間は経っているはずなのに、全くそうとは思えませんでした。
 重いお腹はじくじくと切なく揺れ動きます。じっとしていると辛くて、こっそり膝をすり合わせます。はやくはやくはやく。待ち望んだはずのパレードが早く終わることを望んでいるだなんて、朝の私が知ったらびっくりするでしょう。
 もし朝の私に戻れるのなら、こう言います。レストランでちゃんとお手洗いを済ませた方が良いよ。あの時、少し涼太郎さんに待ってもらえば、今の私はこんな思いをしなかったに違いありません。

 きゅんきゅんと足の付け根が切なく疼きます。スカートの中でぎゅっと足を寄せますが、それだけでは何も変わらず、もどかしさだけが募ります。さり気なく足を交差させ、ぎゅっとそこを押さえるとほんの少し楽になります。でも本当にほんの少しで、すぐにもどかしさと切なさが勝りました。あとちょっと、あともうちょっとだから。胸いっぱいに詰まっていた息が溢れ出し、んっと甘い声が喉の奥で響きます。
 もじもじと体が勝手に動きます。何とか止めようとしますが、そうすると今度はぱんぱんに張ったお腹がきゅうと縮んで、その膨らみを少しでも小さくしようとしてくるのです。膨らみ切った水風船はもう破裂寸前で、たった一つ空いた出口に向かって中身を強く押し出そうとしています。その切ない衝動に、私もそうしたいと思ってしまいます。でも、ここでは駄目なんです。ちゃんと我慢して、ちゃんとお手洗いに行かないと。
「千雪、」
 隣から再び名前が呼ばれました。俯いたまま、はい、と返事をしました。顔を上げることはできませんでした。
「大丈夫?」
 先程と同じ質問に同じ返事をします。大丈夫なのだと言い聞かせますが、大丈夫ではないことは私が何より知っていました。
 ぞわ、と強い波が全身を揺らします。その瞬間、じわっと熱い刺激を感じ、同時に頭が真っ白になりました。足をすり合わせて耐えますが、それは一向に収まりません。
 耐えきれず、じゅ、じゅ、と熱い雫が零れました。あ、あ、あ、あ。考えるより先に手が動いていました。指先がスカートの上からそこをぎゅうと強く押さえます。下着が熱く濡れているのを感じました。
 押さえるのは一瞬で、すぐに手を離しましたが、出口は体温で熱く煮えた水分を外へ押し出すために内側から圧迫され、ひくひくと疼いています。お腹の中はもう満杯で、一滴の水ですら入らないというほどに膨らんでいました。浅い呼吸を繰り返し、息苦しさに涙が浮かびました。

 再び、熱く下着が濡れました。だめ、もうだめ、おしっこしたい、おしっこ、でちゃう。震える手がスカートの前に伸ばされかけたとき、突然強く肩を抱かれました。驚きで再び熱いおしっこが零れます。顔を上げると、涼太郎さんが険しい顔で私の肩を抱いていました。そのままぐいと押され、私は流されるがままにパレートに背を向けました。
「行こう」
 彼はそれだけ言い、私を連れて人ごみを抜けていきます。私の頭の中はぐちゃぐちゃで返事すらできませんでした。
 じゅ、と再び熱い雫が下着を濡らします。早く早く早く。焦る気持ちとは裏腹になかなか人ごみを抜けません。気付いた時には右手が勝手にスカートの前を握りしめていました。涼太郎さんの前でこんな格好するなんて。みっともない姿に泣き出したくなりました。それは遊園地が楽しくてキョロキョロする子供がする、おしっこ我慢のポーズ。でも、少しでも気を抜いたら、ほんの少しでも力を抜いたら。恥ずかしいけれど、こうでもしていないと我慢出来なくて、一気に溢れかえりそうなおしっこを留めておくことは出来ないと感じていました。

 よろよろと頼りない足取りで、何とか人ごみは抜けました。人が少なくなると、彼は私の手を引いて走り出します。縺れる足でついていきますが、がくがくと膝が震え、上手く走れているのか自分でもよくわかりません。右手はスカートを握りしめ、その奥の出口をぎゅうと押さえつけます。
 だめ、だめだめだめ、あ、あ、あっ、だめ。じゅわっと熱い雫が一気にこぼれ出ます。押さえつける手の平がじゅわ、と熱くなりました。でちゃうでちゃうでちゃう、もうだめ、ほんとにだめ、おといれ、おしっこ、おしっこでちゃう、おしっこでちゃうっ……!
 頭が真っ白になり、体が強張って動かなくなりました。涼太郎さんの手から、私の腕がするりと抜けます。私はその場に立ち尽くすことしか出来ませんでした。足ががくがくと震えます。力が入らないのか、上手く抜けないのかわかりません。じゅわ、じゅ、と熱い雫が、おしっこが溢れています。
「千雪っ!」
 涼太郎さんの声。顔を上げると、彼は慌てて私の目前に駆け寄ってきます。さっきまで掴まれていた左手が無意識に涼太郎さんに伸びました。そのまま抱き着くように体を預けると、もう体は何も言うことを聞きませんでした。
「っ……千雪、」
「や、あ、あぁっ……」
 もうだめ、でちゃう、でる、おしっこ、もうだめ。真っ白な頭で考えられるのはそれだけでした。涼太郎さんに抱き着いたまま、じゅ、じゅうっ、と熱いおしっこが出口から溢れ、下着とそこに添えられた右手を熱く濡らします。ああ、だめ、おしっこ、だめなのに。

 だめ、こんなところでだめなのに。ちゃんと我慢しないといけないのに。でも、でも、もうだめです、だめ、ごめんなさい、おしっこでちゃう。ふっと、心から力が抜けるのを感じました。
 じゅー、とくぐもった水音が全身に響き渡り、びちゃびちゃと地面を打つ水音も聞こえました。あ、あ、出てる、おしっこ、出てる。押さえているのに、我慢しているのに止まらない。出口が、両足が、頭がのぼせたように熱くて、でも寒くて。体にうまく力が入らず、それでいて強張っていて、上手に動きません。足の震えが止まらない。おしっこはまだ出ていて、全然止まりません。おしっこ気持ちいい。はあ、と自分の息が熱く零れるのが手に取るようにわかりました。

+++

 どれだけの時間を掛けたのか。私は大きな水たまりの真ん中に立っていました。
 両足は幾筋もの水流の後があり、先ほどまでの温かさは既になく、氷のように冷え切っていました。スカートを握りしめた右手はぐっしょりと濡れています。スカートの中心は濡れて色濃く染まっていました。中の下着もぐっしょりと濡れていて、張り付いた下着が自分のしてしまったことを嫌というほど実感させてくれました。
 呼吸を重ねると、やっと自分の外に意識が向きました。ざわめきの中、大きな手が私の背中を撫でていることに気が付きました。その優しい感触にやっと体の力が抜け、動くことが出来ました。
 ゆっくりと顔を上げると、見覚えのあるコートが目の前にあります。
「大丈夫、」
 涼太郎さんは私を抱きしめたまま、そう言って背中を撫でます。強く抱きしめられ、どんな顔をしているかわかりません。ただ、彼の声が固く強張っていることはわかりました。
「もっと早く連れ出せばよかった。ごめん」
 涼太郎さん。名前を呼ぼうとしましたが唇が震えるだけでした。言わないといけないことがたくさんあるのに、謝らないといけないのは私の方なのに。上手く言葉が出ず、視界が熱く歪みました。
「大丈夫だから泣かなくていい。とりあえず車に戻ろう」
 涼太郎さんは自分のコートを私に着せると、そっと背を押しました。私はただ促されるがままに歩きます。足を踏み出すことに、ブーツがぐしゅっと水を吐き出します。その不快感に、私は自分の惨めさを痛いほど実感するのでした。

+++

「着替え、コンビニに行けばあるかな」
「……」
「とりあえず、俺のを履く?」
「……えっ、」
「冗談だから、笑ってくれたら嬉しい」
 運転席で涼太郎さんは頬を赤らめていました。冗談なんて滅多に言わない人なのに。気を使わせていることが申し訳なくなり、ますます顔を上げることができなくなりました。
「とりあえず帰ろうか。着替えとか、靴も履き替えないと」
「はい……、」
 車内を沈黙が包みます。ブーツも下着もスカートもストッキングも濡れてしまって、それがとても気持ち悪くて。そんな姿で涼太郎さんの車に乗っていることが申し訳なくて。でもそれ以上に自分の失敗が恥ずかしくて情けなくて。もう全てが嫌で、このまま消えてしまいたくなりました。
 車はなかなか出発しません。どうかしたのかなと思って隣を窺うと、彼はハンドルに顔を伏せていました。私の視線を感じたのか、少しだけ顔をあげますが、また再び伏せてしまいます。一瞬見えた表情はいつも以上に強張っているように見えました。
「……来週は空いてる?」
「え……、あ、はい」
「どこに行こうか。遊園地でもいいし、もう少し落ち着いたところでゆっくりしても良いし。
 でも、遊園地にはまた来ないといけないな。パレードを見れていないし、観覧車だってまだ乗れていない」
 その言葉は私に言っているようで、独り言のようでもありました。来週も会ってくれるんだ。優しさが胸に染みて、じわっと視界が歪みました。また泣いちゃう。必死に涙をこらえていると、涼太郎さんが呟きました。
「……ごめん。早く出発してあげたいのはやまやまなんだけど、もう少しだけ待ってほしい。今、運転したら、多分事故する」
「大丈夫です。……あの、ごめん、なさい」
 やっと言えたごめんなさいは震えていました。

「言いづらかった?」
 少しの間の後、彼はそう言いました。頷くと、そうか、と彼は呟きます。もう声の固さはなく、普段の優しさが戻っていました。
「言いやすくなるように俺も頑張る、けれど、千雪も言ってくれて構わないから」
「はい、」
「言わないのも可愛いから俺は構わないけれど、千雪は恥ずかしいだろうし」
 今、可愛いと言ったように聞こえました。思わず涼太郎さんの方を見ましたが、彼は何も変わらぬ様子です。先程までの強張った表情もすっかり消え、それどころか何もおかしなことは言っていない、そんな様子です。それは私の聞き間違いだったのかと思うほどでした。
「あんまり恥ずかしくない?」
「は、恥ずかしいですっ……! あの、そうじゃなくて……」
「ああ。……可愛いよ。いつも思っている」
 その言葉は朝、服装を褒めてくれたときと同じなのに、全く違う意味に聞こえました。それは胸のうちを曝け出しているようで、そんな言葉は今まで涼太郎さんの口から聞いたことがありませんでした。
「今みたいに戸惑っているのも可愛い。さっきみたいに言いたいことが言えなくてそわそわしているのも可愛かった」
「わたし、かわいくなんてっ……」
「可愛いよ。トイレに行きづらそうだから俺から申し出たけれど、そのときも可愛かった」
「き、きづいていた、んですか……!」
「ご飯食べているあたりから、そうなのかなと思っていた。落ち着きないのが可愛くて見ていたら何となく気付いたよ」
「あ……、あんまりそんなこと言わないでくださいっ……」
 とんでもない辱めを受けているような気分になりました。その言葉を止めたくて強めの調子で言いましたが、涼太郎さんは動じることありません。それどころか私が動揺すればするほど、彼は目を細めて楽しそうに笑います。そんな姿、今まで一度も見たことがありません。ふっと口元でほほ笑むだけの涼太郎さんがそんな風に笑うなんて。
 彼の笑顔が見られて本当なら嬉しいはずなのに、今は恥ずかしさ以外は何も感じられません。全部、本当に全部知られていただなんて。私はその上で我慢して、しかも我慢できなくて失敗してしまっただなんて。自分のしたことを改めて実感すると、恥ずかしくて頭が真っ白で、もうどうしたら良いのかわかりませんでした。

 車を走らせながら、涼太郎さんはぽつりと言いました。
「来週は練習しようか」
「れ、練習……?」
「うん。千雪がおしっこしたいって言う練習」
 いつもの落ち着いた言動の中に混ざった爆弾に、私は驚きすぎて息が止まるのではないかと思いました。彼は私の様子に気付いているのかいないのか、前を見たまま続きを口にします。
「出来るだけ俺も気付くようにするけれど、それでも千雪が言えた方が良いだろうし」
「気付かなくて良いです……」
「それだとまた失敗するよ。千雪が言えるのなら問題ないけれど」
 そう言われると何とも言えませんでした。
「俺の家なら失敗しても俺しか見てないし、ちゃんと言えるまではお預けにしよう」
「い、いや、そんなのだめですっ、ほんとに、ほんとに駄目ですっ!」
 いつの間にか私の言葉は軽くなっていて、重苦しい空気はどこかに消えていました。それに気付いたとき、今の言葉は場を和ませるための涼太郎さんの冗談なのだとわかりました。そう思うと、今度はその心遣いが嬉しくて、胸がすっと楽になるのを感じました。
「冗談です、よね」
「俺、冗談は割と苦手」
「えっ、えっ、あのっ……!」
 緩んだ緊張が固く結びなおされるのは一瞬のことでした。
「着替えも持っておいで。それなら失敗しても大丈夫」
「だ、大丈夫じゃないですっ……」
 涼太郎さんは前を見続けたままでしたが、その口元が緩んでいるのがわかりました。
 彼を笑顔にさせているのは、冗談なのかそれとも違うのか。私にはわかりませんでしたが、今日のことは一生忘れられない思い出になることはよくわかりました。

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初出: 2018年2月7日(pixiv) 掲載:2019年3月6日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。