やがてリーベはちゃんと歩く(男の子側)

※大スカ注意

 足が地を踏むのに合わせて、石造りの床がかつかつと音を立てる。左右に鉄格子が並んだ通路を抜けて、無機質な階段を一番上まで進んでいく。それから硬く重い扉を押すと、ぎいと鈍い音がしてゆっくりと開いた。
 扉の向こうは、いつ見ても気が滅入るような白黒の世界だ。灰色の石煉瓦の壁はところどころ崩れて、その向こうには薄暗い草原が広がっている。
 扉をしっかり閉めてから、朽ちた廊下を進む。石畳の一部が剥がれて、その欠片が爪先に当たる。かつかつと音がして石ころが転がっていく。その先に目をやると、黒い靄が漂っていた。
 じっと見つめると、靄は次第に薄くなり、やがて跡形もなく消える。周りを見回したところ、他には見当たらないようだ。もう一度周囲を確認してから、廊下の途中で壁を背にして座った。
 石畳は硬く冷たく、とても心地が悪い。溜め息が漏れて、自然と天を仰ぐ。天井もそこかしこに穴が開いていて、暗い空が見えた。
 今日は静かだ。ずっとこうだと良いのに。

 体が重い。膨らんだお腹を撫でると、硬く張っているのがわかる。原因はわかっていた。
 この体は本来なら人から力を吸って蓄える。彼女と同じように食事を取って、消化して、力を作り出すのは、この体には向いていないのだろう。正確に言うならば、食事を取って力を作り出す事は全く問題ない。体は何の抵抗もなく動かせる。
 食べたもの全てが力になるわけじゃない。それは人も同じで、不要な残りカスを体から出す必要がある。それが排泄という行為。
 おしっこは兎も角として、大きい方は特に上手くいかない。下したり、こうして便秘になったりしてしまうことが多々あった。
 これさえ上手くいくなら、やーちゃんと同じ生活を問題なく行えるのに。溜め息が漏れる。それは誰にも聞かれずに消えていった。

 一通り歩き回ってから戻ると、扉の前には黒い靄が漂っていた。睨みつけると、塵となって途端に消える。彼女の匂いを嗅ぎつけたのか。辺りに同じものを見つけたので、しっかりと消し去る。
 重い扉を開けて、階段を下りていく。かつかつと足音が響く以外は何も聞こえない。突き当りまで進み、開いたままの鉄格子の中へ入った。
 牢の片隅には、不似合いな大きなベッドが押し込められるように置かれている。傍に寄ると、静かな寝息が聞こえた。
「ただいま、やーちゃん」
 返事はない。そっとベッドに腰かけて顔を覗き込むと、彼女は穏やかな寝顔をしていて、つい頬が緩む。白いシーツの上には黒い髪がふわりと広がっている。一房を手に取って、指にくるくると絡めてみる。
「やーちゃん、やーちゃん、デート楽しみだね」
 返事はないけれど、それがむしろ嬉しかった。よく寝てる。起こさないように、髪をそっとシーツの上に戻した。

 背伸びをしてから、彼女の隣に潜り込む。とても温かくて、体から力が抜ける。
 俺も寝よう。おやすみ、やーちゃん。彼女の真似をして目を閉じた。

 +++

 手を握るのは嬉しい。一緒に歩くのは楽しい。嬉しいと楽しいが合わさると胸がうきうきと踊って、自然と笑顔になる。
 隣で彼女は少し呆れたように、でも温かく見守るようにこちらを見ていた。そんな顔をされたって、嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。
「俺、デート初めて」
「そうなの?」
 そうだよと返事をすると、彼女は少し驚いたように目を丸くした。普通じゃないのかも知れないけど、別に良い。子どものころから、俺の初めては全部やーちゃんとするって決めていたから。

「やーちゃんはある? デート」
「あるよ」
「えっ!」
 驚いて、無意識に足を止めていた。やーちゃんがくいくいと俺の手を引いて、歩くのを促す。慌てて足を動かしながらも、頭の中は彼女の発言でいっぱいだった。
「誰と!?」
「誰と、って……」
「あ、いや、名前聞いても俺はわかんないかもしれないけど! 男? 女? 背は高い? かっこよかった? 可愛かった? どこ行ってどんなことしたの!?」
 気になることをとにかく口にする。彼女は苦笑いを浮かべて、どうどうと俺を制した。仕方なく黙ると、やーちゃんは遠い目をして言った。

「男の子だよ。可愛い子だった」
「何したの。映画?」
「映画は見てないなあ」
「じゃあどこ行ったの」
「公園」
 予想していたより子どもっぽい場所に拍子抜けする。そんなところに行くなんて、そいつは全然わかってない。デートなら、もっとちゃんとしたところに行くべきだ。例えば、今日の俺たちみたいに映画とか。お洒落なレストランとか。駅前でウィンドウショッピングとか。

「公園で何したの」
「普通にいろいろ遊んだよ。楽しかったな」
 ふふ、と彼女は笑う。その顔は可愛いけど、そのデートを思い出しているんだと思うと全然面白くない。さっきまでの楽しさも嬉しさもどこかに行ってしまった。
 顔に出ていたのか、やーちゃんは俺の方を見ると、再び苦笑いを漏らす。他に何をしたか気になったけれど、続きを聞いたらやーちゃんがこっちに戻ってこないように感じて気が引ける。でも気になる。
 もやもやしたまま何も言えず、じーっと彼女の苦笑いを見つめていると、やーちゃんは柔らかく笑って口を開いた。

「かけっこしたり、かくれんぼしたり途中で休憩して、ジュースを飲みながらお喋りして」
「……子どもっぽくない?」
「そうかな。後、泥団子作ったよ。ふたりでどろどろになって」
「……え、それって」
 聞き覚えのある展開に驚いて、ぽかんと口が開いた。
「そうやって色々遊んで、夕方になったら、また明日ねってお別れしたんだ」
 やーちゃんはわかっていて言ったのか、にこにこと昔と同じ顔で笑っていた。

「……それ、デートになるの」
「自分で言ってたんじゃない。やーちゃん、今日はデートだよ、って」
 確かに言った。でもそれは子どものちょっとした冗談と言うか、デートという言葉を知ったから使ってみたかっただけと言うか。今日みたいに本気で考えていたわけじゃない。
「ずるい、それ」
 彼女は俺の些細な発言まで覚えている。それは嬉しいけれど、恥ずかしかった。

「色々覚えてるの俺だけだと思ってたけど、やーちゃんも意外と覚えてるよね」
「覚えてるよ。流石に、いつ何をしたかはあやふやだけど、どれも楽しかったから。
 泥団子作ったり、鉄棒で逆上がり頑張ったり、かけっこ勝負したり。そうそう、やーちゃん、怖いからトイレついてきてーって手を引っ張られたりもしたかな。ふふ、可愛かったなあ」
「なっ……! そ、そんなことは忘れてよ!」
 慌てて彼女の言葉を遮ると、やーちゃんは楽しそうに声を上げて笑う。そんな恥ずかしいことまで覚えてなくても良いのに。
 これ以上この話をさせると、何を言い出すかわかったもんじゃない。彼女の手を引っぱって、早く映画館へ行こうと足を動かした。

 +++

 映画館の柔らかい椅子に座って、始まるのを待つ。デートが楽しみなのは勿論だけれど、映画自体も楽しみだった。今日は何から何まで楽しみで仕方ない。ただ、ひとつだけ心配事があった。
 ふうと息を吐いて、お腹を撫でる。苦しくて、重くて、硬く張っている。
 いつから出てないんだろう。思い出そうとして、それに意味がないことに気付いて止めた。

 自然とため息が漏れる。それに気付いてなのか、隣からやーちゃんが声を掛けた。
「どうしたの、ため息ついて」
「あ、いや、何でもないよ」
「はしゃぎすぎて疲れた?」
「いくら何でも、そんなに子どもじゃない」
 彼女の中で、俺は子どものままなのかもしれない。初めて会った時、そしてたくさん遊んだ時から、扱いが変わっていない気がする。
 俺だって大人になった。背も伸びて、彼女より高くなった。手も大きくなって、彼女の手を包み込めるようになった。
 少しくらい大人として見てくれても良いのに。そう思うと、また溜め息が漏れる。やーちゃんはそんな俺を見て、飲み物を差し出した。また子ども扱い。そう思ったけど、素直に受け取って口を付ける。……美味しい。

 大きなスクリーンは見ているだけでもわくわくする。始まりを待ちわびていると、室内の照明が落ちて薄暗くなり、そしてすぐにスクリーンが明るく灯った。
 そっと隣を見ると、やーちゃんは真っすぐにスクリーンを見ていた。黒い瞳が明かりを受けて、きらきらと輝く。
 黒はあまり好きじゃないけれど、彼女の目はとても綺麗で好きだ。黒が全てこれくらい綺麗だったら、俺はもっと世界を好きになっていると思う。
 彼女に見とれていることに気付いて、慌てて前を向く。短い映像がいくつか流れて、やがてオープニングが始まった。

 +++

 集中できたのは初めだけだった。すぐに違和感に気付いて、嫌な汗が背中を伝う。
 お腹が痛い。音もなく、ぐるぐると動いているのがわかる。下している訳じゃない、じりじりと追い詰められるような欲求。
 トイレに、行きたい。まだ我慢できるとは思うけれど、意識してしまう程にはしっかりと形を持っていた。
 ここしばらくは苦しくてしんどくて、早く楽になりたいと思っていたけれど、なんで今なんだ。楽しみで仕方なかったのに、実際すごく楽しいのに、そんな時じゃなくて良いじゃないか。文句を言いたくなったけれど、その相手は自分自身なので、結局言葉を飲み込むしかない。

 まだ映画は始まったばかり。まだ大丈夫だとは思う。映画が終わるまでは我慢しないと。始まってすぐにトイレに立つなんて、流石にありえない。
 きりきり痛むお腹を撫でる。大きく張ったお腹。苦しくて、重くて、辛い。体は楽になろうと、その原因を出そうとする。ずっと出てほしいと思っていたのに、今は真逆だ。とにかく我慢しないと。
 食べて、力を得て、残ったものは出す。それが普通のこと。やーちゃん曰く、俺はよく食べるらしい。多分、燃費が悪いのだろう。たくさん食べるのなら、その分出してないと駄目なはず。
 そんなことを考えると、余計に気にしてしまう。無理やり意識を映画に向ける。集中すればきっと大丈夫なはず。そう思うけれど、ぐるぐるとお腹は唸り、鈍い痛みが続いている。

 ああ、トイレに行きたい。お尻がひくひくする。駄目、我慢。我慢。そう思うのに、ぐーっと押し寄せる感覚。うあ、だめ、絶対だめ。我慢しようと、体に力が籠る。
 それでもお腹がうねって、中身を押し出して、お尻から音もなくすーっと空気が抜けていく。その感覚に、火が付いたように顔が熱くなる。
 おなら、出ちゃった。恥ずかしくて顔が熱い。横目でちらっと隣を見てみたけれど、彼女は飲み物を片手にストローを咥えて、映画をじっと見ていた。気付いていない、と思う。少しだけ安心した。
 ガスを出したからか、お腹は少しだけ楽になった。それでも苦しいことには変わらない。むしろ、余裕が出来た分、活発になったかもしれない。ひくひくするお尻のすぐそこまで、ずっしりと重い物が押し寄せている。

 一昨日も、昨日も、今朝も、何とかこの苦しさを何とかできないかとトイレで頑張ったけれど、体は全然言うことを聞いてくれなかった。今は、別の意味で言うことを聞いてくれない。今こそ我慢しないといけないのに、体は出そうとしている。
 ああ、お腹痛い。出したくて出したくてたまらない。今朝までとは真逆の苦しみ。ぐぎゅうう、と音もなくお腹が鳴ったのがわかる。ああ、トイレ行きたい、出したい。
 我が儘に唸るお腹を何とか宥めようと服の上から擦る。切羽詰まっているわけではないけれど、一歩ずつ確実に追い詰められているようだ。

 意識を少しでも逸らそうとスクリーンを見るけれど、どういう状況なのか全然わからない。お腹を撫でながら、そっと隣を見る。彼女はちょっと前屈みで、食い入るように真剣な目で前を見ていた。
 ちゃんと内容がわかったら面白いんだろうな。何とか今からでも理解してみようとしたけれど、合間合間にお腹がぐるぐると唸って、その度に思考が途切れてしまう。全然集中できない。映画、楽しみだったのに。デートなのに。もう最悪だ。
 体が早く出したいと我が儘を言う。まだ駄目、我慢、終わるまで、ちゃんと我慢しないと。もう映画の内容は全然理解できていないけど、せめて形だけでも映画を見たことにしたかった。

 お腹が痛い。苦しい。何とか必死に我慢して、どれだけ経っただろう。そろそろ終わるだろうか。始まる前はあんなに楽しみだったのに、今は早く終わってほしいとしか考えられない。
 ぎゅるる、とお腹が暴れる。だめ、我慢、我慢、我慢。体が強張る。頑張って我慢しているのに、お尻がひくひくする。
 あ、あ、だめ、お腹、痛い、あ、あっ。ぷすーっと、静かにガスが漏れる。つんと鼻につく臭いがして、顔が熱くなる。
 う、あ、あ、最悪だ。やーちゃんに気付かれたら。恐る恐る隣を見る。彼女は緊張しているのか、ぎゅうっとスカートを握り、視線は真っすぐに映画に向いていて、気付いているようには見えなかった。

 彼女に気付かれていない事に安心したのもつかの間、お腹が激しくうねり、お尻を内側から抉じ開けようとする。ああ、トイレ、トイレ、トイレ! 他には何も考えられない。
 トイレ行きたい、お腹痛い、苦しい、はやく出したい。出したくて出したくてたまらない。もう映画の内容を理解しようなんて、欠片も考えられなかった。早く終わってほしい。ただそれだけが頭を占める。
 お腹がぎゅるぎゅる唸っている。はやく、はやくトイレ。トイレに行きたい。もう今すぐにでも出したい。はやく、はやく、はやくっ。

 お腹を抱えて必死の我慢を続けていると、視界の端がほんの僅かに明るくなった。目だけでそちらを見ると、人影がその光の向こうへ消えていき、すぐにまた真っ暗になった。
 誰かが席を立って外へ出たのだとわかった。俺も、出ようか。一瞬だけ考えて、それは流石にどうなんだと躊躇う。けれど、もう本当に限界で。トイレ、トイレ、トイレ。頭がそこから離れない。
 迷っている俺の背中を押すかのように、また視界の端が一瞬明るくなった。また誰かが出て行ったらしい。ほら、他にもそういう人がいる。それなら俺も出ていっても大丈夫じゃないか。
 でも流石にそれは。でもお腹が痛くて、トイレに行きたくてたまらなくて。でも、でも、でも。

 隣をちらっと見ると、偶然にもやーちゃんも同じタイミングでこちらを見た。視線がぶつかって、咄嗟に逸らしてしまった。
 どうしてやーちゃんはこちらを見たのだろう。たまたまなのか、それとも、気付かれたとか。ばくばくと心臓が高鳴る。ごそごそ煩かったかな。それとも、何か他の原因か。例えばにおい、とか。
 考えれば考えるだけ嫌な方向に想像してしまう。居た堪れなさに、体が強張り、縮こまる。
 椅子に座ったまま動けない。お腹が苦しい。トイレ、トイレ、トイレ。だけど、席は立てない。我慢、しないと。そう思う気持ちとは裏腹に、お腹が激しく痛む。
 ひくひくするお尻のすぐそばまで、硬くて重いものがみっちりと押し寄せている。苦しい、お腹痛い、出したい。鈍いけれど強い痛み。もう余計な身動きも出来なくて、お腹に手を当てたまま、ぴたりと固まる。

 視線の先では、スクリーンに文字が流れていく。見えてはいるけれど、頭がぼーっとして理解なんて全然できない。ああ、トイレ、トイレ、トイレ。どうしよう、トイレ、でも。今すぐにトイレに行きたい。でも、でも。
 ぼーっとする。意識が鈍い気がする。何もできない。ただ、前を見ているだけ。お腹を押さえたまま、動けない。
 トイレ、トイレ、トイレ、トイレっ……、お腹痛い、うんちしたい、ほんとにもう無理。ぞくぞくと嫌な悪寒が走る。トイレ、はやくトイレ、もう、むり、出る、うんち、漏れちゃうっ……!

「るり」
 聞きなれた声で名前を呼ばれて、我に返る。顔を上げると、やーちゃんが不安そうな目でこちらを見ていた。
 暗かったはずの周りは明るくなっていて、ざわざわと話し声が聞こえた。いつの間にか映画が終わっていたのだと気付いた。
 周りは席を立ち始めていた。俺も、立っていい、ということだ。ここから、出れる。……トイレ、にっ。
「ごめん、あの、トイレ、行っても良い?」
 俺が言いたかったことを先に彼女は言った。それが気遣いなのか、それとも彼女もトイレに行きたいからなのかはわからない。ただ、ぼんやりしていた意識が途端にはっきりした。
「……あ、うん」
「ごめんね」
 何故やーちゃんが謝るのかわからなかったけれど、返事をする余裕もなかった。トイレに、行ける。考えた瞬間、お腹がぎゅるぎゅると激しく唸る。その激しさに声が漏れそうになって、ぐっと堪える。
 だめ、もう無理、ほんと痛い、苦しい。トイレ、トイレ、はやく、トイレっ、うんち、もう我慢出来ない……!

 やーちゃんは先導するように、てきぱきと歩いていく。彼女の後ろをついてよろよろと外に出ると、そこには大勢の人がいた。他の人たちも映画を見終わって出てきたのだろうか。
 彼女の後に続いて、廊下の奥へ歩いていく。トイレ、トイレ、トイレっ。お腹はもうずっとぎゅるぎゅると動いていて、苦しくて重くて、出したくて堪らない。
 もう少し、あと少しで、トイレに。そう思っていると、やーちゃんは突然立ち止まる。
 あまりに突然だったので、彼女にぶつかりそうになって、慌てて踏みとどまった。体に力が籠り、ぷす、とお尻から空気が漏れる。恥ずかしさに、体が強張った。

 立ち尽くす彼女の向こうは行列が二つ、長く伸びていた。女性の列と男性の列、どちらも十人以上、ずらりと並んでいる。トイレに行くためにはこの後ろに並ばないといけない、ということだ。
 痛むお腹に触れて、列を眺める。どれだけ見つめていたって列は短くはならない。それどころか、こうしている間にも並ぶ人が増えて、列は伸びていく。

 やーちゃんがこちらを見る。スカートをぎゅうっと握りしめると、俺の隣を通り抜けて廊下を引き返した。
「やーちゃん」
「下の階に行こう。そこならもう少し空いてる、かも、だから」
 彼女は震えた声で早口に言う。慌てて後ろを追いかけて、ふたりでエスカレーターに乗り込んだ。
 やーちゃんもあまり余裕がないのかもしれない。大丈夫かなと少し心配になったけれど、他のことを気に掛けている余裕は無い。
 エレベーターで降りながら、お腹を擦る。痛い、苦しい、トイレトイレトイレ。硬いうんちが出口のすぐそこまで来ている。お尻がひくひくして、時折、顔を覗かせそうになる。必死に我慢して押さえ込むけれど、もう本当に無理だ。少しでも気を抜いたら出ちゃう。
 無理、お腹痛い。ほんとに苦しい。トイレ、はやくっ……。そうじゃないと、間に合わないかもしれない。嫌な想像が一瞬だけ浮かび、慌てて振り払う。我慢、我慢しないと。大丈夫、もう少しだ。だから、頑張れ。折れそうな気持ちを必死に奮い立たせる。

 やーちゃんの後を追いかけて、下の階へ降りる。ふたりして速足に歩いていくと、お店の並びの隅っこに、トイレの表示があった。その前には女性の行列。男性の列は無い。
「やーちゃん」
 声を掛けたけれど、続きの言葉が声にならない。自分だけ先に行くなんて。でも、もう本当に無理で、限界で。トイレに行きたくて、うんちがしたくて、出てしまいそうで。
 そうやって躊躇っていると、ぎゅるぎゅるお腹が唸る。あ、あ、だめ、トイレ、うんち、で、るっ……!

「やーちゃん、あ、のっ……!」
「もうひとつ、下の階なら」
 俺が言葉を探している間に、やーちゃんは早口にそう言って、今来た道を引き返した。
 息を飲む。え、待って、やーちゃん、待って。俺、本当に、もう、本当に無理、で、限界で、トイレ、もう、本当に。言葉の続きは出てこない。その間にもやーちゃんはどんどん歩いていく。
 待って、置いていかないで。小さくなっていく背中を慌てて追いかけた。

 無理、もう無理、出る、出ちゃう。出口をこじ開けようと内側からぐいぐいと圧迫されて、お尻がひくひくして、時折硬いうんちがじわりと頭を出しそうになる。そのまま思いっきり出してしまいたいのを必死に堪える。
 鈍い刺激。ぞくぞくと嫌な波が全身を走り抜ける。背中に嫌な汗が伝う。頭がぼーっとする。何も考えられない。前を歩く小さな背中をただただ追いかける。
 トイレ、トイレ、トイレっ。だめ、もうほんとにでる、でちゃう。ぐるるるとお腹が激しく唸る。だめ、だめ、でる、でるでるでる。我慢してるのに、出したくて出したくて堪らなくて、お尻が開いてしまいそうになる。
 いやだ、だめ、どうしよ、ほんとにもう無理、でる、うんち、でる、もれる、もうむり、うんちでるっ……!

 やーちゃんが立ち止まる。先程と同じような場所。その向こうには、見慣れた表示。彼女が何を見ているのか、どうして立ち止まっているのか、考える余裕なんてもう無かった。
 だめ、まだ、だめ。そう思うのに。我慢しているのに、硬いうんちがゆっくりと確実に出口をこじ開ける感触に、悪寒が走った。

 もう本当に限界だった。
 足が勝手に動く。彼女の隣を通り過ぎて、廊下の奥へ。やーちゃんが何か言おうとしたように見えたけれど、それを待ってはいられなかった。
「ごめん、やーちゃんっ……!」
 足を動かす。ああ、だめ、でる、ほんとにもう無理、トイレ、はやくトイレ、出る、漏れる、うんち、うんちでるっ……!

 トイレの扉を押し開ける。手前に小便器と、その向こうに個室。中には誰一人おらず、しんと静まり返っていた。
 ぎゅるるる、とお腹が唸る音が聞こえた。お尻が無理矢理こじ開けられて、うんちがじわじわと頭を出していく。あ、あ、だめ、でる、うんち、あ、あ、あああっ……!
 咄嗟に手でお尻を押さえて、縺れる足で個室に飛び込む。真っ白な洋式トイレが見えた瞬間、更に激しくお腹が唸る。
 鍵を掛けながら、反対の手で慌ただしくベルトを外す。まって、だめ、お願い、だめ、で、る。
 手が震える。がちゃがちゃと、ベルトを外して、ファスナーを下ろす。あ、だめ、だめだめだめ、やだ、でる、でちゃう、まって、あ、ああ、あぁっ……!

 まだ駄目、あと少し。それなのに、硬いうんちがじわじわと頭を出す。
 だめっ、あ、あ、あぁっ……! 息が乱れる。くねくねと体を捩って、ズボンと下着を引きずりおろす。

 座り込むのと同時に、ぐわっとお尻が大きく開いた。頭を出していたうんちがずるずると飛び出した。
「うぁ、あ、あぁっ……!」
 力を抜くことも入れることも要らなかった。大きく、硬く、ごつごつしたものが、お尻を広げて通り過ぎていく。我慢に我慢を重ねたものが飛び出した。
 ずるずると、硬くて重いものがお尻を擦りながら出てくる。その大きさに鈍い刺激を感じ、思わず声が漏れる。それを遮るように、ぼちゃん、と水溜まりを揺らす音がした。

「あ、あっ、は、ぁっ……」
 あれだけ苦しかったのが一気に快楽に変わった。爽快感に、安堵の息が漏れる。はーっと大きく肩で息をしていた。
 ぐるる、とお腹が唸る。うんち、まだ、でる。余計なことは考えられず、ただ体に任せて力を入れる。くう、と声が漏れた。
 お尻がぐわっと大きく開いて、また硬い物が這い出す。先程と同じくらい硬くて、大きくて、これ以上無いほどお尻が大きく広げられる。
 お尻がぴりぴりと痛む。お腹が苦しい、痛い。とにかく楽になりたくて、力を入れる。みち、みちと粘っこい音がして、少しずつ出てくるのがわかる。
「く、ぅっ、ん……んっ、あ、あぁっ……」
 苦しさは次第に快感に変わっていく。ゆっくり、ゆっくりと出てきた物が、最後は一気に飛び出して、べちゃ、と鈍い音がした。その爽快感に、力の抜けた声が漏れた。

 でた、まにあった、やっと、うんち、でたっ……。
 開放感と快感に、頭がぼーっとする。お尻がじんじんと鈍く痛む余韻すら心地良く感じた。
 快感にぼーっとしていると、再びきゅるきゅると鈍く疼く。全部出そうと、ぐうっと力を込める。お腹の奥に溜まっていたうんちが再び頭を覗かせて、ゆっくりと体から出ていく。
 どれだけ溜まっていたんだ。自分でも嫌になるくらいに、たっぷりと出る。でも気持ちよくて、すっきりと体に開放感が満ちていく。はあ、と安堵の息が熱く漏れた。

 +++

 トイレに座ったまま、ただ目の前の壁をぼーっと眺めていた。
 間に合った。いっぱい、出た。体から力が抜けて、ずっしりとだるい。でも、さっきまでとは比べ物にならないくらい体が軽い。
 解放感に酔っていると、ぶるりと体が震える。ぞくぞくと先程にも似た欲求を感じて、今度はしょろしょろとおしっこが溢れ出した。
 こっちは我慢していたつもりはなかったけれど、一度出始めるとなかなか止まらない。しばらく、ぴちゃぴちゃと水音が響いてから、やがて静かになった。

 すっきりした、気持ち良かった。はーっと長い息が漏れた。
 お尻を拭いて、水を流す。ちらっと見た便器の中には、大量に今出したものが溜まっていた。その量に頬が熱くなる。
 水を流して、服装を正す。それから、もう一度水を流した。……二度目で全部流れた。良かった。

 個室から出ると、外には変わらず誰もいなかった。手を洗うと、気持ちまでさっぱりする。そこで初めて、トイレに飛び込む前のことを思い出した。
 やーちゃん、怒ってるかな。大丈夫だったかな。今更ながら心配になる。
 とにかくまずは謝らないと。そう思いながら、トイレから出る。廊下には既に行列は無かった。反対側を見ると、そこに見慣れた姿を見つけて、一瞬固まった。
 やーちゃん。さっき迄の硬い表情ではなく普段どおりの様子に見えて、内心ほっとした。多分彼女もトイレを済ませたんだろうと思った。

 俺の方が先にトイレに行ったのに、彼女が俺を待っていたことに驚いた。長く待たせていたら。そう思うと、申し訳なさと恥ずかしさが一気に込み上げた。
「やーちゃん、え、と」
 近くに寄って、声を掛けて、その続きが上手く出てこない。やーちゃんはこちらをじっと見るけれど、それを見つめ返す余裕は無かった。
「……ごめん」
 恥ずかしさに負けそうになりながら、何とかごめんの言葉を口にする。やーちゃんは何でもないように笑った。
「ううん、私もごめんね。自分のことばっかり」
 そんなことない。俺こそ、彼女のことを気遣うなんて全く出来ていなかったから。

「行こうか。……あの、体調は大丈夫? 調子よくないなら、帰ってご飯にしようか」
「あ……、うん、大丈夫だよ。平気」
 そう伝えたけれど、やーちゃんは変わらず心配そうに言葉を続ける。
「どこかで休憩する? 何か温かいものでも飲もうか」
 多分、お腹のことを心配されているのだと思う。俺のこういう体の不調に関しては、彼女もよく知っている。それは有難い時もあるけど、恥ずかしくもある。
「大丈夫だよ。……あの、お腹壊してるとかじゃないから、大丈夫です。ごめん」
 彼女の言葉を否定する。恥ずかしくて、顔は見れない。俯いたまま、手を伸ばして彼女の手を握った。小さな手をぎゅっと掴むと、柔らかく握り返された。

 手を繋いだまま、ふたり並んで歩き出す。映画の前の不調は完全に消えて、走り出せそうなほどに体が軽い。今からどこに行こうか。やーちゃんとならどこでも楽しいに決まってる。
 本当なら、映画の感想でも見ながらどこかで休憩するのがお決まりだとは思う。でも、申し訳ないことに、内容なんてほとんど頭に残っていない。言ったら、呆れられるかもしれない。
 映画については出来るだけ触れないようにしようと、こっそり思った。

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初出: 2021年4月20日(pixiv・サイト同時掲載) 掲載:2021年4月20日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。