チョークが黒板を引っ掻く音だけが静かな教室に響く。音に合わせて増えていく白い文字を書き写しながら、静かに息を吐く。ただ座っているだけなのに、どんどん息が上がっていく。激しくなっていく呼吸をそっと押さえた。
目が時計に向くのは何度目だろう。四角く大きな黒板の上にある、丸く小さな時計。細い秒針は確かに進んでいるのに、長い分針はさっきからちっとも動いていないように思える。はやく、はやく。燻る思いを視線に乗せてぶつけると、ほんの少しだけ分針が進んだ。
手の平は汗でびっしょり濡れている。強く力を入れてシャーペンを握りなおして、増えた文字を書き写す。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。簡単な文字なのに、集中しないと書くことが出来ない。今書いている文章がどんな意味を持つかがわからない。それどころか、単語ひとつひとつの意味も全然理解できない。ただ手元の文字ひとつを見るのがやっとだ。
今まで何度も何度も書いたはずの文字なのに、線を一本引くごとに次はどうだったかを考える。ぐっと息を飲んでひとつ書き終え、また次の文字。顔を上げると、黒板には幾つも文字が増えていた。
次を書こうとした時、全身がぶるっと震えた。全身が硬く強張り、シャーペンを握りしめたまま手が動かなくなる。体が熱い。高鳴る鼓動に合わせて、熱い息が口から漏れる。じわじわ込み上げる衝動が体の中で暴れている。
だめ、だめだから。スカートがブラウスを押さえる丁度そのあたり。大きく張ったお腹の内側がじんじんと全身に響くように疼いている。
空いている左手が机の下で静かに動く。宥めるように服の上からお腹を撫でると、ほんの少しだけ落ち着く。けれど、それもほんの一瞬で、秒針が少し進むと再びじんじんと疼き出す。
足が震える。硬い椅子の上で、さりげなくお尻を動かす。スカートの下では、ハーフパンツに覆われた太腿が動く。落ち着きなく揺れて、ぎゅうぎゅうと押し付けるように寄せられて、小さく震えて、それの繰り返し。
かつかつ、音に合わせて文字が増える。手はシャーペンを握ったまま小さく震えるだけ。視線は文字より時計の針に釘付けだ。
ああ、だめ、はやく、はやく。思いが焦れて、落ち着かない。駄目だと、じっとしていないといけないと、そんな思いはどんどん隅に追いやられて消えていく。
大きな波が引いては押し寄せる。お腹の奥で大きく膨らんだものがきゅうと縮む感触。音もなく、体が身震いする。吐いた息と一緒に声が漏れそうになり、必死に飲み込む。
左手を膝の上で固く握りしめる。指が震えている。お腹がきゅうきゅうと疼いている。
どうしよう。時計の針はまだ全然進んでいない。それなのに、まるで私だけ時間の進みが速くなったかのよう。さっきまではもう少し落ち着いていられたのに。
ぎゅうと太ももを寄せて、その奥で疼くものを必死に押し留める。ああ、駄目、どうしよう。頭の中にあるのはそれだけで、黒板を見ても何も頭に入ってこなかった。
あまり水分を取るのではなかった。でも、喉が渇いていたから。
今日は少し冷えるから、もう少し厚着をしてこれば良かった。でも、朝は温かかったから。
さっき、無理をしてでもおトイレに行けば良かった。でも、時間が無かったから。
どうすることもできないのに言い訳を並べてしまう。そんなことしても、今の状況が何も変わらないなんてわかってる。
でも、もしかしたら、そんな言い訳を誰かが拾い上げてくれるかもしれない。それは大変だったね、と救いの手が差し伸べられるかもしれない。そんな訳ないのに、そんなことを期待してしまう自分もいる。
ぶるりと体が震える。ぞくぞく、お腹の奥から湧き上がるむず痒い衝動。ああ、だめ、どうしよう、どうしよう。
じっとしていられなくて、椅子の上でもぞもぞと体を揺する。ぎゅうと両足を寄せる。爪先が音もなく床を叩く。
右手は机の上でシャーペンを握ったまま固まっている。左手は膝の上でぎゅうと握って、時折動いてしまいそうになるのを必死に押し留める。
お腹の奥で大きく膨らんだものが、きゅうきゅうと縮もうとする感触。頭のてっぺんから足の先まで、大きな波が走り抜けて、体が震える。
あ、あ、だめ、だめっ。ぎゅううっと太ももを寄せる。足の付け根で出口がひくひくと疼く。固く握られた左手が勝手に下へ動いていく。そんな恥ずかしいことは駄目だと一度は留めたけれど、衝動は収まるどころかどんどん強くなる。呼吸を繰り返すごとに、ぞくぞくと波は大きくなっていく。
左手は、ぴたりと隙間なく寄せた両膝を割ってその奥へ。手を両足でぎゅうぎゅうと挟んで、全身に走るむず痒い衝動を必死に堪える。
ああ、おトイレ行きたい。おしっこしたい。もう他のことは考えられない。黒板の上、時計の針は少しだけ進んでいた。
あと、少し。もう少しだけだから。我慢、我慢、我慢。
一度は収まった波にふうと息を吐くと、次の瞬間には何倍にもなって押し寄せる。ああ、あ、だめ、我慢、我慢、我慢。あと少しだから、我慢、我慢しないと。そう思うけれど、沸き立つ衝動は全然収まらない。
左手がスカートの上から太腿を強く握る。ああ、あ、だめ、だめ、だめ。駄目だと思うのに、もう限界だと体が言っている。
ひくひく、出口が疼く感覚。お腹がきゅうきゅう疼いて、全身が悪寒で震える。
必死に踏みとどまっているのに、早く行けと背中をぐいと押されるような感じ。だめ、だめだめだめ、ほんとに、だめ、だめ、なのに。
あ、あ、あ。鈍くむず痒い衝動は強く大きく暴れて、出口を内側から抉じ開けようと刺激する。じわり、と熱いものが滲む感触に、弾かれたように左手が動いた。
だめ、だめだめだめ、だめっ。大きな波が押し寄せて、全然収まらない。咄嗟に、ぎゅうと指先が出口を押さえる。ズボンの中、濡れた下着が肌に押し付けられた。そうするとほんの少しだけ落ち着いた。
我慢、我慢、我慢っ……。ゆっくりと手を離して、太腿の上へ。落ち着きなく指先が動いて、スカートのプリーツを摘まんだ。
ふう、ふうと静かに呼吸を繰り返す。だめ、我慢、我慢しないと。でも、でもっ……。じっとしていることすら辛くて、硬い椅子の上でお尻が動く。おトイレ、行きたい、はやく、もうほんとにおトイレ行きたいっ……。
そっと視線を上げる。黒板にはまた文字が増えている。さっきから変わっているのは文字の数だけ。その上の時計は何も変わっていない。壊れているんじゃないかと疑ってしまうけれど、秒針は確かに進んでいる。
あと少し、あと少しだけ我慢すれば、おトイレに行ける。そんなことわかってはいる、けれど。
激しい波が押し寄せて、暴れる。お腹が破裂しそうなくらいに膨らんでいて、中身を出そうときゅうきゅうと疼く。
あ、あ、あ。じわじわ、沸き立つ衝動。必死に堪えて、我慢して、それなのに、全然収まらなくて。
じわり、出口が熱く滲む。咄嗟に左手が動く。太腿の間、更にその奥。スカートの上から、出口をぎゅううっと押さえる。ハーフパンツの下、柔らかい下着が熱く濡れていく。
だめ、だめ、ああ、でも、でもっ……。両足をぴたりと寄せ、その間で左手がぎゅうぎゅうと出口を塞ぐ。
だめ、我慢、しないと。そんなことをいくら考えても、真っ白な頭の中には鈍く、それでいて芯を持った物が陣取っていて、他の物なんて入ってこれない。
全身が強張っている。その中で、こぽこぽと沸き立つ感触が暴れまわる。ああ、あ、だめ、だめ、だめ。おトイレいきたい。はやく、おトイレ、はやく、もう、ほんとに、もうっ……!
ぎゅうと押さえる。出口がひくひくしている。お腹が重い。苦しい。中身を少しでも出して楽になりたい。体が全力でそう叫んでいる。
だめ、はやくおトイレ、おトイレ行きたい、おしっこ、おしっこしたい、もう、ほんとに、もうっ……。ぎゅうぎゅうと押さえる手が離せない。そうしていないと、溢れてしまう。
おトイレ、はやく、はやくっ。お腹はこれ以上ないくらいにいっぱいで。もう限界だと体が必死に訴えている。
時計の針は少しだけ進む。あと少し、もう少しだけ。そう思っても、もう本当に限界で。
全身が熱い。足が震える。じっとしていられない。両足が勝手に揺れて、ぎゅうぎゅうと寄せて、それでも足りないと、両足が交差してその奥の出口をぎゅうと押さえ込む。
左手で、スカートの上から出口をぎゅうぎゅうと押さえる。それでも波は全然収まらない。
だめ、だめだめだめ、我慢、我慢しないと。そう思うのに、思うだけで、体は本当の本当に限界で。
じゅう、と熱いおしっこが噴き出す。あ、あ、だめ、だめだめだめ、おしっこ、がまん、でも、ほんとにっ、だめ、だめだめだめっ、だめっ……!
体が硬く強張る。必死に我慢しているのに収まらない。ぎゅうぎゅう、強く押さえて、必死に我慢して、それでも、全然、収まらなくて。
左手でぎゅうぎゅう押さえる。右手の中にあるシャーペンを強く握る。だめ、おしっこ、おしっこでちゃうっ、もうだめ、ほんとにでちゃうっ、おしっこ、おしっこ、もうっ……!
時計の針は僅かに進む。あと少し、もう少し。それなのに、もう、本当に、本当に限界で。
おしっこ、おしっこしたいっ、それ以外考えられない。激しい衝動に泣き出したくなる。
あとちょっと、ちょっとだけだから。おしっこ、がまん、しないと、いけないのに、でも、でも、もう、ほんとにっ……!
じわり、じわりとまたおしっこが溢れる。下着がぐっしょり濡れている。我慢しているのに、押さえているのに、全然収まらない。
ああ、あ、だめ、でちゃう、もれちゃうっ、おしっこ、おしっこもうだめ、もれちゃう、でちゃう、おしっこでちゃうっ……!
あ、あ、あぁっ……! ぎゅうう、必死に押さえているのに。また、じわり、じわりと下着が熱く濡れていく。指先で、ぐじゅと濡れた感触。
だめ、だめだめだめっ、おしっこでちゃう、もれちゃう、だめ、だめ、おしっこ、おしっこおしっこおしっこっ……!
じゅうう、噴き出したおしっこが指先を濡らす。だめ、だめだめだめ。我慢しているのに、もう、ほんとに、ほんとに。ぎゅうぎゅう押さえて、我慢して、それでも、もう、ほんとに、ほんと、にっ。
おしっこ、おしっこおしっこおしっこ、だめ、でちゃうっ、やだ、いや、だめ、だめな、の、にっ……!
だめ、だめだめだめ、あ、あ、あぁっ、だめ、おしっこ、で、ちゃっ、あ、ぁっ……!
じゅう、じゅう、じゅ、じゅう。熱い、おしっこが、溢れる。
固い椅子の上、お尻が温かく濡れていく。頭の中が真っ白で、しゅうしゅうと噴き出すおしっこだけを感じた。
静かな教室に聞こえるのは、かつかつとチョークが黒板をひっかく音だけ。そこに突然、ぴちゃぴちゃと水音が混じった。
びちゃびちゃ、椅子から落ちたおしっこが床を叩いて、雫を散らす。靴が、靴下が、じわじわと濡れていく。
静かだった教室に、ざわざわと喧騒が広がっていく。たくさんの視線がこちらに向いているのがわかる。顔が上げられない。頭が真っ白で、ただ右手の中で震えるシャーペンだけが見えていた。
水音は少しすると止まる。ゆっくりと顔を上げると、こちらを見る無数の目が見えた。
ぐっしょり濡れたお尻。左手も、スカートと一緒に濡れている。
あ、ああ、あ。やっちゃった、おしっこ、我慢できなかった。おもらし、しちゃった。それを理解した瞬間、つんと鼻の奥が痛くなる。手が、足が、がくがくと震えた。
静かな中、聞きなれた声が私の名前を呼ぶ。向けられた視線の中で、友人はひとり立ち上がってこちらを見ていた。
「だいじょぶ?」
「あ、の、体調が、悪くて。……ごめんなさい」
じんと目尻が熱くなる。必死に堪えて、へらりと笑ってみたけれど、頬が引きつる。ちゃんと、笑えているだろうか。
「保健室行っておいで。片付けておくから」
ありがとうと言いたかったけれど、声を出すと泣いてしまいそうだった。小さく頷いて、椅子から立ち上がる。ぐっしょり重くなったスカートから、ぽたぽたと雫が落ちた。
+++
重い足を引きずって、保健室に入る。先生は何も言わずに、私を奥へ連れて行ってくれた。タオルと着替えがベッドの上に置かれて、仕切りのカーテンが引かれる。
ベッドの周りをカーテンが覆い、その中にいるのは自分ひとりだけ。誰もいないと思った瞬間、堪えていた涙が一気に溢れた。泣いちゃだめだと思うのに全然止まらなくて、涙を拭うブラウスの袖がどんどん濡れていった。
やっちゃった。おもらし、しちゃった。子供じゃないのに。我慢できなかった。みっともなくて、恥ずかしくて、今すぐ消えてしまいたくなる。向けられたたくさんの視線を思い出すと、それだけで体が震えた。
少し泣くと涙も落ち着いた。このままじっとしているわけにもいかず、鼻をぐすぐす啜りながら着替えを始める。
濡れて重くなったスカートを脱ぐと、中に履いていたハーフパンツも色濃く変わっていた。下着もぐっしょりと肌に張り付いていて、とても気持ち悪かった。
靴も靴下も脱いで、借りたタオルで濡れた肌を拭く。肌が乾くと、体も心も少しだけさっぱりした。借りた下着とスカートを履くと、見た目だけは落ち着く。
靴下は無かったので、素足で濡れた靴を履いた。これも持って帰って洗わないといけない。明日までに乾くかな。じっとり濡れた靴の感触はとても気持ち悪かった。
汚した服を纏めていると、がらがらと扉の開く音が聞こえて、咄嗟に息を潜めた。怪我とか病気とか、本来の目的で保健室に来た人かもしれない。それと比べて、今の自分は恥ずかしくてみっともなくて、見つかりたくなかった。
入ってきた誰かと先生が話す声。小さな声なので、何を言っているかまではわからない。少しすると、こちらに近付く足音が聞こえた。
「だいじょぶか? 鞄持ってきたから、ここ置いとくね」
聞きなれた友人の声に、緊張が一気に緩む。折角落ち着いたのに、またじわりと涙が込み上げた。
「だ、い、じょうぶっ。ありがとう」
ブラウスの袖で涙を拭って、さっきは言えなかったありがとうを言う。声は震えていたけれど、ちゃんと言うことが出来た。少しだけほっとした。
「体調良くないみたいだし、今日は早退する?」
「あ……うん、そう、しようかなと思ってた」
「そか。じゃあ、先生に言っとくよ」
「ありがとう。あの、片付けさせて、ごめんね」
「良いって。じゃあ、また明日ね」
カーテン越しにでも、彼女がひらひらと手を振ったのがわかった。また足音が聞こえて、がらがらと扉の開く音がして。保健室の中はふたたび静かになった。
荷物を纏めて、カーテンを開ける。先生以外には誰もいなかった。
「すみません、タオル、ありがとうございました」
「いえいえ。良いお友達だね」
「……はい」
言葉や行動は時々荒いけど、とても優しい素敵な友人。彼女がいてくれて良かったと思ったのは何度目だろう。
頭を下げて、保健室を出る。肩に掛けたいつもの鞄と、汚れ物をまとめた袋。授業中で人のいない廊下をひとり、玄関に向かって歩いていく。
『また、明日』 彼女の言葉が頭の中で響く。明日を考えると今から怖いけれど、きっと大丈夫だ。ぎゅうと鞄の紐を握りなおして、履きなれた靴を素足で履いた。
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初出: 2020年11月3日(pixiv・サイト同時掲載) 掲載:2020年11月3日