何故、救いの手は差し伸べられたか

 どうしよう。話は盛り上がっていて、適当に相槌を打ってはいるものの、内容は欠片も頭に入っていない。背中に汗が伝うのを感じながら、意識は全然違うところに向いていた。

 テーブルを挟んで、女の子が五人並んでいる。全員初対面で、最初に名前を聞いたけれど、失礼なことに誰一人思い出せなかった。
 そしてこちら側には自分を含めて男が五人。顔を知った友人が一人いるが、後は女の子と同じく初対面だった。
 要は合コンの人数合わせに呼ばれていた。飲むことは好きだし、普段こういう機会に恵まれないので、人数合わせと言えどそれなりに楽しんでいた。もちろん、参加する以上はあわよくばという気持ちもある。
 それなのに、今はすべてがどうでも良かった。早くお開きにならないかとすら思っていた。

 一番端の席なので、誰もこちらを見ないのが救いだった。テーブルの下で、両足は落ち着きなく動いている。手はグラスから離れて、ズボンの上から太ももを撫でていた。
 時々、ぞくりと刺すような衝動が駆け抜けて、堪えるために両足を交差させる。それでも収まらなくて、他から見えないのを良いことにズボンの前を手で押さえてしまう。

 お腹がずっしり重く膨らんでいるのがわかる。視線を上げると、グラスに半分ほど入ったハイボールが目に入った。時間が経っているので炭酸も抜けているだろう。既に何杯飲んだか思い出せなかった。
 最初は程よくアルコールが回って、楽しくおしゃべりするのに良い影響を与えてくれた。けれど、今はもう酔いなんて完全に冷めていた。はは、と愛想笑いを返しながら、内心全く笑えていなかった。

 ああ、やばい。本当にやばい。トイレに行きたい。行きたくて行きたくてたまらない。
 それならば席を立てば良いとわかっているものの、話が盛り上がっていて、どのタイミングで立てば良いか全く分からない。
 適当に相槌を打ちながら話が途切れるタイミングを探しているけれど、さっきから盛り上がりっぱなしだ。合コンとしては良いことなんだろうけれど、今の俺としては悪いことこの上ない。

 飲み始めてどれくらい時間が経つのか。店に入ってから一度もトイレに行っていない。量を飲んだのと酒の利尿作用とが合わさって体の中で暴れている。
 正確に言うなら、一度は行った。けれど、行っただけでそのまま戻ってきた。
 お店には男女共用の個室がひとつあるだけ。俺が向かった時には、既に女性が扉の前で立って順番待ちをしていた。すぐ隣で待つのもどうかと思い、少し離れたところで様子を見ていたけれど、なかなか個室は開かない。
 そうこうしていると、もう一人女性がやってきた。その場にいるのが何となく気まずくて、結局、用を足さずに席へと戻ったのが少し前だ。
 それからどれくらい時間が経ったのか。スマホを取り出せば確認できるけれど、怖くて出来なかった。思ったより時間が経っていても経っていなくても、辛くなりそうだった。

 ぞわぞわする悪寒が収まらない。ああ、トイレトイレトイレ。他のことは考えられない。会話の声は聞こえているのに、何を言っているのかが全然理解できない。はは、と愛想笑いを返すけれど、自分が笑えているかわからない。
 あ、あ、やばい、ほんとにトイレ、やばい、おしっこしたい。引いては押し寄せる波が、ぐわっと強くなって暴れる。
 堪えようと、机の下で足が動く。それでも収まらなくて、さり気なくズボンの上から股間を押さえた。そろそろ本当にまずい。無理やりにでも話を割って、席を立とう。頭ではそう思うのに、体が全く動かない。

 トイレ、おしっこ、おしっこしたい、ほんとにやばい、もう、もうほんとうにおしっこっ……! ぶるりと体が震える。はち切れそうなお腹に圧が掛かる。熱いおしっこが出口へ押し寄せる感覚に、全身に力が入った。
 うあ、あっ、や、ばっ……、といれ、おしっこっ……! 強く押さえて、溢れそうなおしっこを堪える。
 やばい、で、る、でる、おしっこ、といれといれといれっ……! 押さえても全然収まらない。ぴたりと寄せた両足がくねくねと暴れる。
 トイレ、おしっこ、他のことは何も考えられない。もう流れとかどうでも良い、何でも良いから席を立とうと思った。そのまま勢いで立ち上がろうとしたけれど、それより先に椅子を引く音がした。

 テーブルを挟んで反対側の端の席。一番遠い位置に座っていた女の子が静かに立ち上がっていた。
 会話が止まり、その子に視線が向く。彼女は特段気にした様子もなく、長くて艶やかな黒い髪を揺らして、小さなバッグを手にしていた。
「どうしたの?」
「トイレ行ってくる」
「はーい、行ってらっしゃい」
 その子はそう言って、すんなりと席を立った。その様子にさあっと血の気が引いた。
 俺もトイレ、なんてこの状況で言えない。同性ならともかく、異性のトイレに付いていくなんて。しかも初対面の可愛い女の子に。

 でも、本当に限界だ。もうこれ以上我慢できない。恥も何も捨てて、一緒に立ち上がってしまおうか。
 じんじん疼く尿意は全然収まらず、テーブルの下でみっともなくズボンの前を押さえて、どうしようかと焦っていた。その女の子はテーブルの横まで出たところで、立ち止まっていた。
「トイレ、どこだっけ」
「あっちを曲がって、奥を左だったかな」
「わかんない。……ね、直人くん、一緒にトイレ行こーよ」
 突然、かわいらしい声で名前を呼ばれて、飛び上がりそうなほどに驚いた。咄嗟にズボンの前から手を放し、彼女の方を見る。女の子はただ普通にこちらを見ていた。

「え、なんで直人指名?」
「けいちゃんの好み?」
「ん、それもあるし、さっき行ってたから場所知ってるでしょ。ね、行こ、直人くん」
 名前を覚えられていたことにも驚いたし、彼女がわざわざ俺を指名することにも本当に驚いた。けれど何より、彼女の申し出は今の俺には何にも勝る救いの手で、返事をするより先に椅子を引いて立ち上がっていた。

 男共の後ろを通り過ぎて、テーブル横にいる彼女の隣に向かう。ちゃんと歩いているつもりだけれど、ぎくしゃくと変な歩き方になっている気がする。
 お腹が重い。一歩踏み出すごとにぞわぞわと悪寒が増していく。と、いれっ。トイレトイレトイレ、トイレっ……! けいちゃん、と呼ばれた彼女に笑いかけてみるけれど、表情が強張っているのが自分でもわかった。
 こんな機会、滅多にないだろう。本当なら、距離を詰められる絶好のタイミングだと思う。それなのに、頭の中はトイレのことでいっぱいだった。とにかく今はトイレに行きたくて、おしっこがしたくてしたくて、他のことなんて欠片も考えられなかった。

 やいやいと囃し立てられながら、ふたりでテーブルを離れる。彼女の少し前を歩いて、先ほどと同じように店内を進む。
 膝が震える。同行者がいるのに速足になってしまう。はやくはやくはやく、本当にやばい、といれ、おしっこもれるっ……! 後ろに女の子がいるのに、腰が引けて変な歩き方になってしまう。
 かっこつけるまではいかなくても、せめて平静を装いたいのに、お腹の下あたりが重くてぞわぞわして落ち着かない。

 角を曲がって、奥を左へ。突き当りにトイレの扉が見えた瞬間、頭の先端から足の爪先まで大きな波が走り抜けて、ぶるりと体が震えた。声が漏れそうになるのを、ぐっと飲み込む。
 はち切れそうな程に膨らんだ重いお腹がじんじん疼く。本当に限界で、破裂寸前の膀胱が中身を押し出してしまう。じわあっと先端まで熱いおしっこで満たされていくのがわかった。
 咄嗟に押さえそうになったけれど、後ろに女の子がいるから出来ない。一瞬だけ勝った理性が行動を押し留める。その瞬間、じゅわあっと熱いおしっこが溢れて、下着を濡らすのが分かった。

 広がった熱さに、背筋に冷たいものが広がる。や、ばいっ、ちょっと、出たっ。じっとりと湿った下着が張り付く。やらかしたことを嫌でも感じてしまう。
 そこでちょっとでも収まってくれたら良いのに、尿意は更にぶわっと膨らんで体の中を満たしてしまう。理性なんて一瞬で押し流されて、震える足が止まった。
 あ、あ、や、ばいっ、トイレ、トイレ、おしっこっ、漏れる、でる、おしっこでるっ……!

 視線の先には扉があった。とい、れっ……! 縋るように手を伸ばそうとしたけれど、それより先に扉がこちらへ向かって開いた。中から人が出てきて、俺と女の子の隣を通り抜けていく。
 開いた。使える。トイレ。おしっこ! 中へ飛び込もうとして、僅かに残った理性が足を止めた。
 そうだ、今、一人じゃない。あの女の子、けいちゃん。そっと隣を見ると、彼女と目が合う。

 女の子はただじっとこちらを見ていた。それから黒い髪を揺らして、そっと扉へと手の平を向けた。
「良かったら、先、どうぞ」
 その言葉を聞いた瞬間、閉まりかけた扉を引っ張って中へと飛び込んだ。後ろで、ばたん、と勢いよく扉が閉まる音が響いた。
 目の前には洋式トイレ。待ち望んだ場所に、ぶるりと体が震える。やっと辿り着いたと頭が理解するより先に、体が準備を整えてしまう。ぱんぱんに張ったお腹がきゅうっと縮んで、中身を押し出す。

「っ、あ、あっ……!」
 まだ脱いでいないのに、先端からおしっこがじゅわっと滲む。一度湿った下着に、また熱い液体が染みていく。あ、あ、やばい、でる、でるでるでる、でる、おしっこ、おしっこで、る、っ……!
 じっとしていることすら出来なくて、便器の前で子どもみたいに足踏みを繰り返す。はやくはやくはやくっ、やばい、漏れる、ほんとに漏れる、でる、おしっこ、おしっこっ……!

 両手でがちゃがちゃとベルトを外す。ばたばたと足踏みの音が響く。引きちぎる勢いでボタンを外して、チャックを下ろす。
「あ、あ、っ、あぁっ……!」
 震える手で性器を引っ張り出す。じゅ、じゅうと断続的におしっこが噴き出すのが止まらない。先端を便器へと向けると、堪えきれずに溢れた雫がぴちゃ、ぴちゃと落ちて音を立てた。

 瞬間、じゅいいいい、と我慢に我慢を重ねたおしっこが勢いよく噴き出した。途端に快感に満たされて、体の芯がじいんと痺れる。
 はああ、と胸の奥から息を吐くのと同時に、じょぼじょぼと大きな水音が響く。やっと迎えた解放感と間に合った安心感に、膝が震えた。

 ま、まにあった……。本当に漏らすかと思った。肩で息をしながら、ぼーっと空を見る。居酒屋の狭いトイレが今は天国のようだった。
 はああ、と何度目かわからない溜め息が胸の奥底から漏れる。溜まりに溜まったおしっこは本当に気持ちよくて、頭の中が真っ白になった。

 じょぼじょぼとすごく大量に出ているのに、なかなかおしっこが止まらない。流石に飲みすぎたし、我慢しすぎた。酔う酔わないよりも、トイレのことを考えてペースを気にするべきだった。
 冷静さを取り戻し始めた頭でひとり反省会をする。そこで、もう一つ気付いた。
 さっきの女の子。けいちゃん、だったっけ。トイレについてきてほしいといった子。こうして落ち着きを取り戻してもフルネームが思い出せないのが申し訳ない。
 あの子もトイレに行きたかったはずなのに、先に譲ってくれた。しかも、こちらはお礼のひとつも言わずにトイレに飛び込んでしまった。
 今更思い出して、頬が熱くなる。切羽詰まっていたのがばれただろうか。恥ずかしい姿を見せてしまった。

 多分、今、彼女は外で順番を待ってくれている。早く出ないといけない。そう思うのに、おしっこが全然止まらない。本当に飲みすぎた。酔いなんて欠片も残っていないけれど、膀胱はまだ全然落ち着かない。
 最後はお腹に力を入れて、無理やり出し切った。残った一滴まで何とか出して、もう何度目かわからない深い溜め息を吐いた。

 ……すっきりした。気持ちよかった。自分の体なのに羽が生えたように軽い。水を流してから、ごそごそと服を整える。そこでじっとり湿った下着に気付いて、一度浮いた気持ちが沈む。
 着替えなんてないので、仕方なくそのまま下着を戻した。濡れた部分は冷たくなっていて、じっとり肌に張り付くのが気持ち悪い。けれど耐えるしかなくて、はあ、とまた溜め息を吐いてから、ズボンとベルトを元へ戻した。

 手を洗って、ペーパータオルで拭う。ちょっと緊張しながら扉を開けると、すぐそこで女の子は待っていた。
 扉が開くのに気付いたのか、彼女は手元のスマホから顔を上げてこちらを見る。目が合って、恥ずかしさが一気に込み上げた。
「あの、先、ごめん。ありがとうございます」
「どういたしまして」
 何か言われるかと思ったけれど、彼女はそれ以上何も言わなかった。俺が扉から離れると、入れ替わりに中へ入ろうとする。それから扉を開けたところで、彼女は小さく声を漏らした。

「あ、そうだ。先に戻るの、だめ」
 どうして、と思いながらもわかったと返事をする。正直、今の状況は色々と居たたまれないので先に席に戻っていたかった。
「ひとりじゃ絶対迷う。ちゃんと席まで連れて戻ってね」
「わかりました」
 俺が返事をするのを聞き届けてから、彼女は扉を閉めた。

 ひとり手持ち無沙汰で、ぼんやりと空を見つめる。五人の女の子を順番に思い浮かべていく。一通り顔を思い出して、一番気になるのはやっぱりこの子だった。
 正直、好みではある。黒髪でシンプルな服装は清楚ですごく良い。しっかりしてそうに見えたけれど、さっきの言い方だと実は方向音痴なのだろうか。それはそれでギャップがあって可愛いと思う。
 確か同い年だったはず。それから名前を思い出そうとしたけれどやっぱり思い出せない。けいちゃんと呼ばれていたけれど、今、俺が同じように呼んだら流石に馴れ馴れしすぎるだろうか。

 そういえば、と席を立つときの会話がぼんやり頭に過る。
『え、なんで直人指名?』
『けいちゃんの好み?』
『ん、それもあるし……』
 あの時はトイレに行きたい一心で、全然気にする余裕はなかった。
 あの発言はその場に合わせた冗談だったんだろうか。まだどんな人かわからないけれど、冗談を言いそうなタイプには見えなかった。
 もしかしたら本心だったりして。そうだったら、すごく嬉しい。にやけそうになって、自分の口元を手で隠す。

 見るものが無くて、つい目が扉へ向く。でも、あまりじろじろ見ていると変な奴になってしまうから、すぐに目を逸らす。トイレは他のテーブルから離れているからか、賑やかな店の中でも幾分静かな場所だった。
 ざあー、と水を流す音が扉越しに聞こえた。個室の中の音が結構聞こえるみたいだ。あんまり聞かないようにしないと、と考えて、そこで気付いた。

 さっき個室に入ったとき、かなり騒がしくしてしまったと思う。足踏みとか、その他色々。女の子みたいに出す時に水を流したりもしなかった。
 外で待ってた彼女に色々と聞こえていたんだろうか。ただでさえ切羽詰まってトイレに飛び込んだのを見られているのに、それ以上に恥ずかしいところを知られたかもしれないと思うと、頭を抱えたくなった。
 もう一度顔を合わせるのが恥ずかしくてたまらない。いっそ先に席に戻って、適当な理由を付けて店をこのまま出たいくらいだ。
 でも、そんな薄情なことをする勇気もなくて、結局その場で彼女が出てくるのを大人しく待っていた。

 そうしていると、扉がゆっくりと開くのが見えた。色々考えすぎて、顔を見るのがちょっと怖かったけれど、彼女はさっきまでと変わらない様子で出てきた。
「お待たせ」
「いえ、大丈夫です」
「席、戻ろっか。あっちだっけ」
「こっちです」
 真反対を指差す彼女に、やっぱり方向音痴なのかもしれないと改めて思った。

 席に戻って、そこから特別なことは起こらなかった。言っている間にお開きになって、全員で連絡先を交換してから別れた。
 二件目に行かないか誘われたけれど、けいちゃんと呼ばれたあの子は行かないみたいだったので、俺も行かなかった。
 あわよくば帰り道一緒に、みたいな下心もあったけれど、気付いた時にはあの子の姿はなくて、仕方なくまっすぐ帰宅した。
 風呂に入ったり着替えたりしてからスマホを見ると、今日のメンバーから何件か連絡が来ていた。俺もあの子に送ろうかな、と思いながらメッセージを確認していく。そして、その中のひとつを見て、思わずスマホを床に落とした。

『今日はありがとうございました
 トイレ案内してくれてありがとう 間に合って良かったね
 また今度お食事でも行きましょー』

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初出:2023年5月6日(pixiv・サイト同時掲載)
掲載:2023年5月6日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。