一緒に食べたケーキはとても美味しかった。お喋りをしながら飲んだ紅茶もすごく良かった。彼と一緒だと何をしても楽しくて、時間が過ぎるのはあっという間だった。
彼はとても優しい。かっこよくて、気遣いが出来て、本当に大好きだ。私も支払うと言っても、大丈夫だよと言っていつも奢ってくれる。帰る方向は反対なのに、いつも最寄り駅まで送ってくれる。
まだ明るい時間だから一人でも平気だよと言っても、彼はもう少し一緒にいたいからと少し照れ臭そうに言う。そんな風に言われると断れない。そんな優しいところが大好きだけれど、今はそれが心苦しかった。
電車に乗ると、椅子は空いていなかったので、彼と並んで扉の傍に立った。電車の揺れる音だけがする。話している人がいなかったので、自然と私たちも黙っていた。
隣の彼にばれないように、静かに息を吐く。普段よりちょっと大胆な短いスカートの下で、両足をさりげなく擦り合わせた。はやく駅に着かないかな。デートが終わる名残惜しさとは裏腹に、頭の中では駅への到着をはやくはやくと望んでいた。
温かくなってきたとは言え、ちょっと薄着すぎたかもしれない。ちょっと寒かったから、待ち合わせ前にココアを飲んだのが良くなったかもしれない。もっとお喋りしたくて紅茶をお代わりしたのも、今思えば良くなかったかもしれない。
そしてなにより、デートの間、一度もお手洗いに行かなかったのが一番良くなかったかもしれない。
肌の上をぞくぞくした感覚が走る。車内が特別寒いわけでもないのに、体がぶるりと震えた。お気に入りのパンプスの内側で、爪先にぎゅっと力が籠る。
スカートの内側で、両足をさりげなく擦り合わせた。今どのあたりかを確認するふりをして、窓の外を見ながらそっと体を揺すった。
ああ、どうしよう。……お手洗いに行きたい。お店を出た時から、そのことばかり考えていた。
おへそのあたりがずっしり重い。ぞわぞわする嫌な感覚が体から離れなくて、落ち着かない。そわそわと体が動いてしまうのを、出来るだけ抑える。
いつもそうだ。デートは楽しくて、とても幸せな時間を過ごせるけれど、時間が経つにつれて、私はお手洗いのことしか考えられなくなってしまう。
生理現象だから、恥ずかしがることじゃないと頭ではわかっている。でも、いざ彼の顔を見ると、恥ずかしくて言葉が出てこなくなる。まだ平気だし、ここで行かなくても違う場所で行けば良いやと後回しにしてしまう。そして、今日みたいな状況を繰り返してしまうのだ。
デートの約束をする度、次こそはちゃんと言おうと思うのに、いざその時になると喉が詰まったように苦しくなって、恥ずかしさで頭が真っ白になって、何も言えなくなる。
彼が途中でお手洗いに行ってくれたら、私も行ってくるねと言いやすいけれど、デート中に彼が席を外したことは一度もない。トイレが遠いのかもしれない。羨ましいな、と心の底から思う。私も、お手洗いのことなんか気にせずに、最初から最後までデートを楽しめたら良いのに。
彼の隣でお手洗いのことばかり考えながら、さり気なく体を揺すって、足を動かして、そうやって気を反らしながら何とか私の最寄り駅に辿り着くことが出来た。電車の中でお別れでも全然構わないのに、彼は律儀に改札の前まで私を送ってくれる。
歩きながら、自分の心臓がどくどくと大きく響くのがわかった。あとちょっと、もう少しだけ。両足の付け根で出口がひくひく疼く。今日飲んだ物が、おへその下あたりをずっしり重く大きく膨らませている。足を踏み出すたびに、その塊を感じずにはいられなかった。
有難いことに、この駅は改札のすぐ向こう側にお手洗いがあった。壁に描かれた大きなお手洗いのマークは嫌でも目に入って、瞬間、お腹の下がきゅうと疼いた。あ、あ、だめ、お手洗い、おトイレ……おしっこっ!
ぞわぞわした感覚が一気に強くなる。弾かれたように動いた手がスカートの前に伸びそうになって、代わりに裾をぎゅっと握った。
ぞわぞわした感覚が体いっぱいに広がる。頭の中がぐちゃぐちゃになって、そのままトイレに向かって走りそうになるのをぐっと抑えた。
息が浅くなる。背筋が伸びる。スカートの中で、太ももがもじもじ動いてしまう。下着の内側で、おしっこの出口がひくひく疼いている。やだ、だめ、トイレ、トイレっ……! 小さく息を吐いて、震える指で鞄の持ち手をぎゅっと握り締めた。
「じゃあ、ここで。今日はありがとう」
「う、うん、こちらこそ。楽しかったです」
「俺も。じゃあ、またね」
彼は柔らかく笑って、背中を向けた。私から離れていく姿に手を振りながら、反対の手でパスケースを取り出す。
ばいばいしたから、デートは終わり。今からは私一人の時間。ぶるりと体が大きく震えた。
今すぐ、本当に今すぐトイレに行きたい。でも、彼はまだそこにいる。トイレに駆け込む姿なんて見られたら、恥ずかしすぎて生きていけない。
彼の背中が突き当りに辿り着いて、角を曲がるのが見えた瞬間、私も背中を向けた。パスケースを叩きつけて、震える足を必死に動かして改札を出る。そのまま足を止めることなく、ただまっすぐとトイレへ向かった。
あとちょっと、もうちょっとだけ、がまん、がまんっ……! トイレの中に入ると、ヒールが大きな音を立ててタイルを叩く。小さく浅い呼吸を繰り返しながら、ただ前を見つめて、一心不乱に目的の場所へ向かう。
有難いことに、ここのトイレはいつも空いていた。息がだんだんと荒くなっていく。一番手前の個室に飛び込むと、思わず声が漏れた。
「っ、あ、あ、あっ」
お腹がきゅうと疼く。出口がひくひくして、熱いおしっこが押し寄せてくる。鞄を投げ捨てて、スカートの上からぎゅううっと押さえた。あっ、あ、だめ、おしっこ、おしっこっ、あ、あぁっ……!
子どもみたいにじたばたと足踏みを繰り返しながら、扉を閉めて、なんとか鍵も掛けた。かつかつと足音が響く。
あとちょっとだけ、ちょっと、ああもうだめ、おしっこ、で、ちゃう、あっ、あっ……! 細く息を吐きながら、両手で思いっきり下着を下ろすと同時に、お尻をトイレへと向けた。
瞬間、じゅいいい、と水音が響いた。中腰の体勢で、我慢していたおしっこが勢いよく溢れ出す。体が気持ち良さに満たされていって、はああぁ、と胸の奥から熱い溜息が漏れた。中途半端に浮いていたお尻が便座にぺたりと触れた。
あぁ、良かった、間に合ったぁ……。安心と解放感と気持ち良さで、頭がぼんやりする。我慢していた時の辛さが嘘のように、今は気持ち良さしか感じない。快感が肌の上からちくちくと刺激する。
頭が真っ白になっていた。じゅううう、と音を立てて吹き出すおしっこの音を聞きながら、意識がぼんやりしていく。ぽかんと口が開いていることすら気付かなかった。
そのままどれくらいぼーっとしていたのか、自分でも信じられないくらい長い間、おしっこは出ていた。やっとお腹がすっきりして、もう一度息を吐く。それから、自分が今、駅のお手洗いにいることに改めて気付いて、恥ずかしさと情けなさがじわじわとこみ上げた。
……今日も、危なかった。最近はデートの後、ここに飛び込むのがお決まりになってしまっている。駅から自宅まで十分も掛からないのに、それすら我慢できない程にぎりぎりになってしまう。時には、ここのお手洗いすらぎりぎりで、下着をちょこっとだけ濡らしてしまった日もある。
もう大人なのに、ぎりぎりまで我慢するなんて情けない。ちゃんと言わないといけないと頭ではわかっている。生理現象なのだから別に変なことではない。誰だってお手洗いに行くとわかっている。でも私の小さな乙女心は、彼にそんなこと言えないと主張している。
でも、このままだと大変だ。今日は大丈夫だったけれど、もし間に合わなかったら。想像しただけで恥ずかしくてみっともなくて、絶対に嫌だと強く思う。
次のデートでは、ちゃんと言えますように。トイレットペーパーに手を伸ばしながら、溜息がもう一度零れた。
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初出:2024年3月18日(pixiv・サイト同時掲載)
掲載:2024年3月18日