Club Satisfy 2

 あの日貰った多額のチップは手を付けずに、机の上に無造作に置かれている。使わないなら使わないでしまい込めばいいとは思うけれど、目に付くところにそのまま置いておきたかった。
 俺の中で、この封筒があることがあの日の出来事が現実に起こったという証明になっていた。夢であると言われれば信じてしまいそうな程、非日常的な出来事。でも、夢だとは思いたくなかった。あれは現実なのだと、実感したかったのだ。

 あの日から今日でちょうど一週間。
 待ち遠しく思っていた自分がどこかにいたのだろう。朝から落ち着かない気持ちだった。布団で横になって時間を潰しながら、スマホにちらちらと目が行く。
 彼女は依頼をするのだろうか。俺を呼ぶのだろうか。Aから電話は掛かってくるのだろうか。考えないようにすればするほど考えてしまう。
 彼女の顔は既に記憶の中で靄が掛かり始めていたけれど、声だけははっきりと覚えている。俺の背中に掛けられた彼女の柔らかい声。震えたあの声に、俺はあの時なんと言おうとしたのだろう。
 また俺に会いたいと彼女は言った。俺は、……俺は。

 普段なら気付いた時には夕方になっていて、また一日を無碍に過ごしてしまったと思うくらいあっという間に過ぎるのに、今日はやけに長く感じる。
 カーテンの隙間から差し込む日の光に昼時だと知らされ、のそのそと起き上がる。冷蔵庫の中にある物を適当に食べて、どうしようかと考えながらも結局また布団に戻った。
 横になったまま、壁に掛けられた安物のスーツをぼんやりと眺めた。出しっぱなしのスーツはあの日以来触れていない。ただ、こうして眺めることは多くなっていた。

 ごろごろして、スマホを触って、ついつい着信履歴を開く。一週間前、Aからの着信があった時刻を見て、今の時間を見て、まだその時間までは余裕ががあることに安堵とじれったさを覚えた。
 俺は、会いたいのだろうかと自問する。答えはあったが、見ないふりをした。わかりたくないと思って、わからないふりを続けた。

 じわりとむず痒いあの感覚を覚え、寝返りを打つ。
 別に言う通りにする必要はない。彼女だって、会って話をするだけでも良いと言っていた。普通に行って、普通に話をするだけで給料がもらえるのだから。彼女のお願いを聞く必要なんてどこにもない。
 それでも今こうして耐えているのは、まだそんなに行きたくないだけだから。自分に言い訳をし、また寝返りを打つ。時間は経ってはいたがまだまだ余裕はある。何なら今から出かけて、しばらく遊んで帰ってきても足りるくらいだ。
 いっそ寝てしまおうかと目を閉じるが、全く眠気を感じない。代わりに感じるあの感覚に、また寝返りを打った。違う、違うと、言い訳をする。誰も何も言っていないのに何が違うのか。でも、違うのだと俺は自分に言う。
 落ち着かない。認めてしまえばいいのだろうけれど、認めたくなかった。そう思っている時点で、認めているのと同じなのだろうけれど、それでも違うと言い張りたかった。認めてはいけないと強く思うのは何故なのだろう。自分の中の知らない部分をかき回されているような、居心地の悪さだった。
 あの日のあの時の光景が勝手に脳裏に浮かぶ。目を逸らしたいのに、凝視している自分がいる。違う、違うと首を振る。
 あの感覚が強くなっていく。まだそんなに行きたいわけじゃない。また言い訳をして、寝返りを打つ。夕方まではまだ遠い。

 何度も何度も寝返りを打って、手持無沙汰のあまり、起き上がって身支度を始めた。もしかしたら先週より早く連絡が来るかもしれない。そんなよくわからない言い訳をしながら、顔を洗い、髪も整えて、スーツに袖を通す。あの日と同じ格好になると、余計にあの日のことが思い出された。
 電話はまだ来ない。リビングに座りスマホを弄る。ただ集中力は全くなかった。ゲームを始めてもすぐに止めてしまう。ブラウザを開いてもすぐに閉じてしまう。落ち着かない時間を過ごしながら、着信履歴にある先週のAからの着信の欄を見ることがだんだん多くなっていた。
 待ちきれないわけじゃない。別に待っているわけじゃない。連絡が来たら良いなとは思う。しがないフリーターにとってはお金はいくらあっても困らない。

 あの感覚はどんどん強くなっていく。それとは裏腹に喉はからからに乾いていて水分を求めた。飲むべきではないと止める自分が頭の端にいたけれど、すぐに追いやられた。
 欲求に任せて、手元にあったペットボトルに口を付ける。昨日から置きっぱなしのそれは炭酸が抜けて生ぬるい。一気に飲み干したが物足りず、冷蔵庫を開ける。常備しているスポーツドリンクを飲み干すと喉の渇きは落ち着いた。
 結構な量を飲んでしまった。それがなんだかとても悪いことをしたように感じる。それなのに気分は高揚していて、自分の鼓動がばくばくとうるさく鳴るのを感じていた。

 だんだんと日が傾き始める。まだかまだかと焦れる気持ちは裏腹に、まだ電話は鳴らない。
 スーツのまま横になったが、落ち着かずに体を起こす。万年床の布団の上で胡坐をかいて、それでも落ち着かずに座り方を変える。
 一度済ましてしまおうか。別に行ってはいけないわけじゃない。それなのに、もう少しだけ待とうとも思ってしまう。もう少しだけ、あと五分だけ待って、電話が鳴らなければ済ませてしまおうと思いながら、もう何分経ったことか。

 意識はだんだんと手元のスマホより向こうにある扉に向けられていた。
 ちょっとやばいかもしれない。ぞくぞくと、嫌な感覚は更に強くなる。
 もう少しだけと粘る気持ちがだんだんと萎んでいく。電話は鳴らない。もしかしたら、掛かってこないかもしれない。彼女だって心変わりをしている可能性もある。

 布団から立ち上がった。ずっしりと重くなった下腹部に、嫌な悪寒を感じる。仮に電話がかかってきたとしても、済ませた状態で行くことに何も問題はない。
 意固地に待つことを選んでいた自分の背を、たくさんの理由がゆっくりと押していく。

 ゆっくりと足が動く。一歩踏み出し、二歩踏み出し、そして三歩。足が布団から出た瞬間、スマホがピロピロと鳴り出した。咄嗟にその場で足が止まった。
 机の上で鳴るスマホの画面にはAの一文字。手が、足が、唇が震える。取らないと。でも。視線がスマホから向こうの扉に向く。きゅうと下腹部が縮み、ぞくぞくと嫌な感覚が強くなる。
 スマホは鳴り続けている。出ないと、でも、でも。スマホを見て、扉を見て、スマホを見て、そして何故か彼女が浮かんだ。既にはっきりとは思い出せない、でもあの震えた声が耳の奥できいんと響く。

 震える手でスマホを持ち、電話に出た。手持無沙汰な反対の手が、ズボンの前に勝手に触れて、そこをぎゅっと押さえていた。
『Club Satisfyです。ユウくん、今日の七時から大丈夫ですか?』
 淡々としたAの声。あの時と一言一句変わらない言葉。
「はい、大丈夫です」
 先週と同じ言葉を返す。唇が震えていた。声が震えそうになるのをぐっと堪えた。
『わかりました。それでは、六時二十分頃に車を向かわせますので、身支度などをお願いします。服装の指定は特にありませんので』
 それだけのやり取りで電話は切れた。
 スマホを握りしめたまま、俺はその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
 Aは客が誰とは言わなかったが、俺は何故か確信を持っていた。間違いなく彼女だ。黒く長い髪を揺らした、何の特徴もない普通の女性。彼女に会えると決まったのが、嬉しくて、ただ嬉しかった。
 張り付けていた言い訳が全て剥がれ落ちていく。また俺に会いたいと彼女は言った。俺も、また彼女に会いたかった。会って、あの時感じたあの思いをもう一度したかった。

 ぞくぞく、と尿意はどんどん強くなっている。向こうの扉に勝手に目が行く。トイレ、行きたい、けど。息を飲んでその思いを押しとどめようとするけれど、時間とともに膨らんだ尿意はそんなものを簡単に蹴散らそうとする。
 結構やばい、トイレに行きたい。普通なら、とっくの昔に済ませているぐらいの尿意。まだ大丈夫だと、まだ我慢できると嘘でも言いたかった。けれど、嘘でも言えないほどには切羽詰まっていた。

 我慢、我慢、もう少しだけ我慢。トイレを意識しないように部屋の奥を向く。それでも尿意は全然治まらず、自室でひとり体を揺すって切ない衝動に耐え続ける。
 時折、尿意が治まる瞬間はあったものの、それもほんのわずかな時間。次の瞬間には先程より強くなった尿意が襲い掛かる。
 迎えの車が到着するまでもう少し。我慢、我慢、我慢と自分に言い聞かせる。我慢すると決めた、の、だ、けれど。今決意したことが揺らぐ。結構、やばい、かもしれない。
 下腹部はふっくらと膨らんでいる。ベルトを緩めると尿意は少しましになったけれど、それも気休め程度だった。根本を解決しないと何の意味も持たないことはよくよくわかっていた。

 じっと我慢できたのはほんのわずかな間だった。すぐにじっとしていられなくなり、立ち上がって家の中をうろうろと歩き回る。我慢、我慢、我慢。ああ、でも。高まった欲求は俺の意地を簡単に引きはがしてしまう。ああ、トイレ、トイレ行きたい。全身が熱くて、こめかみを汗が伝った。
 思い返せば、今朝起きた時にトイレに行ったのが最後だ。朝食と、昼食と、その後の水分補給と、それらすべての水分が排出されずに溜まっている。
 時々立ち止まるが、そうすると膀胱に溜まったものが一気に降りてくるのを感じて、また歩き回る。でも歩いていると今度は振動のせいで出てしまいそうになって、だからまた立ち止まって。ぐるぐると同じことの繰り返し。
 我慢、我慢すると決めた。でも、ああ、ほんとにトイレ行きたい、すごく、すごく行きたい。

 尿意はどんどん込み上げてきて、全身を悪寒が大きく揺らす。その瞬間、しょろ、と出口から雫が零れだしてしまい、咄嗟にズボンの上からそこをぎゅうっと握った。
 ああ、やばい、ほんとにやばいかもしれない。トイレ行きたい、ほんとに行きたい、おしっこしたい。我慢すると決めたのに、おしっこがしたくてしたくて、もうトイレのことしか考えられない。
 ああ、もう、おしっこしたい、何でも良いからしたい。手でおしっこの出口を握ったまま、じっとしていられずに、またうろうろと歩き回る。そんな誤魔化しもだんだんと効かなくなっていて、出てしまいそうな瞬間は何度もあった。その度にぎゅっぎゅっとそこを握る。
 まっすぐ立っていることすら辛くて、前屈みになって股間を握りしめたまま、家の中を歩き回る。馬鹿みたいだと頭の隅で思ったものの、それもすぐに消える。それどころではなかった。
 トイレ、トイレトイレトイレ、ほんとにやばい、トイレ行きたい、ああ、もうほんとに、ほんとにおしっこしたいっ……。

 歩き回って、時々立ち止まって、また歩き回って。子供みたいに股間を押さえたまま、前かがみでひょこひょこ歩き回って。気付いた時にはトイレの扉の前にいた。
 きっともうすぐ車が来る。もう少しだと、もう少しだけ我慢するだけだとわかっている。
 けれど、もうほんとのほんとにやばかった。おしっこしたい、おしっこしたい、このままだと、ほんとにやばい。

 ああ、トイレ、トイレトイレトイレ、トイレ行きたい、もうほんとやばい、だから、だから。
 ずっと、朝からずっとずっと我慢してる、もうこれ以上我慢できない、だから、だから。
 おしっこしたい、ほんとにおしっこしたい、もうほんとにしたい、だから、だから。
 言い訳が重なり、体を動かしていく。片手で股間を押さえたまま、反対の手が伸びた。じっとしていられず両足はすり合わせるように足踏みを繰り返す。
 ごめんなさい、ほんとにごめんなさい、でももう限界で、我慢できなくて、もれそうで、だから、だから、だから。

 誰かに謝りながら、片手をドアノブにかけた。その瞬間、全身に安堵が浮かぶ。求め続けた救いの道がその向こうにあるのだと、全身が理解していた。
 ごめんなさい。名前も知らない彼女に謝る。
 ごめんなさい、もう、もうほんとに我慢できないから、ほんとにおしっこもれそう、だから、だから、だから。
 ごめんなさい、もうむり、おしっこ、おしっこしますっ……。

 ぴりりり、とリビングから聞きなれた着信音が聞こえた。全身がピタリと動きを止める。真っ白になった頭が僅かな冷静さを取り戻す。
 電話の着信音はワンコールで切れた。それは迎えの車が来た合図。
 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。そんな、だって、だってもう。これからの状況を考えただけで泣き出しそうだった。だって、だって、今から車に乗って、ホテルに行って、部屋に向かって、なんて。そんなの、絶対無理だ。もうほんとのほんとに限界で、おしっこ、ほんとにもれそうで、もうほんとに無理で。
 でも、冷静さを一瞬でも取り戻したのが駄目だった。脳裏に彼女の姿が浮かぶ。あの時の感覚が蘇る。

 しん、と静まり返った家の中、自分の荒い呼吸だけが響く。
 絶対無理だ、無理、これ以上我慢するだなんて絶対に無理だ。心の底からそう思う。なのに。
 俺に会いたいと彼女は言った。俺も、会いたい。

+++

 車に乗り込むと、ホテルの部屋番号が伝えられた。運転手は何も言わずにただ車を走らせる。
 後部座席で出来るだけ冷静を装いながらも、もう頭も体もぐちゃぐちゃで、泣き出しそうになっていた。膀胱はもうこれ以上ないほど膨らみ切っていて、ほんの少し指先で突いただけでぱつんと張り裂けそうだった。
 はやくはやくはやくっ。急かしても車のスピードは変わらない。それでも望まずにはいられない。後部座席でばれないように膝をすり合わせ、そこをぎゅうっと握って、俺はただただ耐え忍ぶ。
 おしっこおしっこおしっこ、おしっこしたい、おしっこ、ほんとにやばい、ほんとにもうむり、もれる、おしっこもれる。
 おねがいはやく、おしっこ、はやくおしっこ、だめ、ほんとにだめだから、おしっこ、おしっこもれる、ほんとにおしっこもれるから、たのむからはやくおしっこっ……。

 車の中で何度も何度も漏らしそうになった。その度ぎゅうっとそこを押さえて、必死の思いで我慢する。運転手は何も言わなかったけれど、ばれていたかもしれない。でも、もうそんなことどうでも良かった。
 口先でお礼を言って、車から降りる。高くそびえるホテルに委縮する余裕なんてもう無かった。まっすぐに、ただまっすぐに歩いて、奥のエレベーターに乗り込む。他の客なんて目にも入らなかった。

 幸運にもエレベーターには俺ひとりだけだった。その瞬間、もう耐えきれないほどの尿意が襲い掛かり、俺は何も考えられず、ただ股間を両手でぎゅうっと握る。
 はやくっ、はやくはやくほんとにはやくっ。おしっこ、もう、でる、ほんとでる、ほんとにでるから、もうやばいからっ。
 ぎゅうぎゅうと握っているだけではもう我慢出来ず、その場でじたばたと足踏みを繰り返す。
 おしっこ、なんでもいいからおしっこ、おしっこしたい、もうむり、ほんとむり、もれる、もれる、おしっこもれる、おしっこでるからっ。

 エレベーターはどんどん上に登っていく。もう本当に限界で、じわり、じわりと出口から熱いおしっこがにじみ出る。
 ああ、ほんとにでる、はやくはやくはやくっ。ほんともうむり、むりだから、ほんとにはやくして、ほんとやばい、おしっこ、おしっこおしっこおしっこ、もうおしっこでるっ……。

 目的の階で扉が開く。本当に本当に幸運だったのだろう、廊下は全くの無人だった。人がいたところで平静を繕う余裕なんてかけらもなかった。
 走り出したかったけれど、もう走ることも出来ない。膀胱はもう一寸の隙間もないほどおしっこで満たされている。これ以上注ぎ込んだら本当に破裂すると思うほど。
 表面張力でぎりぎり保っているグラスを抱えているようにゆっくりとしか進めない。股間を押さえたまま、前かがみになって、そろそろと不格好に廊下を歩く。

 一つ目の扉を越える。じわり、とおしっこが出口に滲む。押さえているのに、我慢しているのに。ああ、まだだめ、もうすこし、もうすこしだけ、おねがい、おしっこ。
 二つ目を越える。強すぎる尿意に立ち止まったけれど、すぐに歩き出す。歩いていないと駄目だった。立ち止まると逆に一気に出てしまいそうだった。。
 そして三つ目を越える。ぞくぞくっと大きな尿意の波に、足が止まる。動くと、出る。でも、このままでも、出そうで。ぎゅううっと強く性器の先を握るが、じゅう、とおしっこがあふれ出す。ひょこひょことその場で体を揺らすが、全然治まらない。

 ああ、も、むり、でる、おしっこでる、でる、ほんとに、も、むり。
 泣き出していたかもしれない。けれどそれもわからないほど、頭の中はおしっこでいっぱいで、他のことは欠片も考えられない。
 でる、ほんとにでる、でる、でる、おしっこ、おしっこでる、おしっこおしっこおしっこ、おしっこもれる、おしっこでるっ……!

 引きずるように前に進んで、四つ目の扉。そこが車の中で聞いた部屋番号、あの時と同じ番号だった。
 じゅわ、と手の中が熱くなる。震える手で呼び鈴を押した。
『はい、どちら様?』
 耳に焼き付いていた声が聞こえた。
「Club Satisfyです」
 言葉はひどく震えていた。がちがちと歯が鳴る。頭が、体が、出口が、握った手が、熱い。
『すぐ開けるわ、少し待って』
 待てない、少しなんて待てない。すぐも待てない。もう一分一秒も待てない。
 ほんとにむり。我慢して我慢して我慢して、もう限界なんて何度も超えてる。ほんとにもうむり、でる、おしっこでるから、はやく、もう、もうほんとに、おしっこ、おしっこでるっ……。

 ロックが外れる音。扉がゆっくりと開く。手は離せなかった。背筋は伸ばせなかった。
 彼女がいた。不格好な俺を見下ろして、驚いたように目を丸くしている。何か言おうとした。けれど、声は出なかった。
「こっちっ!」
 彼女はひっくり返った声でそう言い、俺の手を引いた。引きずられるように、部屋の中に入る。一歩、二歩、進んで、扉が閉まって。
「ユウくん、」
 彼女の上ずった声。会いたかった、会えた、あの時に戻ってきた。

 全身ががちがちで、どこを動かすことも出来ない。ただ両手で握りしめたそこから、おしっこが、しょろ、しょろと力なく溢れて。あ、あ、おしっこ、でて、も、あ、ああ、あぁっ。
「こっち、これる?」
 部屋の中に進もうとしたけれど、足が上手く動かない。限界に限界を重ねた体は、本当の限界だった。
 彼女に手を引かれると、その勢いに任せて俺の体は彼女に覆いかぶさるように前に倒れた。反射的に手が前に出て、彼女の顔の横につかれる。
 まるで、押し倒しているような状態だった。そして、あ、と思った時には、もう遅かった。

 膀胱は破裂する代わりに、出口に向かってその中身を放出する。つっかえになる物は何もなかった。
 じゅうーっと、おしっこが、出た。じゅう、じゅ、じゅう、と断続的に熱いおしっこが溢れ、下着の中で渦を巻く。おしっこはズボンを濡らし、そしてその下の彼女の腹のあたりにそれは降り注ぐ。
「う、あ、あっ、あ、ああ、あっ……」
 頭は真っ白で、ただおしっこが出ていることしかわからない。だめだ、なにか、なにか。どうにかしないとと思うけれど、体は何も言うことを聞かない。

 視線の先、彼女が目を丸くしてこちらを見ている。じゅ、じゅ、とおしっこは間隔を置いて噴き出している。止めないと、どかないと。頭でわかるだけで、体は何もわかってくれない。
 やばい、やばいやばい、どうしよう、どうしたら。慌てていると、柔らかな手が頬に触れる。
「大丈夫、大丈夫、」
 上ずった声だった。
「大丈夫だよ、よく頑張ったね」
 その上ずった声で彼女はそういうと、優しく頬を撫でた。丸い目は和らげられ、ただまっすぐにこっちを見ている。その目に見つめられると、鼻の奥がつんと痛くなった。

 は、は、と短い呼吸と一緒に、おしっこがじゅ、じゅ、と出ていた。それを繰り返しながら、彼女の手に甘えるように頭を下げた。
「ごめん、なさっ……」
 謝ると同時に、じゅうーっとおしっこが一気に出た。ぶじゅー、じゅう、じゅーっと勢い良い音が響く。あ、あ、おしっこ、でてる。すごい勢いだった。いっぱい我慢したから、ものすごくいっぱい出てる。やばい、すごく、すごく気持ちいい。お腹がどんどん軽くなっていく。
 はあ、と大きく息を吐く。ああ、と快感が声になる。頭が真っ白で何も考えられない。ただ気持ちいいと思った。やっとこれを味わえたと頭のどこかでそう思った。

 徐々に頭は冷静になり始める。おしっこは一度止まったけれど、まだ残っているのを感じる。少し力を入れるとまた、しょろ、とおしっこが出る。
「ごめんなさい、まだ、でそう、で」
「良いよ、全部出そう。よく頑張ったね、えらいえらい」
 彼女は下げられた俺の頭を撫でる。その感覚で体の力が抜けて、溜まっていたおしっこがゆるゆると出た。呆れるほどいっぱい出したのに、それでもまだ残っているなんて。

 はあ、はあ、と自分の呼吸の音だけが聞こえた。
 全部、出た。いっぱい、出た。すっきり、した。
 息を吐き出すと、全身がぶるっと震えた。頭を上げると、彼女と目が合う。熱の浮いた彼女の目がこちらを見ている。体を起こすと、彼女も体を起こした。互いに無言、部屋はしんと静まり返る。
 口を開くと、その瞬間、彼女の手が俺の口に当てられた。
「謝るのはなしにしよう」
「いや、でも、俺は、そんなことした、のに、」
 腹のあたりがぐっしょり濡れたワンピースにどうしても目が行く。けれど彼女は何事もなかったかのように笑っていた。
「良いの。ね、一緒にお風呂入ろう?」
「え、でも、それより、」
「良いから良いから。ちゃんとお湯張ってるからすぐ入れるよ。ほら、はやくはやく」
「ちょ、ちょっと、あのっ、」
 彼女は俺の手を引くと、濡れた服のままぺたぺたと部屋の奥へ進んでいく。部屋を片付けることだとか、汚したことに対する謝罪だとか、そういったことが頭にあったけれど、彼女はお構いなしだった。

 この風呂に入るのも二度目のこと。相変わらず広いバスタブは二人で入ってもまだ余裕があった。
 彼女はどこかご機嫌な様子だった。
「ありがとね、ユウくん」
「お礼、言われることしてないです」
「してくれたよ。すっごく嬉しかった。ドアを開けた時、心臓止まるかと思った」
 自分がどんな状態でここまで来たのかを思い出すと、恥ずかしくて消えたくなった。視線を逸らして、口まで湯に浸かる。
「もう一度会えるとは思わなかったから、すごく嬉しい。ほんとに、ありがとう」
 彼女がどうしてそこまで俺を気に入ってくれるのかがわからなかった。顔は特別美人でもないけれど十分可愛い方だろうし、このホテルに泊まってこんなことにお金を使うくらいだからお金持ちなのだろう。そんな彼女なら俺でなくてもこの遊びに付き合う人を見つけられるだろうに。

 でも、それでも。
「俺も、あなたにもう一度会いたかったから」
 それは本心だった。もう一度会いたかった。それに、それに。
「その、割と、気持ちよかった、ので」
 もう一度くらい付き合うのも良いかと思うくらい……いや、もう一度味わいたいと思ってしまうくらい、気持ちよかったと、先週思ったから。それは間違いではなかった。ほんとに、ほんとに気持ちよかった。また、したいと思ってしまっている自分がいる。
 認めてしまうと恥ずかしいもので、でも、どこかすっきりした気持ちでもあった。
「そっか。ふふ、そっか、そっか」
 彼女の顔は恥ずかしくて見られなかったけれど、にこにこしているのはわかった。

「じゃあ、俺は先に上がります。ごゆっくり」
「え、もう? もう少し温まった方が」
 彼女は純粋な好意で言ってくれているのだろうけれど、今の俺には違って聞こえた。
 先ほどからじわじわと感じていた尿意から、既に目を背けることは出来なくなっていた。出し切ったつもりだったのに、まだ残っていたのか、それともまたしたくなったのか。どちらでも構わないけれど、なんにせよ催してしまったことに変わりはない。
「その、トイレ、行きたいので」
 先程、認めてしまったからか、その申告がとても恥ずかしく感じた。早く上がって済ましてしまおうとすると、彼女が手をそっと掴む。
「ここでしちゃって良いよ?」
「いや、それは流石に、」
 先週も我慢できずにここで済ませたことを言われているようで、居た堪れなかった。よく考えれば彼女が知っているはずはない。
「まだ服も乾いてないだろうし、ここで済ませて、もう一度温まった方がいいと思う」
 振り切って外に出てしまえばいいのに、どうもこの人には強く出れない。
「もう一回、お腹に掛けてみる?」
「何言ってるんですかあんたっ!」
 くすくす笑う彼女には、先週震えた声で俺を見送った面影はなかった。こうして笑っている方がこの人には似合うと思った。

 もうこうなったらどうにでもなれ、と俺はここで済ませることに決めた。
「あんまり見ないでくださいね」
「じゃあ、背中向けてる」
 バスタブから上がると、彼女は確かに背中を向けていた。
 排水溝のあたりに裸のまましゃがみ込む。先週と同じことをしている自分が情けない。力を抜くと、体が勝手に震える。そして、じょろじょろ、とおしっこが出た。気持ちいい、けど、いっぱい我慢した方が更に気持ちいい。
 先週から色々と濃い経験をし過ぎたせいか、普通に用を足すだけで変なことを考えてしまっている自分が恥ずかしくなる。いや、風呂場でおしっこしている時点で結構なイレギュラーではあるのだけれど。

 先程しっかり出したはずなのに、それはもうたっぷりと出た。お腹がすっきりして、解放感に体が震える。
 シャワーで流してから、再びバスタブに戻ると、彼女はこちらを向いた。相変わらず楽しそうに笑っていた。

 風呂から上がり、乾いた服を着ると、ちょうど終了の時間となっていた。
 部屋の入口で彼女は封筒を差し出した。それを受け取りながら、もしかしてとポケットに手を入れると、やはり同じような封筒がそこにも入っていた。
 あ、と彼女が何かを言おうとしたのを制して、ポケットの中に入っていた封筒を差し出した。
「これは返しておきます。正規の金額だけで」
「でも、ユウくんには色々と迷惑かけてるから、そのお詫びというか。受け取ってくれると嬉しいな」
「これはいらないです。ただ、その代わりというか、あの、」
 言いかけたのに恥ずかしくなり、つい口をつぐむ。当たり前だが、彼女は首をひねっていた。
「……また、呼んでほしい、です。その、頑張るので」
 それ以上は言えなかった。

 恥ずかしくて俯いたまま封筒を差し出していると、彼女はそれを受け取った。顔は見れなかったが、笑っているのは何となくわかった。
「うん、また呼ぶから来てほしいな」
 頷いて、そっと彼女の方を見る。やはり笑っていた。
「それじゃあ、またね。今日はありがとう。ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます。……あの、名前、聞いたかもしれないけれど、もう一度教えてもらえませんか」
「あ、言ってなかったかも。なぎさだよ、平仮名でなぎさ」
「なぎささんも、ゆっくり、休んでくださいね」
「ありがとう。おやすみ、ユウくん」

 静かな廊下を歩くと、自分の醜態を思い出してしまい、途端に恥ずかしくなった。足早に下まで降りると、すでに車は到着していた。
 封筒を渡すと、交換に本日の給料を受け取る。運転手は行きの人とは違うようだった。

 走る車の中、景色をぼんやりと見ながら、背もたれに体を預けた。全身が疲れ切っていた。けれど嫌な疲れじゃなかった。このまま目を閉じれば、穏やかに眠れそうな、そして良い夢が見れそうなそんな疲労感。流石にこの車で寝ると迷惑が掛かるので、必死に目を開けておく。

 家について、スーツから寝巻に着替え、布団に潜り込む。何時かはわからなかったけれど、とても眠かった。
 恥ずかしかった、辛かった、大変だった。でも、とても、気持ちよかった。
 恥ずかしさはあったけれど、認めてしまえば簡単なものだった。また、会えるのだと思うと、胸が温かくなった。そして、気分がとても高揚した。
 目を閉じると、ぼんやりとあの人の顔が浮かぶ。なぎささんと呼ぶと、彼女は笑った。本物も笑ってくれるだろうか。来週、試してみよう。そんなことを考えながら、気付いた時には眠りについていたのだった。

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初出: 2018年8月24日 (pixiv) 掲載:2019年2月23日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。