あの子は専用魔法少女(亜子視点)

「あたしは魔法少女りぃむちゃんっ! 亜子ちゃんの願いを叶えにやってきたよっ!」
「……何やってるの、多恵」
「多恵じゃないですりぃむちゃんですっ!」
 何の前置きもなく、突然人の部屋に飛び込んできたかと思うと、びしっと指を突き付けながら多恵は言った。

 確かに言葉の通り、彼女なりに魔法少女っぽさを意識した格好はしていた。
 フリルが付いたキャミソールにミニスカート。普段は地味で露出少なめのファッションが多い彼女にしては攻めた格好だとは思う。けれど、魔法少女と言うには幾分地味すぎるような。
 更に、普段は下ろしている黒髪がツインテールになっている。不器用なりに頑張ったのだろうけれど、高さが若干違う上に、既に崩れ始めていて後ろ毛がひょこひょこしていた。
 慣れないことをしてるなあ。それが魔法少女りぃむちゃんに対しての第一印象だった。

「何かアニメでも見たの? もしくは罰ゲームとか」
「ち、違うって言ったでしょーっ! あたしは魔法少女りぃむちゃんなんですっ!」
 多恵改めりぃむちゃんは不満そうに頬を膨らませる。ほんとに一体どうしたんだ。変なものでも食べたのか、頭でも打ったのか。
 多恵は時々変なスイッチが入ることは長い付き合いで分かっていた。けれど、こんなことは初めてだ。

「多恵、」
「『りぃむちゃん』デスヨ」
「……りぃむちゃん」
「はい、りぃむちゃんです!」
 どうやら彼女はりぃむちゃんとして貫き通すつもりらしい。なんなんだりぃむちゃんって。
「えっと。それで、私に何か用事?」
 呆れの混じった溜息を隠しながら、とりあえず訪問の理由を聞く。すると彼女は待ってましたと目を輝かせ、再び私に指を突き付けた。
「ふふふっ! りぃむちゃんはですね、亜子ちゃんのお願いを叶えに来たのです!」
「はあ」
「りぃむちゃんには亜子ちゃんが何か悩んでいることくらいお見通しなのですよっ! だから、遠慮なくお願い事を言いなさいっ!」
 私、何か悩んでたっけ。多恵の言葉で自分の悩みについて考えてみたけれど、特別何も思いつかない。
「さあ、さあっ! 何でも良いのですよっ!」
「何でもと言われても」
「ほらほら、あるでしょっ! 例えば、何か困っているとかっ!」
「困っていること、」
「そうっ! 例えば例えば、すごーく食べたいけれど手に入らなくて困っているとか!」
「食べたいもの、」
「そうそうそうっ! 例えばっ、例えばですねぇっ、あの駅前の……」
「うーん、駅前のケーキ屋さんのチョコケーキはこないだ職場で食べたしなぁ」
「えっ。………………えっ?」
「あとは、あのCDとか? でもあれもネットで予約できたし、小説も買ったし。あと、何かあったっけ」
 首を捻って色々考えたけれど、思いつかない。

「うん、まあ、強いて言うなら……あれ、どうしたのりぃむちゃん」
「な、ななな、何でもないですよぉ?」
 先程までのハイテンションが何故かダウンし始めていた。どうしたんだろう。慣れないハイテンションにもう既に疲れ始めているのだろうか。
「強いて言うなら、そろそろ時間なんだけど、肝心の多恵が来ないことに困ってる」
「え、出発って?」
「今日、多恵と映画見に行く約束をしていたんだけど」
 たっぷりの沈黙。そののち、りぃむちゃんはゆっくりと視線を逸らしていく。
「…………それって、今日、でしたっけ」
「『公開中に予定が合うのはこの日だけだから!』って多恵サンが言っていたと記憶してますね」
 りぃむちゃんの笑顔が見る見るうちに引きつる。
 この反応は忘れていたな。私の予定を変えさせてまでこの日に約束したにもかかわらず。

「ということで、りぃむちゃんにお願いがあるんだけど、聞いてもらえるよね?」
「わ、わわわわかりましたよ、りぃむちゃんが全速力で多恵チャンを呼んで、」
「残念、これ以上時間を無駄にすると間に合わなくなっちゃうんですよねえ、これが」
「あ、あの、りぃむちゃんはちょーっと急用が……」
 背中を向けたりぃむちゃんの手を掴む。びくっとわかりやすく跳ねた背中を確認してから、反対の手でマイバッグを持った。
「多恵の代わりにりぃむちゃんに一緒に行ってもらおうかな」
「いやいやいや、だめ、それはダメ、ほんとにダメ……あっ、ほら、魔法少女がそんなふらふら出歩くなんてダメですよ!」
「一般市民の部屋に突撃してるんだから、多少街中を出歩こうと一緒でしょ」
「亜子ちゃんの部屋、お隣だから! こんなの出歩いたうちに入らないから!」
「はいはいはい、それじゃあしゅっぱーつ」
「待って、待って、せめて、せめて上着か何か羽織らせてーっ!」
 問答無用。多恵はどうかわからないが、りぃむちゃんは既に準備万端のように私には見えていた。
「待って待って待って、せめてバッグっ、お財布っ!」
「私が奢るから安心してね。それに魔法少女にお金を払わせるわけにはいかないし」
 暴れるりぃむちゃんの手を掴んだまま、私は部屋を出発したのだった。

 電車を乗り継ぎ、映画館の最寄り駅に付く。初めこそぎゃあぎゃあと騒ぎ暴れていたりぃむちゃんだったが、それこそが人目を集めるのだと途中で気付いたようだった。電車を降りる頃には小さく縮こまり、私の隣をとぼとぼと歩くだけになっていた。
「楽しみだね、りぃむちゃん」
「これ、すっごく恥ずかしいのデスヨ」
「似合ってるけどな」
「嬉しいけど嬉しくない……」
「まあまあ。そこの喫茶店でお昼にしよう。奢るから機嫌直してね」
「え。さっき、時間無いって言ってた気が」
「お昼ご飯を食べる時間くらいはあるよ」
「だ、だ、ダマされた……! その時間で着替えられたのにっ……!」
 騙すなんて人聞きが悪い。
 そもそも、当初の話でもお昼ご飯を食べてから映画を見ることになっていたのだから、忘れている多恵が悪いのデスヨ。

 冷房の効いた喫茶店の店内で、奥の二人用のテーブルに座る。お洒落なメニューを開き、気の向くままに目を滑らせる。
「ハンバーグのセットにしよっと。りぃむちゃんは?」
「グリーンスムージーで」
「え、それだけ?」
「魔法少女はグリーンスムージーとかタピオカとか、女子力の高いものしか食べないのデス」
 りぃむちゃんは吹っ切れた顔をしていた。色々と諦めて、いっそのこと魔法少女として一日振舞ってやろうということなのだろう。割と魔法少女自体は気に入っていると見える。
 吹っ切れた彼女を止めるべきなのか。考えている間に注文は通ってしまい、あれよあれよという間に机に料理が並ぶ。
 先に届いたハンバーグを食べていると、私の正面に緑色の大きめのグラスが置かれた。彼女はストローに口を付けて、吸い込んで、そして固まった。
「苦いんじゃない?」
「そ、そんなことないですこれくらい飲めますむしろ大好きです」
 そう言ったかと思うと、彼女は一気に吸い込んで、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。
 スムージーと言っても、お店に出しているものはそこまで苦くはないはずだ。
 けれど多恵はそもそも子供舌だ。カレーは甘口、コーヒーにはお砂糖とミルクをたくさん。そんな彼女にとっては相当苦く感じるに違いない。おそらくスムージーなんて今まで飲んだこともないだろうに。
 その証拠に、彼女の瞳は何かに耐えているように潤んでいる。仕方なく彼女の空のグラスに水を注ぐと、間髪を入れずに彼女はそれを飲み干した。
 大丈夫かと声を掛けようとしたけれど、その前に彼女は再びスムージーを一気に飲み、再びお水を飲み干す。それを数回繰り返すと、彼女のスムージーは姿を消した。
「大丈夫?」
「……美味しかったデスよ」
 涙目で、震えた声で彼女は言った。それは何よりです。見え見えの痩せ我慢にそう返事をして、私はハンバーグの残りを食べ終えたのだった。

 昼食を終え、当初の目的である映画館へ。とりあえず座席に座ったが、始まるまではまだ余裕があった。
「トイレ行ってくるけど、りぃむちゃんも行く?」
「魔法少女はトイレには行かないのデス」
 それは魔法少女ではなくアイドルなのでは。
「ほんとに大丈夫? 映画館のトイレって結構混むよ」
「魔法少女だから大丈夫なの」
 そこまで言うならどうしようもない。座席をりぃむちゃんに任せ、1人トイレへ行った。映画館のトイレは上映前は空いているけれど、上映後は物凄く混む。今のうちに済ませておかないと。

 トイレを済ませ、座席に戻る途中で何となく売店のメニューを眺める。結局スムージーしか飲んでないから、お腹を空かせている気がする。慣れないものを頼まずにオムライスでも頼んでおけば良かったのに。
 少しだけ悩んで無難にポップコーンと、多恵の好きなカルピスを2つ買った。両手で持ち、座席に戻ると、彼女は俯いてぼんやりとしていた。
 カルピスとポップコーンを差し出すと、瞬きを繰り返してからそれを受け取る。
「お金、」
「良いよ、今日は私の奢り」
「あ、ありがと……その、今日は約束忘れててごめんね」
 小さな声で多恵は言った。彼女なりに気にしていたらしい。
「大丈夫だよ。気にしてない」
「亜子ちゃん……ありがと」
「それに、りぃむちゃんと一緒に来れたし。それでおーるおっけーですよ」
 少しおどけて言うと、彼女はもう一度ありがとうと呟き、ストローを咥えた。私も同じようにストローを咥えて、二人並んでカルピスを飲みながらCMの流れるスクリーンを眺めたのだった。

 映画の上映も終わり、薄暗かった館内がやや明るくなる。スクリーンから隣のりぃむちゃんに視線を移す。彼女も同じ動きをしていたようで、目が合った。
「面白かったね」
「途中、ちょっとうるっとした」
「わかる。まさかのバッドエンドかと思っちゃった」
「私も」
 感想を言い合いながら荷物を持って立ち上がる。
 映画の前にトイレに行ったのに、またトイレに行きたくなってしまっていた。空調とカルピスが原因だろうか。けれど、トイレには案の定、長蛇の列が出来ている。並んでも良いけれど、それよりもどこか他の場所を探した方が良い気がした。

 映画館を出て、道なりに歩く。ちゃんと始まる前に行ったのに、結構したくなっていた。どこかトイレが使えそうなお店を探すけれど、カフェや飲食店ばかりでトイレを借りるには入りづらい。どうしようかと思っていると、路地を少し入ったところにコンビニの入り口が見えた。
「ごめん、そこのコンビニ寄っても良い?」
「うん、良いけど、亜子ちゃん大丈夫?」
「ちょっとその、トイレ行きたくて。ごめんね」
 コンビニへ飛び込み、店員に声を掛けてトイレへ入った。
 トイレトイレトイレ。幸運にも個室は開いていて、飛び込むと同時に下着を下ろして腰掛ける。ほぼ同時に、しょろろろ、とおしっこが出た。解放の瞬間に、安堵の息をつく。
 正直、ちょっとだけ危なかった。外は熱いとは言え、室内は冷房が効いていて涼しい。その上、汗をかくから水分をたくさん取る。そうするとどうしてもトイレが近くなる。

 そういえば、多恵は一度もトイレに行ってない。魔法少女だと意地を張っていたけれど、生理現象がなくなるわけがない。大丈夫なのかな。
 トイレの心配をされる年齢は互いに通り過ぎてるし、私に心配される必要もないのだろうけど。子供のころはどちらかと言うと私が多恵にトイレの心配をされる側だったなあとふと思い出した。

 手を洗って、店内に戻ったが、りぃむちゃんの姿が見当たらない。店内を一周回り、携帯も確認したが、何の連絡もない。
 そんなに長く待たせたつもりはなかったけれど、待てなかったのだろうか。何処に行っちゃったんだろう。流石に意地悪をしすぎただろうか。先に帰っているなら良いんだけれど。
 とりあえず外を探そうとコンビニから出たところで、女の子の二人組とすれ違った。その会話を聞いて、思わず足が止まる。
「さっきの子、大丈夫かなあ。明らかに怪しかったよね」
「あのビル、なんかあの辺怪しい事務所とかあるらしいよ」
「え、それってやばいんじゃ」
 まさかと思い、見ず知らずの子だったけれど、咄嗟に声を掛けてしまった。
「あの、ごめんなさい! その子、もしかしてツインテールにミニスカートだった?」
 二人組は一瞬驚いていたけれど、片方の子が丁寧に対応してくれた。
「そんな感じでした。なんか、変な男の人と一緒にいて、あっちのビルに入っていきましたよ。フルールっていう事務所がどうとか、そんなこと言ってました」
 さっと血の気が引いた。頭の中が良くない光景でいっぱいになる。お礼を言い、教えてもらったビルに向かって走った。

 多恵。幼いころの思い出が蘇る。迷子になった私を探しに来てくれた多恵。暗い道、変な人に声を掛けられて怖くて泣いていた私を見つけた多恵は、私の手を引いて家まで連れて帰ってくれた。わんわん泣く私の手を絶対に離さずに、大丈夫だよ、怖かったね、と安心させてくれた多恵。

 走って走って、息を切らしながら教えてもらったビルに飛び込む。どこだ、はやくしないと。焦りながら視線を動かし、ポストにフルールの名前を見つけた。3階にあるとわかった瞬間、階段を駆け上がる。ビルは決して広くはないおかげで、目的の場所はすぐわかった。
 お洒落なフォントでフルールと刻まれた無機質な扉を一気に開けた。ぎいっと鈍い音がする。中には長テーブルを挟んで多恵と男性が座っていた。多恵は背中を向けていたので表情はわからなかったが、小さく震えていた。
「多恵っ!」
「あ、ああ、この子のお友達?」
 男性は人の良さそうな雰囲気を出してはいたけれど、同時に信じてはいけないうさん臭さも感じた。
「お友達も一緒にどうかな? 今話していたんだけどね、サプリの広告の写真なんだけど、ファッション誌にも掲載されるから、そこからモデルの道に進んだ子も、」
「結構ですっ! 行こう!」
 話の途中で多恵の手を取り、怪しい事務所を飛び出した。

 とにかくここから離れようと適当に走って、息が切れたところで足を止めた。多恵は言葉もなく、私に手を引かれた状態でただ俯いていた。
「馬鹿っ! あんな怪しい人についていったら駄目じゃないっ!」
 多恵は俯いたまま、小さく震えていた。その様子に自分の言葉を後悔する。何よりも怖かったのは多恵だ。感情のままに言ってしまったことを反省した。
 走ったせいで多恵のツインテールは崩れかけていた。どこかで結びなおしてあげようと思っていると、多恵は私の服をぎゅうっと握る。
「怖かったね。ほんと、何もなくてよかった……」
 いつの間にか私より高くなっていた身長のてっぺん、多恵の頭に手を伸ばす。もう大丈夫だよ、怖かったね。

 多恵は顔を上げた。瞳には零れんばかりに涙が溜まっていて、私の服を握った手には力が籠って震えている。
 もう大丈夫だよ。力んだ肩に触れようとすると、多恵は口を開いた。

「あ、亜子ちゃぁんっ、ぉ、おしっこぉ……!」

「えっ……えええぇっ!?」
 全く予想だにしなかった言葉に、触れかけた手が固まった。多恵は私の服をぎゅっと握りながら、泣き出さんばかりの状態だった。
「ぉっ、おしっこっ、もぉガマンできないっ、もれちゃうっ……」
「ちょっ、ちょっと待って、ちょっとだけ待ってっ!」
「まてない、もれちゃうっ……もうガマンむりぃっ……!!」
「わかった、わかったからちょっと待ってっ! あ、あっちにコンビニあるから、そこでトイレ借りようっ!」
 泣いているのも震えているのも、全部全部これが原因だったのか! 色々なことが頭に一気に浮かんだが、目の前の多恵の様子にすべてが吹き飛んだ。とにかくこの子をトイレに連れて行かないと!

 手を引いて走ろうとすると、多恵は引きずられながら叫んだ。
「まっ、まってっ、でちゃう、走ったらでちゃうぅっ……」
 もう一刻の余裕もない、と多恵の全身が訴え掛けていた。だから映画の前にトイレに誘ったのに!
「もぅダメ、もうでちゃうぅっ……」
「わかってるからっ、もうちょっとだから頑張ってっ! ほら、魔法少女はトイレ行かないんでしょう!」
「魔法少女じゃないんだもぉんっ……! ほんとにおしっこっ、おしっこもれちゃうっ……!!」
 手を引くが、すたすたと歩けていたのは初めの数歩だった。
 太腿をぴったりと寄せて歩く分、歩幅はどんどん小さくなる。おしっこがたっぷり溜まったお腹を抱え、お尻を突き出してよちよち進む姿は、もう限界なのだと痛いほどに状況を伝えてくる。

 どうしようどうしよう。どうしてあげたら良いのか。私には何ができるのか。先程怪しい事務所に飛び込んだ時より混乱しているかもしれない。
「あ、あうぅぅ……だめ、でるっ、でちゃうぅっ……」
「わかってるからっ、ほら、もうちょっと頑張ってっ」
 ただでさえ緩やかな歩みはとうとう止まってしまう。
「た、多恵っ!」
 名前を呼んでも反応はない。がくがくと震える膝の間、ぽた、ぽたと水滴が落ちた。あ、と思った時には、彼女はもう限界を迎えていた。

 水滴は数を増やし、彼女の足元を一気に濡らす。びちゃ、びちゃびちゃびちゃ。水音は次第に激しくなり、水たまりを広げる。
「ぅ、あ、あ、あ、あ、あぁぁっ……」
 亜子はミニスカートの上から、ぎゅううっとそこを押さえる。ぶじゅ、じゅじゅ、じゅ、とくぐもった水音が途切れ途切れに聞こえる。どうしてあげるべきか、何をどうするべきなのか。離れるべきか傍にいるべきか。
 右足の下、左足の下、そしてその間。三つの水溜まりが広がり、面積を広げ、やがて一つの大きな水溜まりとなっていく。

 多恵の震えた左手が私の服を強く握りしめていた。振りほどくことは出来なかった。混乱して頭が真っ白になる中、私はただ多恵の傍に立っていた。
「あ、あ、あっ……あ、ああ、あっ……」
 彼女の足の間、落ちる水滴がどんどん量が増えていく。スカートの中央、足の付け根のその奥から、おしっこの出口を握りしめた右手を伝って、じょぼぼぼ、と中央に太い水流が落ちていく。途切れ途切れの水流は次第にその感覚を狭めて、やがて一本の太い水流となり始める。水道の蛇口を捻ったときのような太い水流は、お行儀悪く水滴を散らかしながら水溜まりを広げる。
「あ、んぁ、あ、あっ、ああっ……」
 多恵はずるずるとその場にしゃがみ込む。引きずられるように私も一緒にその場にしゃがみ込む。

「あう、う、ごめん、ごめんあこちゃんっっ……!」
 ぶじゅうぅぅ、とひときわ太い水音が聞こえた。はっ、はっ、と詰まった呼吸の音が聞こえた。

 震える背をそっと撫でると、多恵の体から徐々に力が抜けた。
「あ、あ、あああ……ふ、あ……、」
 おしっこはまだ出ている。水溜まりにひたひたと落ちて、既に濡らした足元を濡らしていく。たくさん飲んで、たくさん我慢した分、たくさん出るのだろう。
 大丈夫、ちゃんと隣にいるから。言葉もなく伝えると、それに甘えるように多恵の手が私の服を握りなおす。
 広がるおしっこの水たまりは、私の足元も覆ってどんどん広がっていた。

 ぴちゃ、ぴちゃという水滴の音。はっはっと多恵の荒い呼吸の音。
「亜子ちゃん、でちゃった」
 ごくりと唾を飲んで、呼吸の音と一緒に多恵は言った。状況を把握しきれていない、そしてまだ感情が追いついていない幼い子供のような声だった。

 過去の記憶が蘇る。幼い頃の私がおもらししちゃったときのこと。昔、私はトイレが近くて、おもらししちゃったことも多々あった。おしっこの水たまりの真ん中で立ち尽くす私。汚いと離れていく人の中で、多恵は絶対に私の傍から離れなかった。
『たえちゃん、でちゃった』真っ白な頭で、私は多恵にそう言った。
『だいじょぶだよ、あこちゃん。がんばったね』多恵は私の背を撫でながら優しく言ってくれた。

「がまん、できなかった」
 しゃがみ込んだまま、多恵は言った。俯いていて、表情はわからない。
「頑張ったね」
 昔してもらった時のように、多恵の背中を撫でた。
「おトイレ、もうちょっと、だった、のに」
 多恵は言う。表情はわからない。
「大丈夫、大丈夫」
 背中を撫で続ける。大丈夫だよ、大丈夫。
「おしっこ、間に合わなかったぁ……」
 多恵が顔を上げる。その瞳から堰を切ったように大粒の涙が溢れた。
多恵は左手で私の服を握りしめたまま、私にしがみつくように寄りかかり、子供の様にわんわんと泣いた。大丈夫だよ。大丈夫だよ。ただそれだけを言って背中を撫でて、ただ彼女の傍にい続けた。

 ひっく、えっぐと嗚咽に合わせて跳ねる背中は徐々に落ち着いていく。
「とりあえず、どこかで着替えよう。着替え買ってきてあげるから。ね?」
 ぐすぐす泣き続ける多恵の手を引き、コンビニへ向かう。けれど、私たちはコンビニではなくその途中に見つけた公園に入った。人目のあるコンビニのトイレより、少し薄暗くても人目のない公園のトイレの方が多恵も気が楽だろう。
「亜子ちゃんごめんねっ、わたし、今日、めいわくばっかりっ……」
「長い付き合いでしょ。それくらい気にしないの」
 ありがとう、と言いながら多恵はまたぼろぼろと泣き始める。やっと落ち着いたのにまったくもう。
「今、ハンドタオルしかないから、それでとりあえず涙拭いてね。着替え買ってくるから」
「うん、」
「タオルもちゃんと買ってくるから、それでおしっこ拭かないでね」
「ふ、ふかないもんっ……!」

 適当なスカートと下着、ストッキング。タオルを何枚かに、あとは念のため飲み物を買って、足早に公園に戻る。先程多恵を押し込んだ個室は扉が閉まっていた。
「多恵、買ってきたよ」
「あ、あ、ちょっと、ちょっと待ってっ……」
 慌てた声、そして扉がぎっぎっと不思議な音を立てたかと思うと、内側に開き出す。
「うあぁ、開いちゃうっ……亜子ちゃん、待ってね、待ってねっ」
 待つのは構わないけれど、焦った声に首を捻る。大丈夫? と声を掛けようとして、聞こえてきた水音に言葉を飲み込んだ。
 じょろろろ、と小気味良い水音が、じょぼぼぼ、と水面に注がれている。まだ残っていたらしい。今、声を掛けるのは流石に可哀想だと、多恵が落ち着くまで個室の前で待つ。
 時折、水音の合間に、扉がぎっぎっと音を立てて動く。どうやら鍵が壊れていて、内側から押して固定しているようだった。
 少しの静寂の後、扉が開いた。濡れたスカートを手で隠し、恥ずかしそうに頬が赤く染まっている。目元も泣きはらして赤くなっていた。
「これ、着替え」
「ありがと……着替えている間、見張っててね」
「それは良いけど、鍵壊れているなら隣に移動しないの?」
「ここでストッキングとか脱いじゃったのと、あと、隣は紙が無くて」
 鍵がかからず一度隣の個室に行ったものの、そちらには紙が無くて、そうしている間に再び催して、先ほどに至ったらしい。紙を持って隣の個室に移動すれば良かったのに、と気付いたのはずっと後のこと。私も多恵もまだ頭が混乱していたようだった。

 先程買ったカルピスを飲みながら待っていると、多恵が出てきた。膝丈のスカートに新しいストッキングでさっぱりしたのか、少しだけ表情が明るさを取り戻していた。崩れたツインテールも解いて、いつもの多恵らしくなっていた。
「靴だけはごめんね。帰るまで我慢して」
「ううん、じゅうぶん。亜子ちゃん、ほんとにありがとう。ごめんね」
 飲みかけのカルピスを差し出すと、多恵は口を付ける。二人で一本を空にしたところで、何となく歩き出した。
「魔法少女りぃむちゃんは終わり?」
 少しからかってみると、多恵は唇を尖らせて言った。泣きはらした目をしていたけれど、表情は明るくなっていて、安心した。
「今日はおしまいなのっ。でも、また亜子ちゃんのお願い事を叶えるために現れるかもね」

 駅までのんびりと歩き、改札を通ると、ちょうどホームに電車が来ていた。ナイスタイミングと思っていると、くいくいと袖を引かれる。
「あ、亜子ちゃんごめん、あたし、ぉ、おしっこっ……!」
 言うが早いか、多恵はダッシュで改札横のトイレへ駆け込んでいった。我慢しすぎたのか、随分トイレが近くなっているようだった。

 電車が出発するのを見送っていると、多恵が安堵の表情で戻ってきた。
「間に合った?」
「う、うん。だいじょぶでした」
「魔法少女はトイレに行かない、なんて言ってたのに」
「ううっ……も、もう行かないもんっ、へいきなんですっ」

 そんなことを言っていたのに、多恵は電車の中でも催してしまったようだった。
 最寄り駅で降りると、多恵は一目散にトイレへ駆け込んでいく。しばらくの後、多恵はスカートの裾を引っ張りながら、真っ赤な顔で俯きがちに戻ってきた。
「間に合わなかった?」
 その様子につい聞いてしまう。多恵は真っ赤な顔を更に真っ赤にして言った。
「まにあったよっ! ……ただ、その、ちょっとだけ、あの、その、」
 どうやらちょっとだけ出ちゃったらしい。
 何も言わなかったのが余計に恥ずかしさを煽ったようで、多恵は真っ赤になって私の腕をぺちぺちと叩いた。
「も、もう、もう魔法少女なんか、二度としないぃっ……!」
 言葉通り、魔法少女りぃむちゃんは二度目の姿を現すことはなかった……というわけでもなかった。

 後日、私が冗談交じりに魔法少女りぃむちゃんに会いたいな、なんて言うと、不器用な歪んだツインテールを引っ提げて、魔法少女りぃむちゃんが現れた。
 長年の付き合いから読み取るに、彼女自身も割と気に入っているようだ。それに、ノリノリのハイテンションで楽し気に魔法少女を名乗る多恵を見ると、こちらとしても何となく嬉しくなるのだった。

 多恵視点は こちら

このサイト上にある画像・文章の複製・転載はご遠慮ください。
初出: 2018年7月28日(pixiv) 掲載:2020年10月31日

4
成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。