お姉ちゃんの呪いと大丈夫の魔法 前編

 ここに来ると、私の名前は無くなる。
『そのスカート、あんまり似合ってないんじゃない? そういう可愛らしいのは明里に向いてるから、“お姉ちゃん”にはもっとシンプルなのとか、いっそズボンの方がらしくて良いわよ』
 そうだね。
『“お姉ちゃん”だから覚えてると思うけど、来月は明里の誕生日でしょ。今年はどうする? 去年みたいにお金預かって、お母さんが用意しておこうか?』
 そうだね。

『そういえばあの子、また恋人と別れたみたいで、最近元気が無いの。“お姉ちゃん”はひとりでも平気だけど、あの子は誰かがいないと駄目だから心配だわ。良い人がいたら紹介してあげてね』
『仕事もなかなか上手く行かないみたい。あの子は繊細だから、いっそ“お姉ちゃん”みたいに気負わずに要領良くできたら良いんだけど。あ、あの子に仕事の話はしないであげてね。“お姉ちゃん”だからわかるでしょ』
『それにしても、そろそろ“お姉ちゃん”も良い年齢なんだから、仕事ばっかり、ひとりでふらふらしている生活なんて駄目よ。明里みたいに積極的にお相手を探さないと』

 お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん。母の口から繰り返される言葉に適当に相槌を打ち続ける。数年前までは私もこの場所で生活していたはずなのに、今はここにいるのが苦痛で仕方なかった。
 この場所では、私の名前は無い。ここには明里がいて、母がいて、父がいて、そして姉がいる。“お姉ちゃん”には名前なんてなく、個性なんてない。求められるのは、しっかり者で、ひとりで何でもできて、他人の手を煩わせない“お姉ちゃん”だ。

 母の言葉が途切れる。さり気なく時計を見ると、六時を回ったところだった。
「あの、ごめん。そろそろ帰るよ。電車の時間もあるし」
「あらそう? もう少ししたら明里も帰ってくるから、姉妹でご飯でも行って来たらどう? “お姉ちゃん”なんだし、たまには美味しい物ご馳走してあげてよ」
「……ごめん、時間がないから。ご飯はお母さんが連れて行ってあげて」
 手を動かす。鞄を開く。財布を出して、持ち合わせていたお札を適当に机に置く。それから鞄を持って、立ち上がる。ひとつひとつの動きを頭で考えながら、ロボットのように動いていた。
「明里の誕生日の分はまた振り込むよ。仕事が忙しいから、今年もお母さんが何か見繕ってあげて」
「わかりました。でも“お姉ちゃん”なんだから、たまには明里の為に動いてあげなさいよ。たったふたりの姉妹なんだから」
「うん、そうだね。それじゃあ、また」
 玄関を出る。歩く。駅に着く。電車に乗る。電車が駅から離れて、初めて肩の力が抜けた。はあ、と溜め息が漏れた。

 別に、電車の時間なんて大したことない。一時間もあれば帰れるだろう。それでも、言い訳に使えるのはこれくらいしかなかった。言い訳が無ければ、あの場所を離れることすら出来なかった。
 “お姉ちゃん”だから。今までの人生で何度言われたのだろう。“お姉ちゃんだから”妹を優先する。“お姉ちゃん”だから妹に譲る。“お姉ちゃん”だから我慢する。数えるのも嫌になるくらい聞いてきて、私の中に染みついてしまっている。
 行きたい場所が姉妹で異なったら“お姉ちゃん”だから妹に合わせた。同じ物を欲しがったら“お姉ちゃん”だから妹に譲った。
 辛い時も苦しい時も優先されるのは妹。私が助けを求めても、誰も助けてくれない。“お姉ちゃん”だから、妹が先。先と言っても、その次なんてなく、私の順番が回ってきたことはない。だから、自分のことは自分でするようになった。頼りたくても、あの家で手を差し伸べてもらえるのは妹だけだから。

 忘れ物をしないように、事前に持ち物は確認する。妹はいつも母任せ。忘れ物をしたときは、帰宅早々母に怒りをぶつける。母は自分が悪かったと謝っていた。
 宿題には帰宅後すぐに手を付ける。後回しにして忘れてしまったら駄目だから。妹はすぐに遊びに行って、夜遅くに母に泣きついていた。母は文句も言わずに付き合っていた。
 遠出の前には酔い止めを自分で用意する。酔わない為に食べ過ぎず飲み過ぎず、休憩の際には必ずトイレに寄る。妹は休憩の度にお菓子やジュースを強請って、父が買い与えていた。移動途中でトイレに行きたくなることもしょっちゅうで、時には間に合わないこともあった。スカートをぐっしょりと濡らして、わんわんと泣きながら母に怒っていた。母はそんな妹を宥めながら、お母さんが悪かったと謝っていた。

 頼れないから、自分でするしかない。でも、もしかしたら私も妹のようにしたら、甘やかしてもらえるんじゃない? そう思うこともある。けれど、期待するだけ無駄だと諦める気持ちの方が強かった。
 来月は妹の誕生日。……来週は私の誕生日だと、母は覚えていたのだろうか。確認しようと思う気持ちすらわかなかった。

 電車を乗り継いで、やっと最寄り駅へ辿り着く。駅から出ると、すっかり日は暮れていた。
 体はぐったりと重くて、マンションに向かう足取りもゆっくりになっていた。薄暗い中で見る景色は慣れた光景で、少しずつ緊張が解けていった。
 夕食を買うためにコンビニに寄ろうかと思ったけれど、それすら面倒で前を通り過ぎる。とにかく、今は早く帰りたい。私だけの空間に戻って、部屋着に着替えて、ベッドに潜り込んで寝てしまいたい。まだ寝るには早い時間だけれど、はやく今日を終わらせたい気分だった。

 エレベーターで自分の階に上がって、扉に鍵を差し込む。扉を開けると、部屋の照明がついていて驚いた。出掛ける時にちゃんと消したはず。玄関で固まっていると、奥から足音が聞こえた。
「おかえり。お邪魔してます」
 聞きなれた声に、体から力が抜けた。
「……ただいま。びっくりした」
「ごめんね。会いたくなったから来ちゃった。あと、来週は誕生日でしょ? 予定どうかなと思って聞きに来た。……もしかして邪魔だった?」
「ううん、嬉しい。ありがとう、るり」
「こちらこそありがとう、やーちゃん」
 靴を脱いで、部屋に入る。ひとりになりたい、はやく今日を終わらせたいと思っていたのに、彼の顔を見ると安心してしまう。明るい部屋で誰かに迎えてもらうのがこんなに温かいとは知らなかった。

 部屋着に着替えて、定位置に座る。彼は勝手知ったる人の家で、常備しているミネラルウォーターを持ってきてくれた。半分程飲み干して、はあ、と息が漏れた。
「今日は仕事?」
「ううん。ちょっと実家に呼ばれてた」
 実家のことは、少しだけ話したことがあった。そのせいか、彼は何も言わずに、代わりに私の頭を撫で始める。その感触に力が抜けて、思い切って彼の方に寄り掛かる。
「来月、妹の誕生日なんだ。それでプレゼントどうするのとか、愚痴とか色々聞いてきた」
 聞いてこないのに話すのもどうだろうと思いながらも、少しだけ零す。
「お疲れ様。……やーちゃんは誕生日プレゼント貰ったの?」
 首を振って返事をする。幼い頃はまだしも、プレゼントなんてここ何年も貰っていない。母からは祝いの言葉すら無くて、妹からは祝われたことは一度もない。あの家での私は“お姉ちゃん”という役割でしかないから、誕生日も個人的な思いも持つことはなかった。
「私は良いんだよ。“お姉ちゃん”だから」
 自分で口にするのも慣れたけれど、それでも少し胸が痛くなる気がした。

「やーちゃん、誕生日プレゼント、何が欲しい?」
「そんなの、気にしなくて良いよ? ご飯でも食べに行けたら充分だから」
「駄目。それなら俺が見繕って用意するから」
 顔を覗き込まれて、気まずく感じて咄嗟に目を逸らした。そうすると彼は私を抱き寄せる。包み込むように抱き締められて、体温を感じて、静かに息を飲んだ。
「誕生日、何しようか? 何したい?」
「そんなの良いよ、大丈夫だから気にしないで」
「何でも良いよ。俺が何でも叶えてあげる。だから、何でも言って、やよい」
 名前を呼ばれた。“お姉ちゃん”じゃなくて、私の名前。
 したいこと、欲しいもの。“お姉ちゃん”にはそんなもの無いと考えないようにしていたのに、彼の言葉で押さえていた自分が暴れ出す。“お姉ちゃん”には無くても、私にはやりたいことも欲しいものもたくさんあった。

 私だって、甘えたかった。我が儘を言いたかった。ぬいぐるみを妹にあげたくなかった。遊園地じゃなくて水族館に行きたかった。イチゴのショートケーキじゃなくてチョコレートケーキが食べたかった。
 なにより、私だっていっぱい泣いて、いっぱい抱きしめられたかった。泣きじゃくる妹の姿が脳裏に浮かぶ。サービスエリアでスカートをぐっしょり濡らした妹。父が着替えを買いに行って、母は泣きじゃくる妹を抱きしめていた。
『私は悪くない! トイレ行きたいって言ったのに! 行ってくれなかったお父さんが悪い! お母さんが連れて行ってくれなかったから悪い! 私は悪くないの!』
『そうだね、ごめんね。明里は悪くないよ。大丈夫だから。良い子、良い子』
 その光景を幼い私がぼんやり見ていた。おもらししてしまった妹を可哀想だと思いながら、頭の片隅で違うことを考えていた。
 私もあんな風におもらししたら、優しくしてもらえるのかな。ぎゅーって抱きしめてもらえて、大丈夫、良い子って頭を撫でてもらえるのかな。
 物心ついてから、おもらしをした覚えはない。トイレにはまめに行く習慣が自然とついていた。だから、そんな歪んだ思いは私の中でずっと燻ったままだ。

 頭を撫でる手の感触。そろそろと顔を上げると、るりは優しくこちらを見ている。彼の手が私の目元を拭って、自分が泣いていることに初めて気付いた。
「るり、あのね」
「うん」
「おもらし、してみたい。失敗しても、大丈夫だよって、優しくされたい。ぎゅーって抱っこされたい」
 心が緩んでいて、勢いで言葉が口から飛び出した。言ってから、とんでもないことを言ったことに気付いた。はっとして、慌てて否定しようとする私の言葉を彼は遮る。
「良いよ。他には?」
「よ、良くないっ。やっぱり良い、今の無し」
「今の無しが無し。ちゃんと叶えるから、大丈夫だよ」
「でもっ……」
「何でも良いって言ったでしょ。叶えるよ」
 大丈夫じゃない。そう思うのに、柔らかい声で言われて、子どもにするように頭を撫でられると、言葉が出てこなくなる。自分の中で重くどろどろしていたことを伝えたのに、彼は簡単に受け止めてくれる。

「他には無い? 欲しいものとか」
「……思いつかない」
 先程のことでいっぱいいっぱいだった。彼の大丈夫の言葉に胸が緩む。考えるのを止めてその言葉に甘えてしまいたいけれど、そんなことは駄目だと“お姉ちゃん”の私が腕を引いて連れ戻してしまう。
「何か思いついたら言ってね」
「うん。……ありがとう」
 今度は自分から頭を寄せた。背中を撫でる手は優しくて温かい。あんなに小さかった少年が、今はこんなに立派な青年になっている。私の腕の中に簡単に収まるくらい小さかったのに、今は私を包み込んでくれる。彼の腕の中がこんなに安心できる場所になるなんて、昔は思わなかった。
「やーちゃん、可愛い」
「……可愛くないよ」
「可愛いよ。俺の中では世界一可愛い」
「大袈裟」
「誕生日、楽しみだね」
 そんなこと良いよ、と出掛けた言葉を飲み込んで、代わりに頷いた。強がりな自分が少しずつ剥がれていくよう。それは怖いけれど、ここなら大丈夫なんじゃないかと、少しだけ思った。

 +++

 誕生日当日。早めに準備を終えて、鞄の中身も確認して、いつでも出発できる状態で待つ。結局、具体的なことは何も決めず、とりあえずご飯に行くことになっていた。
 迎えに来てくれたるりはいつもより荷物が多い。中身が何か気になったけれど、流石に聞くのは止めておいた。
「したい事とか行きたい場所、見つかった?」
「ごめんね、やっぱり思いつかない」
「大丈夫だよ。それなら適当にぶらぶらしよう。あんまり遠出するのもちょっとあれだし」
 “ちょっとあれ”の意味を読み取れずに彼を見ていると、るりはそっと顔を近付ける。玄関先に立ったまま、小さな声で彼は言った。

「今日、外でトイレ行くの禁止」
 え、と声が出かけて、先日自分が口にしたことを思い出す。一気に顔が熱くなるのを感じた。
「そ、それ、やっぱり無し……」
「駄目。大丈夫、近所しか行かないから。行きたくなったら、帰ってこよう」
 そう言われても、大丈夫だと素直には思えない。先程までとは違う緊張感に、体が強ばる。固まって立ち尽くす私の手を彼はそっと握った。
「行こうか。とりあえずご飯食べよう」
「……うん」
「緊張してる?」
「……するに決まってるでしょ」
「可愛い。大丈夫だよ、恥ずかしい思いはさせないから。普通にデートを楽しもう?」
 手を引かれて、そろそろと靴を履く。それから玄関から出たところで、鞄ごと部屋に忘れていたことに気付いた。慌てて部屋に戻って、用意していた鞄を持って外へ出た。
 忘れ物なんて、こんなこと初めてかもしれない。しっかりしないと。そう思うのに、胸がどきどきして落ち着かない。まだ何もしていないのに調子が狂う。
 表で待っていたるりは私が鍵を掛けたのを見てから、こちらに手を伸ばす。そっと手を繋ぐと、彼は嬉しそうに頬を緩める。それを見て、私も同じ表情をしたような気がした。

 食事はいつもの行き慣れたファミリーレストランだった。昼食にしては少し遅めの時間なので、お店は空いていた。
「誕生日なのに、いつもの場所でごめん」
「ううん、ここのハンバーグ好きだから嬉しい」
 変に洒落た場所に行くよりは、慣れた場所の美味しいハンバーグの方が落ち着く。
「でも折角だから、今日はエビフライも付けちゃう」
「もっと色々付けたら? からあげとかソーセージとか、チーズも乗っけられるよ」
「そんなに頼んだら、食べきれないかもしれないから良いよ」
 ご飯を残すのはいけないこと。幼い頃学んだ習慣は今も変わらない。『食べられないのにどうしてそんなに頼んだの。“お姉ちゃん”なんだから、自分の食べられる分くらいわかるでしょ』と大きな声で叱られたことは未だに頭に染み付いている。
 でも、妹はいつでもどれだけ残しても怒られなかった。仕方ないなあ、なんて言いながら父が妹のお皿に手を伸ばす。それを見ながら、デザートのケーキを頬張る妹の姿を何度も見た。食べきれなかったらどうしよう、そんな不安に駆られることなど、妹は一度も無かったのだろう。

「やーちゃん?」
「……あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
 慌ててメニューに目を戻す。早く決めないと、と慌てていると、優しい声が向かい側から聞こえた。
「残ったら俺が食べるから、いっぱい頼んでいいよ」
「うん、ありがとう」
 お礼を言いながら、注文を決める。今日は朝食も少なめだったから、少し多く頼んでも大丈夫なはず。いつものハンバーグに、少し贅沢してエビフライ、それから少し思い切ってソーセージも付けることにした。

 いざ目の前に届くと、意外と大丈夫じゃないかと思った。食べ慣れた味は美味しくて、手が進む。これくらいなら食べ切れるんじゃないかと初めは思った。
 けれど、普段そんな量は食べないのに食べ切れるはずもない。ハンバーグを半分程、ソーセージを一本残すところで、お腹がいっぱいになってしまう。
 “お姉ちゃん”なんだから。聞こえるはずのない声が聞こえる。駄目、食べ切らないと。お箸を動かすけれど、ハンバーグを切り分けたところで手が止まる。それでも一切れ口に運んで、何とか飲み込む。お皿にはまだ残っている。

 向かい側を見ると、彼のお皿はもう空っぽだった。はやくしないと待たせてしまう。慌てるけれど、お腹がいっぱいでなかなか手が動かない。どうしよう、と途方に暮れていると、手持ち無沙汰な彼がこちらを見た。
「ゆっくりで良いよ。急ぐ予定もないし」
「うん、ありがとう」
「お腹いっぱいなら言って。俺が食べるから」
 言っても良いのかな。強がりな自分がまた少し剥がれていく。彼はグラスのお水を傾けている。恐る恐る、自分のお箸を置いてみたけれど、彼の表情は変わらなかった。
「ごめん、もうお腹いっぱい、で」
「ん、わかった」
 彼はそう言って、気にした様子もなく、自分のお箸を私のお皿に伸ばす。残ったハンバーグはソーセージはあっという間に彼の口の中に消えて、私のお皿は空っぽになった。

「ごめんね。残すなんてお行儀悪くて」
「そんなことないよ。美味しかった?」
「うん。色んなもの食べれて美味しかった」
 お水を飲んで、息をつく。お腹がいっぱいで、もう何も食べられない。美味しいもので満たされて、幸せな気分だった。
「行く?」
「うん、ありがとうね、るり。お腹大丈夫?」
「平気。なんならまだ食べれるよ」
「すごい……」
 お会計も彼がしてくれる。お礼を言うと、返事と同時に手を繋がれる。こういうの、良いな。心から力が抜けていく。

「どこ行こうか。買いたいものとかある?」
「時計の電池が切れたから買いたいな。単三電池」
「……もうちょっと誕生日らしいもの欲しくないの?」
「そう言われても思いつかないんだもん」
「やーちゃんが良いなら良いけど。折角なら、時計を新調するとかどう?」
「まだ動くから勿体ないよ」
 可愛げがない返事だと思いながらも、何にも気取らない自然体な言葉が出てくるのが少し嬉しかった。彼は少し呆れたように笑いながらも、駅前のショッピングモールに向かってくれた。

 電池を買って、ぶらぶらと他のお店を見る。この後はどうしようか。夕食にはまだ早いし、昼食が遅めだったので全然お腹は空いてない。
 他に必要なものがあったかなと考えていると、ふとゲームセンターが目に入った。ちょっと古びた外観だけれど、中からは楽しそうな光や音が漏れ聞こえる。
「寄る?」
「うん。ちょっとだけ見ていい?」
「良いよ。……あと、さ」
 彼はそっと私の耳元に寄る。
「トイレ、まだ大丈夫?」
 さっきまでは完全に忘れていたのに、そうして意識すると途端に顔が熱くなる。全然平気だったのに、一度気にしてしまったからか、下腹部がじんわりと重く感じる。
 まだ、平気だとは思う。でも、普段なら間違いなくトイレに行ってる。

 大丈夫だと返事をすると、彼は小さく息を吐く。私と同じように顔を赤くしていた。
「余裕ある間に言ってね。ここからだと家まで少し距離あるから」
 再び、頷いて返事。再び歩き出したけれど、頭の中は後のことでいっぱいだった。
 私、本当に、おもらしするのかな。考えただけでどきどきして落ち着かない。古い傷を優しく撫でられているような感じがする。遠い昔に塞がっているはずの傷がじんじんと痛み始める。怖い。けれど、期待する自分も居た。

 ゲームセンターの中は流石に煩い。隣にいる彼と会話をするのも、少し声を大きくしないといけない。
 入口付近にあるUFOキャッチャーの前をふたりでゆっくり歩く。大きなお菓子や流行りのフィギュア。それから、ぬいぐるみ。
「昔ね、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取ったんだ」
 思い出したことを、ぽつりぽつりと口にする。何故話したのか、話そうと思ったのか自分でもわからない。
 彼なら話しても大丈夫だと、それから、こうして話せるくらいには自分でも受け止められているのだと思う。自分でも少し安心した。

 一目惚れしたぬいぐるみがあった。幼い私はお小遣いを使って、やっとの思いで手に入れた。すごく可愛くて、大好きで、その日は一緒にベッドに入った。名前を何にしようか、ずっと考えながら眠った。
 翌日。朝、ベッドの上で私を見送ってくれたぬいぐるみは帰宅した時には無くなっていた。ちゃんと置いていたはずなのに、どこを探しても見つからない。家中あちこち探していると、妹がそのぬいぐるみを抱えて自分の部屋から出てきた。
『あ、これちょーだいね、“お姉ちゃん”。別に良いでしょ? “お姉ちゃん”にはぬいぐるみなんか似合わないよ』
 さも自分の物だと言うように、妹はぬいぐるみをしっかり抱えていた。その言葉に何と返事をしたのか覚えてない。ただ、ぬいぐるみの無いベッドでひとり泣いたことは覚えている。
 母には言わなかった。どうせまた“お姉ちゃん”なんだからと言われることがわかっていたから。

「それって何のぬいぐるみ?」
「それが覚えてないんだ。すごく気に入ってたはずなのにね。犬か猫かうさぎか、何か可愛い動物だったと思うんだけど」
 るりはきょろきょろ見回すと、そのまま私の手を引いて機械の前に立つ。少しくすんだガラスの向こうには、うさぎのぬいぐるみ。ピンク色で顔くらいの大きさがあって、ざっくばらんに積み上げられていた。
「これでも良い? 昔、やーちゃんが欲しがったのとは違うかもしれないけど」
「い、良いよ、大丈夫だから。もうぬいぐるみなんて年齢じゃないし、多分、取るの難しいよ?」
「大丈夫、任せて」
 そう言いながら、お金を入れてしまう。楽しげな音楽と共に箱の中でアームが揺れる。彼の真剣な眼差しの先で、アームがゆっくりと動いて、ゆっくりと止まる。

「あー、もうちょっと奥?」
 どうだろうと相槌を打っていると、うさぎは少しだけ持ち上がった。けれどアームの隙間を抜けて、ぽとりと落ちる。それを見届けて、るりはもう一度お金を入れる。今度はちゃんと持ち上がって、少しだけ運ばれたけれど、また落ちてしまう。
「首のところに引っ掛けられないかな」
「腕の下の方が良くない?」
「えー、あんなところにアーム入らないよ」
 いつの間にか、私も真剣になっていた。うさぎが動くたびに息を呑む。落ちると彼と一緒になって声を上げる。
 もう少し、あと少し。ぐらぐらと不安定なアームに頭でっかちなうさぎが運ばれるのをふたりで息を呑んで見守る。

 何度目の挑戦だっただろう。端まで辿り着いたうさぎがアームが離れて、ぽとりと落ちる。楽しげなファンファーレのような音楽。やった! とふたりで声を上げていた。
 彼が屈んで、外に出てきたうさぎのぬいぐるみを取り出す。
「はい、プレゼント」
「ありがとう、嬉しい」
「これは誰にもあげちゃ駄目だよ。やよいのだから」
「……うん。ありがとう」
 私の、ぬいぐるみ。“お姉ちゃん”じゃなくて、やよいのぬいぐるみ。もうそんな年齢ではないと思っていたけれど、それでも嬉しくてたまらない。ピンクのうさぎを抱き締めると、彼はそれを見て優しく笑っていた。

「うさぎ、持とうか?」
「ありがとう、大丈夫。あと、自分で持ちたいの」
 肩に鞄を掛けて、片手にはぬいぐるみの入った袋。反対の手は彼の手。両手いっぱい、体も心も満たされて、胸が温かくなる。
 大事なぬいぐるみ。誰でもない、私のぬいぐるみ。今は袋の中だけど、帰ったらベットに置こうと思った。持っていく人はどこにもいない。あの時は出来なかったけれど、この子には名前を付けようかな、なんて考えた。

 彼は店の奥を見ていた。コインゲームやアーケードゲームが並ぶ、ここより更に賑やかな場所。そこに向かおうとする彼を、手を引いて留めた。
 いっぱいなのは、手だけじゃなかった。体の中で衝動がじんわり込み上げて、鈍い不快感が広がっていく。ぶるりと体がひとりでに震えた。
「やーちゃん?」
 近付いた距離を更に近付けようと、踵を上げる。背伸びして、そっと彼の耳元に近付く。
「トイレ、行きたい」
 消えてしまいそうなくらい小さな声だった。賑やかな場所では簡単に掻き消えてしまうだろう。でも、それは確かに彼に届いていて、目が合った後、彼の顔が赤く染まる。

「帰ろうか。……大丈夫? 荷物、持とうか?」
「まだ、大丈夫」
 その言葉は本音。まだ我慢できる。でも、普段なら間違いなくトイレに行ってる。だって、これ以上我慢したら、万が一のことがあったら間に合わなくなってしまう。
 例えば、近くにトイレが無かったり、混んでいたり、使えなかったりする可能性は充分にある。だから、普段なら必ず行く、けれど。
 ぞわぞわと嫌な感触が体の中に広がっている。トイレに行きたい。けれど、我慢。手を引かれて、ゲームセンターを出た。家までの見慣れた道を歩きながら、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。

 駅から家までの道は数え切れないくらい歩いた。普段ならあっという間、考え事をしていたらすぐに辿り着くくらいなのに、今日はやけに遠く感じる。
 繋いだ手が熱い。汗をかいている気がする。拭きたかったけれど、るりはぎゅうと握ったままで離す気配は無い。でも、そうして繋がれた手の感触は少しだけ安心させてくれた。
 ぞわぞわと嫌な感覚が体の中で膨らんでいく。まだ、大丈夫だと思う。でも、そろそろ行かないと。体の不快感もあったけれど、それ以上に心が不安で落ち着かなかった。
 あの時の妹とは違う。私はもう子供じゃない。ちゃんと我慢しないと。トイレには余裕を持っていくもの。誰に教わるでもなく、自然と染み付いた習慣。
 “お姉ちゃん”なんだから。そんな声がどこからか聞こえて、じりじりと私を追いやっていく。

 マンションに辿り着いて、オートロックの扉を開けて、エレベーターへ。偶然にも箱は1階にあったので、すぐ乗り込むことができた。
 扉が締まると、狭い空間に私達だけになる。少しだけ肩から力が抜けた。
「もうちょっとだよ」
「うん。……あの、るり、やっぱり止めよう?」
「駄目。大丈夫だよ、俺に任せて」
 大丈夫。その言葉に、全てを投げ出して飛び込んでしまいたい気持ちもある。でもやっぱりそれは出来ない。
 しっかり者の自分が、“お姉ちゃん”としての自分が、何を考えているんだと叱咤する。誰でもない私自身がそんなことは駄目だと否定する。
 緊張していた。足が震えて、息が苦しくなる。少し頭が痛い気がする。エレベーターの扉が空いても、息苦しさは変わらなかった。

 何度も何度も通った廊下なのに、今日はやけに長く感じた。鞄のいつもの位置に入れた鍵を取り出して、扉を開ける。玄関の向こうは自分の生活している部屋なのに、なんだか違って見えた。
 部屋に入ろうとして、見覚えのない荷物が置かれていることに気付いた。そっと隣を見ると、るりが見守るようにこちらを見ていた。
「あの袋、るりの?」
「うん。出掛ける前に置かせてもらった」
「気付かなかった」
「声掛ければ良かったね。ごめん」
「ううん。びっくりしただけだから大丈夫」
 靴を脱いで、部屋に入って、鞄を置いて、いつものように上着を脱ぐ。慣れた動作を行うと落ち着くかと思ったけれど、そんなことはなかった。

 ぞわぞわ、お腹の奥が疼く。重くなった下腹部が落ち着かない。はやく、トイレに行こう。そう思ってクローゼットの扉を締めたところで、後ろからぎゅうと抱き締められた。
「家まで我慢できてえらい。良い子良い子」
「……そこまで子供じゃないよ」
「良いから良いから」
 後ろを振り向くと、頭を撫でられる。それは嬉しいけれど、今はそれどころでは無かった。
「準備するから、ちょっと待ってて」
「や、やっぱり無理っ、だめ。やめよう。もう充分満足したから」
 声が震える。本当に、今日は充分に満足した。幼い頃に出来なかったことを彼はたくさん叶えてくれた。だから、もう良い。これ以上なんて駄目だと心が叫んでいる。

 言うだけ言って、トイレに行こうと思ったけれど、腕を掴まれて動けない。
 じわじわ込み上げる感覚が強くなっていく。ぞくぞくと悪寒がする。スカートの下、お腹がぽこりと膨らんで重くなっているのがわかる。
 はやく、トイレに行かないと。落ち着かない感触からはやく楽になりたかった。我慢を続ける体も辛かったけれど、それ以上に心が限界だった。
 声が聞こえる。そんな恥ずかしい真似、“お姉ちゃん”なのに何をしてるの。しっかり者の“お姉ちゃん”は他人の手を煩わせたりしない。“お姉ちゃん”はもう充分満足したでしょう。だから、いい加減にしなさい、もうやめなさい。

 頭が真っ白になっていく。掴まれた腕を振りほどこうとしたけれど、それより先に手を離された。驚いて呆気にとられる私を、彼はぎゅうと正面から抱き締めた。背中を抱かれて、宥めるように優しく撫でられる。
「やよい」
 名前を呼ばれて、彼の胸に頭を寄せた。だらりと落ちていた手で、縋るように彼のシャツの裾を握っていた。
「大丈夫、大丈夫だよ、やよい」
 そうやって呼ばれると、大丈夫だと言われると、また強がりな自分が剥がれてしまいそうになる。“お姉ちゃん”じゃない、誰でもない私が顔を出す。幼い頃から燻っていた思いが燃え上がっていく。

「俺がぎゅーってしてあげる。大丈夫だよって幾らでも言ってあげる。おもらししても、着替えさせてあげる。だから、大丈夫だよ」
「……ほんとに、大丈夫?」
「大丈夫。俺、やーちゃんには嘘付かないよ」
「怒らない? 笑わない? 嫌わない? どこにもいかない?」
「大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫」
 その言葉にまた泣いてしまう。恥ずかしくて顔を伏せて隠すけれど、流石に目の前では丸わかりみたいで、優しく背中を撫でられた。

 見慣れたフローリングの床に、見慣れない白いシートが敷かれるのを眺めていた。多分、ペット用のトイレシートだ。今からそこでおもらしするんだと印を付けられているようで、直視するのが恥ずかしい。
 シートを敷き終えると、るりはこちらに来る。私の頭を撫でて、じっと目を見つめられる。何も言えなかったけれど、彼も何も聞かなかった。
「すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
「どこ行くの?」
「トイレ」
「……るりだけずるい」
「いや、だって、俺が漏らしたら流石に駄目でしょ」
「ぎゅーってしてあげるよ?」
「それはしてほしいけど、今日は駄目。すぐ戻るから待ってて」
 部屋を出ていく背中を見つめながら、じんじんと腰のあたりで響く衝動が強くなっていくのを感じた。じっとしていると辛くて、自然と両足を擦り合わせた。

 トイレ、行きたい。こんなに我慢したことは今まで無いかもしれない。普段なら、絶対にトイレに行ってる。トイレはすぐそこにあって、いつでも行けるけれど、今は行けない。駄目だと言われた。
 うう、と声が漏れた。何年も過ごして慣れた部屋なのに、まるで知らない場所のように感じて、居た堪れない。部屋の隅に立ち尽くしたまま、動けなかった。

 もじもじと体を揺すりながら、幼い頃の妹の姿が脳裏に浮かんだ。
 車の中、漏れちゃう漏れちゃうと叫びながら、両手でぎゅうぎゅうとスカートの前を押さえて、ばたばたと両足を暴れさせていた。隣で見ていても辛そうだった。でも、その姿はみっともなくて、見ているだけでも恥ずかしかった。あんな姿、私は絶対に見せられないと思っていた。
 お腹を撫でる。こんなに、我慢してる。ぞわぞわと耐え難い衝動が体の中で暴れている。はやく、トイレ、行きたい。自然と俯いていた視線を上げると、部屋に戻ってくる彼の姿が見えた。

「……私も、トイレ」
「駄目だよ。おいで、やーちゃん」
 るりは先程広げた白いシートの上に座る。呼ばれて、思い足取りで傍に寄ると、手を引っ張られた。向かい合うように、正座を崩した形で床に座る。
 シートを敷いたとはいえ、固いフローリングにそのまま座っているのとそんなに変わらない。足が少し痛かったけれど、そんなことはどうでも良くなる程に緊張していた。
 背中に手が触れて、そっと抱き寄せられる。そのまま彼の胸に手を付いて、寄りかかった。
「良い子良い子」
 恥ずかしさで頭が真っ白で、何も言葉が出てこない。返事の代わりに彼の服を掴む。息が荒くなる。どきどきと自分の心臓が飛び出しそうな程に高鳴っていた。

「……もう、出しても良いの?」
「もうちょっと我慢しよう。大丈夫だから」
 恥ずかしさから逃げたくて、早く終わらせようと思ったけれど、それは許されない。
 大丈夫だと言われても、全然大丈夫じゃない。自分でも訳がわからなくて、どうしたら良いのかわからない。手が震える。怖くて、俯いたまま顔が上げられない。それでも彼はぎゅうと私を抱きしめてくれる。
「や、だ、やっぱりトイレ」
「駄目。大丈夫だから、落ち着いて」
「だ、だって、恥ずかしっ……」
「俺しかいないし、誰にも言わないから。何も隠さなくて良いんだよ、やよい」
 うう、と声が漏れた。トイレ、行きたい。じっとしていられなくて体が揺れる。
 どうしよう、トイレ、おしっこ。お腹が苦しい。こんなに我慢したことない。駄目、このままじゃ、ほんとに私、私……!

 顔を上げると、柔らかい視線と目が合う。
「抱っこしてあげるし、大丈夫って幾らでも言ってあげる。何を言っても良いよ。やよいのしたいこと、全部叶えてあげるから」
 視界に映るのはるりだけ。他に誰もいない。父も母も妹もいない。それなら“お姉ちゃん”もいない。
 強がりな私がどんどん剥がれていく。我儘で、子供で、何も出来ない私が顔を出す。

 ぎゅうと彼の服を掴む。息が荒くなる。ぺたりと床に付けた足がもじもじと揺れる。
「るりっ……」
「うん、大丈夫だよ、やーちゃん」
「こ、わいのっ……、おこられちゃうっ……」
「誰も怒らないよ。怖くないよ。大丈夫」
 “お姉ちゃん”なんてどこにもいない。ここにいるのは、ただの私。我儘で、泣き虫で、大人になりきれない私。それでも、そのまま受け止めてもらえる。
 怖くない、大丈夫。その言葉に箍が外れてしまう。大丈夫の言葉に、背中を押されて飛び込んでいた。

 あっ、あっ、あっ。きゅうとお腹が疼いて、両足の付け根で出口がじんじんする。おしっこ、おしっこしたい、でちゃう、だめ、おしっこっ……!
 ぶるりと体が震えて、おしっこの波が走り抜ける。ぎゅうと両足を寄せても収まらない。あ、あ、どうしよう、おしっこ、だめ、おしっこっ……!
 咄嗟に、スカートの上から出口をぎゅうと押さえていた。あのときの妹みたいな、恥ずかしい格好。でもそうしないともう我慢出来ない。
 おしっこがでちゃいそうで、出口がひくひくと疼いている。ぎゅうぎゅう子供みたいに押さえて、必死におしっこを我慢する。

「可愛い、やーちゃん」
 可愛くない。こんな姿、恥ずかしくてたまらない。でも、じっとしていられなくて、ぎゅうぎゅうと出口を押さえたまま、前屈みになって体が揺れる。だめ、おしっこ、おしっこしたい、もうだめ、でちゃう、おしっこでちゃうっ。
「や、だっ、るり、といれっ……! おしっこでちゃうっ、もれちゃうっ……!」
 あの時の妹みたいになりふり構わない格好で、恥ずかしい言葉を繰り返して、必死におしっこを我慢する。頭の芯がじんと痺れる。訳も分からず、涙が溢れる。

「もうちょっとだけ我慢できる?」
「むりっ、もれちゃうっ、おしっこでちゃうっ、おねがい、といれっ、るり、おねがいっ……!」
 お腹が疼いている。破裂しそうなくらい大きく膨らんでいて、もう限界だと叫んでいる。苦しくて、おしっこが出したくてたまらない。じんじんと出口が疼いて、内側からこじ開けられそうになる。
「あっ、あ、だ、めっ、あっ……」
 ぎゅううっと押さえているのに、出口がひくひくする。だめ、だめだめだめだめ、だめ、おしっこ、おしっこっ……! もう膀胱は限界で、僅かな隙間すらなくて、中身を出そうと内側から出口をこじ開ける。押さえているのに、出口が疼いて、じわりと熱いおしっこが滲む。

「あっ、あっ、あっ……!」
 上手く息ができない。指先がじわりと熱くなる。だめ、でちゃ、うっ……! ぎゅうぎゅう押さえて、塞いで、必死に我慢するけれど、おしっこがしたいのが全然収まらない。
 もうだめ、おねがい、といれ、おしっこっ……! 顔を上げると、彼の顔が滲んでいて、どんな顔をしているのかわからない。ただ、助けを求めるように、彼の服をぎゅっと掴んだ。
「やーちゃん、もう我慢できない?」
 何度も頷く。ぎゅうぎゅう押さえている手がまた熱く濡れる。下着が、スカートが濡れている。だ、め、おしっこ、でも、もうっ……!

「可愛い。おいで、ぎゅーってしてあげる」
 手が震える。全身が震える。じわり、じわりとおしっこが溢れていく。服を掴んでいた手を離して、彼に飛びついた。重いお尻を持ち上げて、膝立ちになって、片手を首に回して、ぎゅうと抱きつく。
「あっ、あっ、だ、めっ……!」
「おしっこでちゃう?」
「で、ちゃ、んっ、んんっ、だめ、だめっ……!」
 彼の首に回した手に力が籠もる。全身ががくがくと震えている。背中を抱かれて、宥めるように撫でられるけれど、震えが止まらない。

 強く強く押さえる手の先で、ぶじゅ、と熱く湿った音がした。
「……ん、ぁ、ああ、や、あ、ぁっ……!」
 びちゃびちゃびちゃ、と激しい水音が響いた。あ、あ、あ、だめ、あ、あっ……! 腰が震える。熱いおしっこが勢いよく吹き出して手を濡らしていく。
「あっ、あっ、あ、ぁっ……」
 おしっこ、で、て、るっ……! だめなのに、止まらない。
 じゅーっと体の中に水音が響き渡っている。上手く呼吸ができない。は、は、と短く荒く吐き出す息に混じって声が漏れた。

 ぶじゅーと野太い水音と、びちゃびちゃと雫の跳ねる音。私の呼吸、私の鼓動。頭が真っ白で、ただ気持ちいいことしかわからない。
 体が熱くて、震えている。怖くて、ぎゅうとしがみつく。大丈夫、大丈夫と優しい声が傍で聞こえて、背中を撫でられる。これに合わせて呼吸をすると、少しだけ楽になる。
 おしっこ、おしっこ出てる、いっぱい、出てる。体が震える。全身から力が抜けて、浮いていたお尻が床に落ちる。べちゃ、と湿った音がした。

 +++

 呼吸を繰り返すことしかできなかった。気が遠くなるような時間だった。
 お尻の下がぐっしょり濡れている。下着とスカートも濡れて、肌に張り付いていた。出口を押さえていた手もぐっしょりと濡れていた。
 おしっこ、で、ちゃった。気持ち、良かった。限界寸前のおしっこは感じたことがないくらい気持ち良くて、頭の芯がじいんと痺れていた。
 さっきまでは燃え上がりそうな程に熱かったのに、今は凍えそうなほどに寒かった。力が抜けた体が震える。伸ばした左腕だけが離れまいとして彼の肩をぎゅうと掴んだままだった。

 やっちゃった。おもらし、しちゃった。真っ白だった頭の中に段々と色が戻ってくる。
 どう、しよう。怖い。体が重い。うまく頭が回らない。じわりじわりと焦りだけが込み上げてくる。何かしないとと思うのに、体が動かない。
 背中に何かが触れて、そのまま抱き締められた。彼の胸に頭が寄せられて、世界が薄暗くなる。
「大丈夫、大丈夫。いっぱい我慢したね。えらいね」
 悲しくないのに、涙がぼろぼろ溢れてくる。
「……るり、お、しっこ、で、ちゃったっ……」
「うん。お風呂入って、着替えたら大丈夫だよ」
「……るりっ……」
「良い子良い子。やよいは良い子。大丈夫だよ。我慢して偉かったね」
 彼の背中に手を回して、ぎゅうと抱き着いた。大きな手が背中を撫でてくれて、優しい声が大丈夫だと言ってくれて、温かくて優しくて、涙が止まらない。嗚咽が込み上げて、うまく喋れない。それでも、るりはずっと傍にいて、抱き締めてくれていた。

 しばらく泣くと溢れる涙もなくなって、やっと落ち着くことができた。顔を上げると、背中を撫でていた手が頬に触れて、涙を拭ってくれた。
「大丈夫?」
「……うん、ごめんね。いっぱい泣いちゃった」
「幾らでも泣いて良いよ。抱き締めてあげる」
 散々泣いて、酷い顔をしている気がする。それでも下手くそに笑ってみると、るりも笑ってくれた。
「お風呂入ろうか。そのままだと風邪引くから」
「うん」
 着替え、出さないと。先に用意しておけばよかった。濡れたスカートはここで脱いでしまった方が良いかな。このシートも片付けてないと。そうやって考えていると、るりの手が足に触れて、そのまま抱き上げられた。

「よし、お風呂行こう」
「い、いいよっ、自分で歩くっ……!」
「良いから良いから」
 背中と膝裏に彼の手が触れている。るりは気にした様子もなく、フローリングを歩いていく。
「着替えとか、片付けとかしないと」
「俺がやるから大丈夫。今日は全部俺に甘えてよ」
 もう既にたくさん甘えてしまったのに、まだ甘えていいのかな。不安になりながらも、彼の腕の中に大人しく収まっていた。
 慣れた自宅の中だけれど、抱き上げられて移動するのは落ち着かない。その上、スカートも下着もぐっしょり濡れていて、体が段々と冷えてくる。体に触れる彼の体が温かくて、そっと手を伸ばして彼の服を掴んだ。

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初出: 2022年3月13日(pixiv・サイト同時掲載) 掲載:2022年3月13日

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成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
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