お風呂場で、スマートフォンのカメラをこちらに向けて。ああ、もうだめ。本当にもうだめ。
空っぽの湯船の中、ひたひたと足踏みを繰り返す。は、は、と自分の荒い吐息と、ぺちぺちという足音。もうだめ、もうだめ、もうだめ。
Tシャツに下着だけのはしたない姿。絶対に人には見せられない姿。
だめ、もうでちゃう。ぎゅうぎゅうと下着の上からそこを押さえて、くねくねとみっともなく体を捩って。それでも、もう我慢の限界で。
おしっこ、おしっこしたいよ、おしっこ、もうでちゃうっ。
あの画面には、私のあられもない姿が余すことなく映っている。そう思うだけで、頭がぼおっとした。
だめ、見ないで。そう思うのに、私はその場で足踏みを繰り返す。
ぎゅうぎゅう、そこを押さえる指先がじんわりと熱く濡れる。ああ、だめ、だめ、もうだめ。おしっこ、おしっこしたい、もうだめ、でちゃうの。
おしっこ、しても良いですか? 無機質な背中に問いかける。まだ駄目だよ。そんな意地悪な返事がどこかから聞こえる。
でも、だって、もう。僅かな時もじっとしていられない。ぺたぺたと冷たい床を踏む。もうずっと、ずっとおトイレ行ってない、ずっと我慢してる。もう、もう、本当に、本当に限界で。
あ、あ、あ。声にならない声が、荒い呼吸になる。
だめ、だめだめだめ。じわり、熱いおしっこが少し出て、ああ、あ、あ、あああ。ぎゅううっと押さえるけれど、おしっこしたいのは全然おさまらない。
おしっこ、おしっこでちゃう、もう、もうだめ、おしっこ、おしっこでちゃう、もれちゃう、だめ、もうだめぇっ……。
あ、あ、ああ、あぁっ……、だめ、ごめんなさい、でる、おしっこ、もうっ……! もう無理、もう駄目と胸の内が泣き叫ぶ。もう駄目、もう無理。
白旗を握って、それをゆっくり持ち上げていく。ごめんなさい。その言葉は誰に対してか。
ごめんなさい、もうむり、もうだめ、ごめんなさい、もう、もうっ……!
天秤がぐらぐら揺れる。もう駄目、もう無理。揺れるたびに、皿の底は地面に近付いていく。あ、ああ、あ、あ、もう、もう、あ、あああっ……。
かしゃんと音がして、皿が一瞬地に触れて。その瞬間、背中を向けていたスマホが大きな音を立てた。それに驚いたのと同時に、じゅわっとおしっこが溢れて、手の平を濡らす。
目の前で起こっていることがなかなか飲み込めなかった。その間にも、聞きなれたその音は鳴りやまない。いうことは電話だ。つまり、その音の向こうでは誰かが私の応対を待っている。
あ、あ、そんな、でも、もう、もう本当に……! 身を引き裂かれそうな私の訴えに、スマートフォンはただただ鳴り響く音で返事をする。まだ駄目だよ、と。
足踏みを繰り返し、身を捩り、片手でおしっこの出口を塞いて、反対の手を伸ばす。
だめ、もうだめ、本当にでる、でちゃう。荒れ狂う衝動を指先でぎゅううっと押さえつけて、それでも冷静を装おうと足掻くのは何故なんだろう。
もしもし。喉の奥から絞り出した声はか細くて、震えていた。
動揺していて、誰からの電話かもわからずに出てしまったことに気付く。画面を確認しようと耳から離しかけて、聞こえてきた声に固まる。
こんにちは、わんこちゃん。
聞こえた瞬間、全身が震えた。その瞬間に身を正す。けれど、それもすぐに出来なくなり、私は片手でぎゅうぎゅうと出口を押さえながら、電話に答える。
突然のお電話ごめんね、今、大丈夫? 口先だけで大丈夫だと言ったけれど、頭に言葉が全然入ってこない。おしっこがしたくてしたくて、他のことが考えられない。
身を捩りながら、ぎゅううっとおしっこの出口を押さえる。ちゃんと聞かないといけないのに、言葉が頭の中で滑っていて、ご主人様の言葉が全然理解できない。
ぞくっと全身が大きく震え、膀胱が中身を吐き出そうと収縮する。おしっこの出口を強く押さえて、それに抗って、でもそれ以上に強い波に流されそうになって、ああっと声が漏れた。
わんこちゃん? ご主人様が私を呼ぶ。大丈夫です、何でもないんです、口先だけで答えるけれど、きっとご主人様には全部お見通しなんじゃないか。電話の向こうで、声もなく笑っているような、そんな気がした。
何を言われて、何を言ったのか、全然わからない。少しの会話の後、ご主人様は笑い交じりに言う。
折角だし、お楽しみは取っておこうかな。その言葉は、必死に隠した私の本心を鋭く貫いた。動揺を必死に繕いながら、その言葉の意味を問おうとしたけれど、ご主人様は続けて言った。
次に会った時に全部報告するんだよ。全部見せてね、わんこちゃん。私が返事をする前に、電話は切れてしまった。
戻ってきた静寂。ご主人様の言葉を反芻する間もなく、込み上げる尿意に身を捩る。あ、あ、ああっ。堪え切れずに声が漏れたけれど、今度はもうご主人様には届かなかった。
ご主人様、もう、おしっこ、おしっこでちゃうっ。おしっこ、しても良いですかっ……! 問いかけても返事はない。
おしっこ、おしっこもう、もうむり、もうでる、でるでるでるっ、でちゃうっ……。
全部、報告するように、全部見せるように。ご主人様の言葉が頭の中で響く。震える手でスマホを弄る。カメラを起動して、動画に切り替えて、先ほどと同じ場所に立てかける。
手が震えているせいか、上手く置けずに、手を放すとスマホは倒れてしまう。はやく、はやくっ、もう、もうっ。は、は、と短い呼吸を繰り返し、スマホを立て直す。でる、でるでるでる、おしっこでる、もうでちゃう、むり、でちゃう、でちゃう、でちゃうっ。
我慢しているのに、おしっこはじゅううっと溢れ出て指先が熱く濡れる。ああ、あ、あっ、だめ、も、だめ、でる、おしっこ、おしっこ、もうだめ、おしっこ、おしっこっ……。
スマホを立てかけて、数歩下がる。空っぽの湯船の中、右足を上げて、左足を上げて。足の付け根、おしっこが今にも噴き出さんとする出口を両手でぎゅうぎゅうと押さえる。
ご主人様っ、もう、もうっ……! 我慢しているのに、おしっこの出口を塞いでいるのに、その隙間から容量を超えた熱いおしっこがじわり、じわりと溢れる。あ、ああ、だめ、だめ、ああっ……! 絞り出したかのような悲鳴が漏れだし、もう本当の本当に限界だった。
でる、でるでるでるっ……! そう思った瞬間、またスマホがぱたりと倒れる。押さえている手に、熱いおしっこがぶつかる。立っていられず、震える膝が折れる。
湯船の中にしゃがみ込んでしまうと、もう駄目だった。ぶじゅーっと手の中に熱いおしっこが噴き出し、渦を巻く。
あ、あ、あ、ああっ、あああぁっ……! 声にならない声が零れ、全身が解放感に震える。湯船の中、しゃがみ込んだ状態で、震える手を伸ばす。
倒れたスマホを握る。そのカメラを自分に向けた。歪んだ視線を、無機質なレンズを向ける。
自分が何を見ているのか、何をしているのか、もうわからない。意識は全て自分の内側に向いていた。
噴射なんて言葉じゃ生ぬるい、激しい勢いで噴き出したおしっこは薄い下着を突き抜けて、一本の太い線となって足元に落ちていく。
ああ、あ、おしっこ、すごいでてる、おしっこ、すごい、きもち、いい。呆然としながら、ただそんなことを考えた。
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空っぽの湯船の中、スマホを握りしめたままの状態で呆けていた。乾いていたはずの足元はおしっこでびちゃびちゃだった。
頭がぼんやりする。座り込んだ状態で、寒さに身震いして我に返った。ふわふわする意識のままで、お風呂を洗って、お湯を張って、体を温めた。
一段落してから動画を確認した。
肩から下の私の姿が映ったかと思うと、すぐに画面は暗転する。ぶじゅう、じゅうと水音と、は、はあ、と犬のような荒い呼吸音が流れる。そして画面が揺れて、次の瞬間には私が映る。がたがた揺れる画面は最終的に、Tシャツの胸元に落ち着く。
画面は見苦しいの一言だった。布地がただただ映るだけ、しかも手振れがひどくて、何が映っているかわかったものじゃない。
けれど、そこには確かに私の痴態が収められていた。
あ、ああっ、だめ、あ、ああっ……! 荒い呼吸に意味を持たない言葉が混ざる。
だめ、おしっこ、おしっこ、ああ、あ、あ、おしっこっ、おしっこ……! はあ、はあ、と荒れた息遣いとともに聞こえてくる自分の声。幼い子供が口にするかのような稚拙な言葉。
あ、ああ、あっ……! 引き絞るような悲鳴、そして、一瞬の静寂。
じゅーっと確かに聞こえる激しい水音。でた、でちゃった、ごしゅじんさま、おしっこ、おしっこでちゃったっ……。ご主人様、ご主人様とうわ言のように繰り返す自分の声は舌足らずで、幼子が甘えるようだった。私はご主人様にいつもこんな話し方をしているのだろうか。
水音は突然終わる。自然と終わるのではなく、ぶつっと突然断ち切られたのは、水音が尺に収まらなかったということだ。
何もかもが恥ずかしかった。画面を消してスマホをベッドに投げる。消したかったけれど、それが出来ないことはよくわかっていた。
全部報告して、全部見せないといけない。でも、これは流石に失敗だから撮りなおそうか。けれど、そうしたところで、ご主人様には全てお見通しなのだとばれるのだろうな、と思った。
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初出:2019年11月3日(pixiv) 掲載:2022年7月30日