英語教室からの帰り道、自宅近くの公園を通ると、隅っこに女の子がひとりぽつんといた。
髪は金色、目は緑色。通っている英語教室の先生と同じで、外国の人だとわかった。私と同じくらいの歳に見える。金色の髪が夕日を反射してきらきらしていて、とても綺麗だった。
女の子はあっちに行ったりこっちに行ったりと、落ち着きなくうろうろしている。時々、誰かに助けを求めるように辺りを見回すけれど、遊具で遊んでいる男の子達も声を掛けようとはしない。女の子自身も声を掛けにはいかないので、もしかしたら日本語が話せないのかもしれない。
あんまり人のことをじろじろ見ちゃいけないと思ったけれど、気になってしまう。なんだか困っているように見えて、つい目で追っていた。
そうしていると、女の子がこちらを向いたので、目が合ってしまった。丸くて大きな目が更に大きくなる。でも、その前に一瞬見えた表情は泣きそうに見えた。
勇気を出して、その子に近付く。どきどきと心臓の音が大きくなっていく。大丈夫、落ち着いて。こういう時は何て言えば良いか。この間、先生にも教えてもらったところだ。発音が上手だと褒めてもらえた、その時を思い出す。
『大丈夫ですか? 何か困ってますか?』
ちょっと震えた声になったけれど、何とか言えた。伝わったかな。不安でいっぱいでどきどきしていると、女の子の表情がぱあっと明るくなる。
良かった、通じたんだ。そう思った矢先、女の子は口を動かし、どんどん言葉を紡ぐ。次々に飛び出してくる単語をなんとか聞き取ろうとしたけれど、早口なのでわからない部分の方が多い。
それでも何とかわかる単語を拾い上げようとしていると、女の子は私の手をぎゅっと握って、どこかへと引っ張っていく。
『お願い』『私を助けて』 辛うじてその言葉は聞き取れた。でも、肝心の内容がまだわからない。引っ張られながら、どこに行くんだろうと思っていると、公園の隅にあるグレーの建物がどんどん近付いてきた。
中に入ったことはないけれど、それが何かは知っていた。トイレだ。女の子は足を止めず、私を引っ張ってトイレの中に入っていった。
中はちょっと薄暗くて、埃っぽくて、砂でじゃりじゃりしている。あんまり綺麗じゃないし、おばけが出そうで気持ち悪いし、何より公園から家まで5分くらいなので、わざわざここのトイレを使ったことはなかった。
女の子はそんな不気味な場所を気にすることもなく、どんどん進んでいく。そこで、彼女の左手がスカートの上から両足の間をぎゅううっと押さえていることに気付いた。
もしかして、トイレに行きたかったのかな。怖くてひとりじゃ入れなかったのかな。そう思っていると、私達は個室の前に辿り着いた。
彼女はそれでも私の手を離さない。それどころか、個室の中まで私を引っ張っていってしまって、流石に慌てた。
いくら怖くても、中まで一緒に入るのは流石に……! 大胆な行動に戸惑っていると、彼女は私の手を離して、扉を閉めた。鍵を掛ける間にも、左手はスカートの上からぎゅうぎゅうと押さえ続けていた。
『ねえ、どうやって使えば良いの!? お願い、教えて!』
彼女は捲し立てるように言う。早口だったけれど、なんとか聞き取れた。
使う? どうやって? 一体何を? 言葉が聞き取れてもその意味が一瞬わからなくて、視線を反らす。そうすると足元のトイレが目に入って、やっと彼女の困っていた理由が分かった。
砂の散ったタイルの上にあるのは、和式トイレだ。これの使い方がわからなくて困っていたんだ。
誰かに聞こうとしても、英語は通じないだろうし、公園にいたのは男の子ばかり。こうやって引っ張ってくることも出来なかったんだ。
いつの間にか彼女の両手はスカートの中に潜り込んで、ぎゅうぎゅうと下着の上から押さえていた。
両足は忙しなくタイルを踏み、静かなトイレにぱたぱたと足音が響く。もじもじ体をくねらせ、大きな目にはうっすらと涙が浮かび、縋るようにこちらを見つめていた。
『このトイレはしゃがんで使うの』
『しゃがむ? え、しゃがむって何!? どうするの!?』
端的な言葉では使い方の想像がつかないみたいで、彼女はその場で足踏みを繰り返すだけだ。
『え、ええと、スカートを上げる。次に、パンツを下ろす』
知っている単語を頑張って思い出しながら、ひとつひとつの動作を説明する。
彼女は何の躊躇いもなく、私の言葉通りに動く。
まず、スカートをばさっと大胆に捲り上げると、そのまま下着を一気に膝下までずりおろした。大事なところが丸見えになって思わず慌てたけれど、本人はそれどころじゃないようで、その状態でくねくねと体を捩っていた。
『次! 次は!?』
『え、えっと、右足がここ、左足がここ! またぐ! それからしゃがむ!』
彼女の勢いに押されて、ついこちらも言葉に力が籠って強い口調になっていた。
彼女は言われた通りに両足を和式トイレの左右に置く。それから、すとんとその場にしゃがみ込んだ。
大丈夫、それでオッケーだよ! と言おうとしたけれど、その必要はなかった。
ぶしぃぃぃぃ! と滝のような激しい水音が突然響き渡った。
『はあぁぁっ……!』
それまでの荒い早口とは似ても似つかない、柔らかい安堵の声が水音を追いかけて聞こえた。その声は心の底から気持ちよさそうで、聞いてはいけないような気がして、とてもどきどきした。
勢いのあるおしっこが和式トイレの水たまりに注ぎ込まれて、じょぼぼぼ、と大きな水音がした。相当我慢していたみたいで、彼女のおしっこは全然止まらない。
静かだった薄暗いトイレには彼女のおしっこの音がうるさく鳴り響いている。音消しに水を流すことを教えてあげるべきだったと思ったのはずっと後だ。その時はただそのあまりの勢いに呆然としていた。
英語教室の先生から、外国の暮らしについて色々教えてもらったことがある。ご飯では無くパンがメインだよとか、お風呂は基本シャワーだけだよとか、家の中でも靴を脱がないんだよとか。
そういう事を聞いて、海の向こうでは全然違う暮らしをしているのだなと想像を膨らませていた。どこか遠い、別の存在のように感じていた。
でも、今、私の目の前にいる金髪の女の子はおしっこをしている。私と一緒だ。外国の人もトイレを使うんだ。おしっこをするんだ。そう思った瞬間、遠く感じていた存在がとても近くに感じた。
しゅうううう、と水音はまだ続いている。私もぎりぎりまで我慢しちゃったことはあったけれど、それでもここまでたくさんは出なかった。
こうして間近で他人の排泄を見て、汚いとか見たくないとか、そういう嫌な感情は全く浮かばなかった。ただただその勢いがすごくて、純粋に驚いていた。つい、その後頭部をぼーっと見つめていた。
一分くらい、もしかしたらもっと、彼女のおしっこは続いていた。
『はあっ……』
ちょろちょろと勢いが収まると、彼女はもう一度大きく息を吐いて、ごそごそと壁のトイレットペーパーに手を伸ばす。それから下着を履いて、スカートを正した。
『前のレバーを踏むと水が流れるよ』
『ありがとう。ここね、よいしょ』
あの早口はどこへやら、今の彼女は落ち着いた口調で話してくれる。そうしてくれると聞き取りやすくて助かった。
ふたりで個室を出て、手を洗う彼女の背中を見つめる。慌てていた様子は今は全く無く、鼻歌交じりにぱしゃぱしゃと軽い水音を立てていて、先程までの張り詰めていた空気はどこにもない。
水音が止まる。彼女はポケットからハンカチを取り出して手を拭いながら、くるりとこちらを振り向く。緑色の目がまっすぐ私の目を見つめていて、その眼力にちょっとたじろいだ。
彼女は一歩こちらに近付く。別に悪いことは何もしてないのに、その勢いにちょっと後ずさってしまう。でも、私が一歩後ろへ下がる間に、彼女はずいずいと距離を詰めて、私の目の前まで近付いていた。
何を言われるかどきどきしていると、彼女は大きな目を細めて、満面の笑みを浮かべた。
『ありがとう! 本当に助かったわ!』
そして、私の手を両手で握ると、嬉しそうにぶんぶんと振る。
『……あ、うん。どういたしまして』
『あなた英語上手だね! すごい! この辺に住んでるの? 私、最近この辺に引っ越してきたの。来週から学校にも通うんだけど同じ学校かな? あ、そうそうそれと』
トイレの洗面台の前で、彼女はそのままどんどん話し始める。その早口をひとまず制して、まずはトイレの外に出ることにした。
公園のベンチに場所を移して、彼女の話の続きを聞く。流暢な英語に、たどたどしい英語で必死に返事をする。彼女の早口は慌てていたせいというよりは、元々の気質みたいだ。
それでも、私が聞き取れていないと感じると、彼女は言葉を変えたり、ゆっくり話してくれたりしたので、何とか会話は成立していた。
彼女は少し前にこの近くに引っ越してきたらしい。家の場所を聞くと本当にご近所でびっくりした。
名前はコンスタンス。コニーと呼んでと言われたので、そう呼ばせてもらうことにした。
歳は私よりひとつ下。背も私より少し低くて、小柄で、とても可愛らしい女の子だった。
『日本語は勉強中なの。頑張っているんだけど、なかなか難しくて。ねえ、勉強に付き合ってくれない?』
『勿論! 私も英語を勉強中だから教えてほしいな』
そうやって、私とコニーは仲良くなった。英語でたくさん話した後は、日本語で話すことにしてみる。苦手だと言う割に、コニーの日本語はちゃんと通じていたので、会話をすることに障害はほぼ無かった。
『良かった! 早速友達が出来た! 嬉しいな! ありがとう!』
そう言って彼女は満面の笑みを浮かべる。私も釣られて同じように笑っていた。
こうして始まった私達の付き合いはいつの間にか家族ぐるみとなり、そしていつしか親友と呼べるものになっていたのだった。
+++
電車を降りて、乗り換え先のホームへ向かう。後ろから二番目の車両に乗れる位置に向かうと、そこにはペットボトルのコーラを美味しそうに飲む女性がいた。
『コニー!』
緑色の目がちらりとこちらを見て、私の姿を映す。そして彼女は手元のコーラを煽りながら、やあと片手を上げた。
かつては私より小さかったのに、その身長は日に日に伸びていき、いつの間にか私が見下ろされる側になっていた。手足は長く、その上、出るところはしっかり出ていて、羨ましい事この上無い。
金髪はやや茶色に寄ってきていた。少し傷んだ髪は頭の上でポニーテールにされていて、彼女の動きに合わせて落ち着きなく揺れる。
制服から伸びる長い手足は日に焼けている。白い肌の鼻元にはそばかすが浮いていたけれど、活発な彼女らしくてよく似合っていた。
彼女の日本語も随分流暢になり、日常会話は問題ないレベルになっていた。私達の会話も日本語のことが増えたけれど、それでも時々は英語の日を作っている。そのおかげか、私の英語も随分上達して、学校の授業は好成績を維持できていた。
小学校、中学校と私達は同じ道を進んだけれど、高校はそれぞれ別のところへ通うことになった。
流石に学校が違うと会う機会も減るだろうかと心配していたけれど、そんなことはなかった。週に何度かはこうして乗り換えの駅で待ち合わせて、ふたりで遊びに行くのがお決まりになっていた。
「スイミングに行くの、久しぶりだね」
「それがね、今日はママの友達が来て、色々お菓子を作ってくれるんだって。だから一緒にうちに行こう! スイミングは週末にしよう」
「うん、良いよ。お菓子楽しみ」
彼女は活発で、私を誘って様々なスポーツに勤しんでいた。
運動神経抜群なので、何をやっても上手にこなしてしまう。折角なので何か運動部に入ることを勧めたけれど、簡単に断られてしまった。何かひとつをじっくりやるよりは、色々なことをやりたいそうだ。
彼女がコーラを飲み切ると同時に、電車がやってくる。近くのゴミ箱に空のペットボトルを捨ててから、一緒に電車に乗り込んだ。
+++
最寄り駅について、ふたり並んで自宅へ向かう。
「お母さんがたまにはコニーを連れておいでって言ってるから、今度おいでよ」
「行く行く! おばさんに会いたいし、ご飯食べたい!」
喋りながら慣れた道を歩いていくと、あの公園の前に差し掛かった。
昔は夕方になると必ず誰かが遊んでいたのに、今となっては人がいる方が珍しい寂れた場所になっていた。私たちが初めて会った思い出の場所なので、こうなってしまうのは少し寂しいけれど、仕方ないのかもしれない。
「晩ご飯、先に言ってくれたらお母さんが好きな物作ってくれるよ」
「…………」
「コニー?」
「っ、え、あ、何?」
「だから、晩ご飯。リクエストがあるなら、先に言ってくれたらお母さんに伝えておくよ」
「ほんと!? 嬉しいな! 何にしようかな」
いつもお喋りな彼女が珍しく上の空で、少し驚いた。何かあったのかと思ったけれど、電車の中では普通に話をしていた。
どうしたんだろうと思いながら、いつものように公園を通り過ぎようとしたけれど、コニーが足を止めた。何故か公園の中を気にしているようで、ちらちらと目を向けている。
「どうしたの?」
聞いても返事はない。何かあるのかと思っても、中はいつもの通り無人だ。隣で首を傾げていると、彼女は肩に掛けていた鞄を慌ただしく私に押し付けた。
「ごめん! 持ってて!」
慌てて両手で鞄を受け取ると、その間に彼女は公園の中へ駆け込んでいく。呆気に取られながら離れていく背中を見つめていると、吸い込まれるように公園の隅にある建物へと走り込んでいった。
ああ、トイレに行きたかったのかとそこで初めて気が付いた。あと数分で家に着くのに、そこまで我慢できなかったらしい。
仕方ないなあと彼女の鞄を持って、私も公園の中へ入る。すぐ戻ってくるだろうし、ベンチに座っていようかなと思った瞬間、再びばたばたと慌ただしい足音が聞こえて、顔を上げた。
足音は彼女だ。つい先程飛び込んだトイレから入った時と同じように飛び出してくる。
急いで済ませたのかな。そんな気を使わなくていいのに。それにしても早いなと思っていると、彼女は険しい表情でずんずんとこちらに近付いてくる。そして、私の手を掴むと、再びトイレへと戻っていく。
「え、なになになに、どうしたの?」
聞いても返事はない。ただ私の手を引いて、ずんずんとトイレへと進んでいく。無理やり引っ張られたせいで、彼女の鞄を落としてしまう。それでも彼女は気にすることなく、トイレの中へと入っていった。
中は変わらず埃っぽいし、どことなく汚い。明かりは付いているけれど薄暗くて、昔より不気味さを増したように感じた。
彼女は何も言わずに、真っすぐ歩いていく。そうして私の手を引いたまま、一緒に個室へと入ってしまう。
なんだか初めて会った時を思い出す展開だ。その時をなぞるように、彼女は和式トイレを前に、そわそわと足踏みを繰り返していた。
『えーっと、使い方がわからない?』
『違うわよ馬鹿!』
あの時のように敢えて英語で言ってみると、間髪を置かずに言い返された。その間にも足踏みを繰り返していて、彼女のスカートとポニーテールが落ち着きなく揺れる。
『鍵! 掛からないから! 押さえてて!』
ずいと彼女の手が扉を指差す。内側に畳まれた扉を外へ向かって押すと、その裏に隠れていた鍵は留め具が半分外れて、ぶらぶらと揺れていた。
「ああ、そういう……」
扉を押さえて、外との壁を作る。やっと個室が個室として外から切り離されるのと同時に、足音が一層激しくなる。
「あっ、あっ、あぁっ、あっ……!」
短く荒い呼吸と共に、切なげな声が漏れる。かと思うと、がばっとスカートを持ち上げて、下着が勢いよく下ろして、両足がトイレを跨いで。
ぶしぃぃぃぃ! と激しい水音が響き渡った。
「あっ、は、あぁっ……!」
気持ちよさそうな溜め息と声がそれを追いかける。
大きく捲られたスカートからふっくらと大きく白いお尻が見えた。その向こう側で、激しく噴き出すおしっこが激しい音を鳴り響かせていた。
(う、わ……)
口の中でつい呟いていた。別に引いたわけではなく、ただただその勢いに圧倒されていた。
雨の予報が大雨になったような、ライスを頼んだら大盛で出てきたような、そんな驚き。扉を押さえながらぽかんと口が開いていた。
一緒にお風呂に入る仲ではあるけれど、流石に排泄を間近で見るのは初めて会ったとき以来だ。かつてを思い出すような激しい水音。体が成長した分、あの時よりすごいかもしれない。
その勢いはなかなか途切れない。どれだけ我慢していたのか、腹筋の浮いたそのお腹にどれだけ溜めていたのか。ただただ驚くしかない。
びっくりするくらいたっぷりとおしっこを出して、やっと彼女の排泄は止まった。
「はぁっ……」
気持ちよさそうな安堵の息を漏らしてから、ごそごそと彼女の体が動く。トイレットペーパーで拭いて、折っていた膝を伸ばして。下着を戻して、スカートを正して。
それから、私が言う必要もなく、彼女は前方のレバーをぎゅっと踏む。それで全部流れていった。
「はー、すっきり。いっぱい出た」
険しかった表情が、爽快感で満たされて緩んでいた。鼻歌を歌い出しそうな程にご機嫌で、私が扉を開けると軽い足取りで外へ出ていく。
「扉、押さえてくれてありがとう!」
「そんなに我慢してたの? 駅で行けばよかったのに」
「家まで我慢できると思ったの! あー、危なかった。けどすっきりした!」
手を洗いながら、彼女はにこにことご機嫌な様子で口を開く。
見られたことを恥ずかしいと思ったりはしないんだろうかと、見てしまった私の方が気にしてしまう。着替えで裸を見せるのとは訳が違うと思うんだけれど。
色々気にする私とは裏腹に、彼女は濡れた手をハンカチで拭う。それから、私を急かして外へと出る。
「さ、行こ! お菓子楽しみ!」
落とした彼女の鞄を拾って、ふたり並んで公園を出た。
彼女が気にしていない以上、私が気にし続けるのも変だ。私も頭を切り替えて、どんなお菓子が用意されているのか楽しみにすることにした。
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初出:2022年11月20日(pixiv・サイト同時掲載)
掲載:2022年11月20日