「君が漏らしたら、俺も漏らすから」

 このビルに良いカフェがあるから行こうと誘ったのは彼女。年季が入っているとは確かに言っていたけれど、辿り着いた先の建物は本当に古くて、大丈夫かと少し不安になった。
 さあ行こうと薄暗い階段へ向かった彼女を止めて、エレベーターに乗り込んだのは自分。4階まで階段で上がるのは流石に遠慮したかった。

 建物が古ければエレベーターもなかなかだ。扉の開閉すら鈍い音がしていて、本当に大丈夫なのかと再度不安になった。
「先輩、ちょっとくらいは歩かないと駄目ですよ」
「いやでも4階ならエレベーター使うだろ」
「今から甘い物食べるんですから、ちょっとでも動いて消費しておくんですよ」
 言いたいことはわかるけれど、それでも俺はエレベーターを使う。ぜいぜい言いながら階段を上った先で美味しい物を食べるよりは、エレベーターで優雅に行って優雅に食べたい。

 エレベーターはガタガタと嫌な音を立てている。まさか止まらないだろうなと心配になったのと、がたんと大きな音がしたのはほぼ同時だった。
 突然動きを止めた箱の中で転びそうになるのを踏み留まり、彼女と顔を見合わせる。
「大丈夫か?」
「は、い、大丈夫です。びっくりしたー……」
 困惑しながらも操作盤を二人であれこれ触ってみたが、どの階を押しても反応はなかった。

 恐る恐る緊急呼出ボタンを押すと、何とか管理会社と連絡を取ることが出来た。修理業者を向かわせるとのことで、ひとまず出来ることはやり切ったようだ。
 通話が切れて、箱の中はしんと静かになる。隣りにいる彼女と顔を見合わせて、互いに息を漏らした。
「これで少し待ってみるか」
「そうですね。ひとまず安心です」
 そう言って顔を伏せた彼女はやや顔色が悪く見えた。
 もしかして、このビルを目的地に選んだことを気にしているのだろうか。それを言うなら、階段をめんどくさがってエレベーターを選んだ俺にこそ責任があるだろう。

 気にしなくて良いと言おうとしたが、彼女は口を開く方が先だった。
「先輩、ちょっと困りごとが」
「どうした?」
 彼女は俯いたままだった。少し間を置いてから、小さな声で呟く。
「……トイレに行きたい」
 予想外の言葉に、返事もせずに彼女の方をまじまじと見てしまった。恥ずかしそうに俯いたままの様子に、不躾なことをしたと気付いて慌てて目を逸らした。

「大丈夫か?」
 咄嗟に出たのはそんな言葉。それも不躾な発言だったと言ってから気付いた。
「まだ大丈夫ですけど、はやく動いてほしいです」
「そう、だな」
 何か気の利いたことを言えたら良かったのだけれど、相槌を打つのがやっとだった。あまりじろじろ見るのは良くない。でも様子は気になるのでそっと視線を向けると、彼女は苦笑いを浮かべていた。

 +++

 少し時間が経ったけれど、特段変化はない。小さな箱の中は薄暗く静かで、互いの呼吸の音がよく聞こえた。
 大丈夫だろうか。彼女の様子が気になるけれど、流石に何度も聞くのが良くないのはわかる。
 様子を窺うと、彼女は隅っこで膝を抱えて座っていた。表情は普段よりやや険しく、短い髪の下で頬が赤く染まっている。よく見ると、立てた膝が小さく震えていることに気付いたけれど、何も言えなかった。

 すぐに修理の者を向かわせると言っていたけれど、まだ掛かるんだろうか。既に到着はしていて、作業を始めているのだろうか。気になっても、今この場所では確認することも出来ない。
 時間と共に、彼女はあからさまに落ち着きを無くしていた。膝は落ち着きなく揺れていて、時折、大きく身震いしている。
 大丈夫か、なんて冗談でも聞けなかった。その代わりに、はやく動いてくれと操作盤を見つめて祈っていた。

 狭い箱はとても静かで、彼女が小さく息を漏らす音さえ聞こえた。
 そっと様子を窺うと、顔を上げた彼女と目があった。まずいと思ったけれど、彼女の張り詰めた表情に目が反らせなかった。
「あ……、ごめんなさい、恥ずかしいところ見せて」
 あはは、と彼女は一瞬で表情を変える。笑顔を浮かべていたが、作り笑いなのは一目瞭然だった。

「いや、俺のことは気にしなくて良いから」
「ありがとうございます。まだ動かないかな。そろそろ厳しいのに」
 口調こそ軽いものの、表情は固かった。本当に厳しいのだろう、スカートをぎゅうと握った手が小刻みに震えているのが離れていてもわかる。
「俺は反対側見てるから、楽な体勢でいたら良い」
「ありがとございます……」
 見ていないことを伝えるために、わかりやすく背中を向ける。お礼の声には力が無かった。
 それでも音だけは聞こえてしまう。彼女の苦しそうな呼吸や体を動かしたときの衣擦れの音、吐息に混じって漏れる声に、余計に様子が気になったけれど、彼女の為にも絶対に振り向かなかった。

 大丈夫か。心の底から心配だった。我慢するしかないけれど、それにも限界がある。それに、あまり我慢しすぎるのは体に良くない。だからと言って、今ここで何か出来るのか。
 少しでも楽にしてやりたい。その一心で、言葉を探す。考えて考えて、1つ思いつく。流石にこれはどうなんだと躊躇う気持ちもあったけれど、思い切って彼女の名前を呼んだ。

 返事は無かったけれど、視線が向けられているのはわかった。一度息を吐いてから、思い切って言葉を口にした。
「マヤが漏らしたら、俺も漏らすから」
「え、っと…………『だから頑張れ』ってことですか?」
 彼女の声は震えていて、意図が上手く伝わらなかったことに気付いた。

「そ、そうじゃなくて」
 慌てて、つい後ろを振り向く。マヤは泣きそうな顔でこちらを見ていた。
 小さな手はスカートの中に入り込み、ぎゅうと指先に力が込められている。誰が見たって限界だとわかる仕草。それを取り繕う余裕もない。
 見ているだけでも辛い様子。でも、彼女はそれ以上に辛い状態なのだろう。

「お前だけに恥ずかしい思いさせない。体の方が大事だから、あんまり無理しないでほしい。無理な時は、一緒に恥ずかしい思いしよう」
 頑張って言葉を重ねる。それを聞いて彼女は黙り込んだ。
 上手く伝わっているかと不安になって、更に言葉を重ねようとしたけれど、彼女は泣き出しそうな顔をした後、ふにゃりと下手くそに笑った。

「先輩、かっこよすぎ」
「惚れ直すだろ」
「うん、惚れ直した惚れ直した。すごいかっこいい、大好き、最高ですね」
「……適当に言ってるだろ」
 そんな風に言いながらも、いつものような彼女の軽口に、少し安堵した。

 彼女は涙目を細めて笑った後、静かに俯いた。
「先輩」
「うん」
「もう、無理かも……」
 先程とは正反対の弱弱しい声が震えていた。俯き、体を丸め、箱の隅で小さくなった彼女は落ち着きなく。
「ああ、大丈夫だから」
 そう言うと、彼女も俺も黙り込む。

 しんと静かになったその瞬間、がこんと大きな音がして、箱全体が大きく揺れた。
 彼女は驚いて顔を上げる。俺は辺りを見回す。機械音は段々と大きくなり、箱はがたがたと揺れ続ける。その状況に、互いに顔を見合わせた。
「え、あ、動いた?」
「動いた! もうちょっとだ、頑張れマヤ!」
「が、頑張ります、けどっ、あっ、むり、でちゃ、ぅ……!」
「頑張れ、もうトイレに行けるから!」

 先程とは真反対に、頑張れ、あと少しだと励ましながら、エレベーターの扉と彼女を繰り返し見る。
 マヤはその場から立ち上がったものの、前屈みになって忙しなく足踏みを繰り返していた。片手は鞄を、反対の手はスカートの上から足の付け根をぎゅうぎゅうと押さえていた。子どものようなおしっこ我慢のポーズに、本当に限界ぎりぎりなのだと伝わってくる。
「だめ、もうむり、でちゃ、ぅ……」
「頑張れ、もうちょっとだからっ!」
 足踏みをばたばたと繰り返しながら、彼女はうわ言のようにぶつぶつ呟いている。力のない声だったが、それは紛れもない本音なのだろうことは痛い程わかった。

 がたんと箱が一際大きく揺れた。鈍い音と共に扉が開く。外から差し込む柔らかい光と、人の声。
 その声が何を言っているのか理解するより先に、こちらが口を開いていた。

「トイレはどこですか!」「トイレっ、どこ、ですかっ!」

 飛び出した俺の声と彼女の声が重なる。扉の向こうにいた人、おそらく修理の担当者はたじろぎながらも、向こうを指差した。

+++

 エレベーターが止まってしばらく経った。すぐに復旧すると思っていたけれど、なかなか動く様子はない。
 実は、ここに向かい始めた時には既にトイレに行きたかった。でも余裕はあったので、カフェに着いたら注文の後にトイレに行こうと思っていたのに。まさかこんなことになるなんて想像できなかった。

 先輩は壁際に立っていた。私は対角線の角に座り込む。膝を立てて、鞄を抱えるような状態。
 鞄の下でそっとお腹を撫でる。下の方が重くて、ぞわぞわと嫌な悪寒が時折走り抜ける。
 トイレ、行きたい。はやく動かないかな。ぞわぞわする感覚を誤魔化そうと、自然と膝を擦り合わせてしまう。先輩が背中を向けてくれているのがせめてもの救いだった。
 我慢、我慢。そうして考えていると余計に行きたくなる気もする。でも頭の中はトイレのことで自然といっぱいになってしまう。

 古いと思っていたけれど、まさかエレベーターが止まるなんて想像しなかった。階段で上がろうと言った私に対して、エレベーターを使おうと言った先輩。その背中をそっと見る。
 責任を感じていたらどうしよう。元はと言えば私がここのカフェに来たいと言ったせいだ。先輩のせいじゃない。でも優しい人だから気にしている気がする。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 トイレ、はやく、いきたい。体が自然と揺れる。膝を擦り合わせて、呼吸を繰り返して、頑張って我慢を続けるけれど、段々と辛さが増していく。
 まだ、かな。周りは静かなままで、まだエレベーターは動かない。何の音もしないから、自分の呼吸の音がよく聞こえる。
 ふうふうと荒くなる呼吸は先輩にも聞こえているのだろうか。そう思うと恥ずかしくて、出来るだけ息を潜めようとするけれど、余計に浅く荒くなってしまう。

 そっと先輩の背中に視線を向けると、ちょうど先輩が肩越しにこちらを見た。視線がぶつかって、どきっとして、咄嗟に笑顔を作った。
「あ……、ごめんなさい、恥ずかしいところ見せて」
「いや、俺のことは気にしなくて良いから」
「ありがとうございます。まだ動かないかな。そろそろ厳しいのに」
 先輩は優しい。場を和ませたくて笑ってみたけれど、乾いた笑いになってしまう。ほんの少し漏れ出た本音はちゃんと冗談に聞こえただろうか。

 お腹が重くて苦しい。両足の付け根、おしっこの出口がひくひく疼く。どうしよう、ほんとに、厳しい、かもしれない。
 だめ、我慢、我慢、我慢っ。震える手でスカートの裾をぎゅううっと握りしめて、必死に堪える。
「俺は反対側見てるから、楽な体勢でいたら良い」
「ありがとございます……」
 先輩は再び背中を向ける。視線が逸れた瞬間、ぶるりと体が震える。全身に悪寒が走り抜けて、お腹の奥がきゅうっと縮む。あ、あ、だめ、おしっこ、で、ちゃっ……。

 考えるより先に体が動いていた。スカートから手を離し、下着の上から出口をぎゅうと押さえる。
 物理的に塞ぐとほんの少し落ち着く。けれど、本当に僅か。お腹は重く大きく膨らんだままで、ひくひくと出口が疼くのは治まらない。

 トイレ、トイレトイレトイレ、はやくトイレ、おしっこしたいっ。他のことなんて考えられない。トイレ、トイレに行きたい、おしっこしたい。頭の中はそればかり。
 は、は、と呼吸が浅く短くなる。我慢、がまん、がまん。頭の中で繰り返して、子どもみたいにおしっこの出口を手でぎゅうぎゅう押さえる。恥ずかしい格好だけれど、こうしていないともう我慢できない。
 ふうふうと自分の呼吸の音が耳につく。お願い、はやく動いて。おしっこ、でちゃう。

 このままだとほんとに駄目。高まっていく尿意に、じりじりと追い詰められる。考えたくないのに、最悪の展開が頭に過ぎる。
 おもらし、しちゃったらどうしよう。汚いし、みっともないし、恥ずかしい。想像しただけで消えたくなる。
 それに、こんな狭い空間では隠れることもできないから、先輩に全部見られてしまう。優しい人だから面と向かっては何も言わないだろうけれど、幻滅されるかもしれない。嫌われたら、どうしよう。それが一番怖かった。

「マヤ」
 先輩が私の名前を呼ぶ。驚いて、咄嗟に返事をしたつもりだったけれど、喉がカラカラで声が上手く出なかった。先輩は変わらず壁を見たままで、向けられた背中をじっと見つめた。
「マヤが漏らしたら、俺も漏らすから」
 その言葉の意味がわからなくて、背中を見つめたまま固まった。

「え、っと…………『だから頑張れ』ってことですか?」
 俺に恥ずかしい思いをさせるな、と言っているのかと思った。けれど先輩はそうではないと否定して、肩越しにこちらを見た。
 一瞬、格好を取り繕うとしたけれど、もうそんな余裕はなくて、私はみっともない格好を彼に晒す。
 彼と視線が交わって、そこから逃げるように視線を落とした。震える自分の膝が目に入った。

「お前だけに恥ずかしい思いさせない。体の方が大事だから、あんまり無理しないでほしい。無理な時は、一緒に恥ずかしい思いしよう」
 その言葉に、目がじわっと熱くなった。顔を上げると、先輩は気まずそうに、でも優しく見ている。嬉しくて、自然と笑った。
「先輩、かっこよすぎ」
「惚れ直すだろ」
「惚れ直した惚れ直した。すごいかっこいい、大好き、最高ですね」
「適当言ってるだろ……」
 あはは、と今度は本当に笑えた。この人の、こういうところが大好きなんだ。

 ぞくぞくと全身に悪寒が走る。エレベーターはまだ動かない。
「先輩」
「ああ」
「もう、無理かも」
 言葉にすると認めてしまったも同然で、もう本当に無理だった。お腹の下、破裂しそうなほどに膨らんだ膀胱がきゅうっと縮んで、中身を押し出す。
 あ、あ、だめ、おしっこ、あ、あっ……。じわり、と熱いおしっこが出口から滲んで下着を濡らす。
「ああ、大丈夫だから」
 だめだと思うけれど、手でぎゅうっと押さえるけれど、もう本当に限界だった。

 先輩は何も言わない。私は何も言えない。は、は、と短く浅い呼吸をただ繰り返す。
 じゅわっと下着が熱く濡れる。その範囲は一気に広がる。あ、と小さく声が漏れた。

 それと同時に、がこんと大きな音がした。

 機械音は段々と大きくなり、小さな箱はがたがたと揺れ続ける。驚きで固まっていたけれど、すぐにふたりで顔を見合わせた。
「え、あ、動いた?」
「動いた! もうちょっとだ、頑張れマヤ!」
「が、頑張ります、けどっ、あっ、むり、でちゃ、ぅ……!」
「頑張れ、もうトイレに行けるから!」
 ここから出られる、トイレに行ける! その勢いで立ち上がったけれど、まだ扉は開かない。
 もう恥ずかしいなんて言っている余裕はなく、スカート越しに出口をぎゅうぎゅう押さえながら、じたばたと足踏みを繰り返していた。

 で、ちゃう、でちゃうでちゃう、おしっこ、もうむり、でちゃう、もれちゃう……! 我慢してるのに、おしっこがしたくてしたくてたまらない。
 我慢しすぎて、出口の感覚がない。はやく出したい、そればかりが全身を満たしている。

「だめ、もうむり、でちゃ、ぅ……」
「頑張れ、もうちょっとだからっ!」
 先輩のそんな励ましの言葉と同時に、指先がじわりと濡れる。そして、がたんと箱が大きく揺れた。
 鈍い音と共に、扉が開く。外から差し込む柔らかい自然の光と、人の声。
 その声が何を言っているのか理解するより先に、こちらが口を開いていた。

「トイレっ、どこですかっ!」「トイレはどこですか!」

 私の声と先輩の声が重なって、勢いよく飛び出していく。
 修理業者らしき人が指差した方向に、私はとにかく走り出した。

 +++

 でる、でるでるでる、おしっこでる、もうだめでちゃうっ……! 必死に足を動かす。奥の突き当たり付近に2つの入り口。
 奥の赤い色以外は目に入らない。何も考えず、考えられず、ただそこを目指すだけ。

 足が震える。もう立ち止まってしまいたい。出したい、おしっこ、出したくて出したくてたまらない。
 じゅう、と手が濡れる。太ももがじんわりと熱く濡れていく感触。何かが伝う。
 我慢してる、まだ我慢してるのに、もう、だめ、おしっこ、おしっこ、おしっこっ……! とにかく足を動かすけれど、膝が大きく震えていた。

「マヤ、すくそこだから、頑張れ!」
 先輩の声。ばたばたと荒い私の足音の他に、別の足音がすることにその時初めて気付いた。
 男子トイレを通り越す。すぐ隣が女子トイレ。片手でぎゅううっと出口を痛いほど押さえながら、中に飛び込んだ。

 足音が一つになる。もう訳もわからず、正面に見える個室へ向かう。
「あ、あ、あっ、や、ぁっ、だ、めぇっ……!」
 じゅう、とおしっこが吹き出す。手を濡らす。もう我慢できない。おしっこ、もうむり、でる、でちゃう、おしっこおしっこおしっこっ……!

 スカートの中に手を潜り込ませて、下着の上からぎゅうぎゅう押さえる。反対の手でスカートを手繰りながら、個室に飛び込んだ。
 狭い個室。目の前には待ち望んだ白い洋式便器。その瞬間、体は勝手に動く。じゅわっとおしっこが吹き出して、出口を、両足を熱く濡らす。

「っあ、あ、ぁっ……!」
 片手で鍵を締める。反対の手でスカートをたくし上げる。
 押さえを失った出口はもう感覚がなく、言うことも聞かず、熱いおしっこが溢れ出して下着を濡らしていく。タイルを踏みつける足音が響く。

 鍵が掛かる。理解するより先に、後ろ向きに動いて、トイレに座った。
 両手でスカートを託し上げるのが精一杯だった。

 じゅいいいい、と激しい水音が響き渡った。
「あ、あっ……!」
 おしっこ、おしっこ、で、てる。できた、おしっこ、できたぁっ……!
「あ、ああぁっ……」
 はー、はー、とただただ呼吸を繰り返す。自然と声が漏れていた。
 力がどこにも入らない。スカートを両手で持ち上げた体勢のまま、トイレに深く腰掛けて、ぼーっと宙を眺めていた。ただただ気持ちよくて、頭が真っ白だった。

 びちゃびちゃびちゃ! と水音が水たまりを叩く。お尻全体が熱く濡れていく。ストッキングの内側がじっとりと濡れていき、肌に張り付いていた。
 下着、履いたままだ。ストッキングも脱げてない。スカートを守るのがやっとだった。
 途中で脱ごうにもおしっこは止まらないし、体にも力が入らない。
「はあっ……」
 溜息に声が混じってしまう。誰か来たら、と考えたけれど、今の状態ではどうすることも出来なくて、ただお腹が落ち着くまでぼーっと座っているだけだった。

 +++

 不安になる程たっぷりと時間を掛けて、おしっこはやっと終わった。自分でも驚くくらい凄い量だった。我慢しすぎたのか、お腹も出口もどこか感覚が鈍い。
「はあぁ……」
 大きく息を吐いて、文字通り一息つく。荒れ狂う生理現象から解放されて、体も心も軽かった。

 ただその爽快さの片隅にあるじっとりした感覚が、否応なく現実に連れ戻す。
 履いたままの下着はびっしょりと濡れて重くなっていた。ストッキングも濡れて肌に張り付いている。
 着替えないといけない。伝線した時用にストッキングの予備はあるけれど、下着の替えはない。

 とりあえずストッキングを出そうとして、鞄を探す。まったく覚えていないけれど、いつの間にか膝の上で抱え込んでいた。ストッキングの予備を確認してから、どうしようかと考える。
 流石にノーパンでストッキングだけを履くのは抵抗がある。でも予備がない以上、替えを買いに行く間だけでも我慢して履こうか。コンビニか何かが近くに無かったかな。
 色々考えながら、手は自然と鞄からスマホを取り出していた。

 手元を見ると同時に、画面に通知が現れた。先輩からの『大丈夫か?』の端的なメッセージに、胸がじわりと温かくなる。
 甘えちゃおうかな。後で埋め合わせしたら許してくれるかな。お詫びに何か美味しいものをご馳走しよう。今日は流石に難しいけれど。

 一度深呼吸をしてから画面を操作する。そのまま端末を耳元に寄せると、呼び出し音がなるや否や、聞き慣れた声が聞こえてきた。
『マヤ! あ、えーっと、その、大丈夫、か?』
 しどろもどろしながらも気遣いの言葉があって、彼の優しさに胸が温かくなった。

「先輩、頼みがあるんですが、聞いてもらえますか?」
『あ、ああ。何?』
「コンビニで下着買ってきてもらえません?」
『え、と、それ、は……』
 先輩の反応に、私も黙り込んでしまいそうになる。電話では伝わらないとはわかっていたけれど、膝の上で手をぐっと握りしめてから、いつものように笑った。

「あはは、間に合いませんでした」
『だ、大丈夫か?』
「はい。でもパンツびちゃびちゃです。スカートは大丈夫なんで、下着だけ買ってきてほしいです」
 わかった、と言うと同時に電話が切れた。多分、ダッシュで買いに行ってくれているんだろう。文句や攻めるようなことは一つも言わず、気遣いしかない反応に、目の奥がつんとした。
 本当に優しい。そういうところが好きなんです。

 鞄を棚に置いて、濡れた下着とストッキングを脱ぐ。肌に張り付いたものを剥がすと、少しだけ体が軽くなったように感じる。
 ハンカチで濡れた足を拭いて、先輩の戻りを待つ。なんとなく、ぺたんとへこんだお腹を撫でた。

+++

 近くにコンビニがあって良かった。落ち着いていれば気を利かせてタオルやら何やら買ったのだろうけれど、その時は本当に慌てていて、女性ものの下着をひとつ掴むとそのままレジで会計を済ませた。後から思い返すと、なかなか度胸のあることをしてしまった。

 ビニール袋を片手に、できるだけ急いで戻ってきた。流石に中に入るわけにはいかないので、入り口のところで彼女に連絡を入れる。
 少しするとタイルを叩く足音が聞こえて、彼女がおずおずと姿を表した。いつものように笑っていたけれど、目が赤い。

「大丈夫か?」
「はい、すみません、買い物頼んじゃって」
 からっとした口調だったけれど、若干鼻声だった。本人が平気なふりをしているのにわざわざ触れるのも悪いと思い、何も言わずにコンビニの袋を手渡した。
「これくらい気にしなくて良いよ」
「ありがとうございます」
 ビニール袋を見ると、その向こうにある彼女のスカートについ視線が向く。短めのスカートの下には何も纏わない白い足が伸びている。
 生足ということはストッキングは既に脱いだのか。下着も、脱いだのだろうか。それなら、今、彼女のスカートの中は。

 まじまじと見ていたことに気付いて、はっとして視線を逸らした。当たり前だが彼女は気付いていて、俺と目が合うと、にまにまとした笑顔を浮かべた。
「中、見たいんですか?」
「い、いやっ、そうじゃなくて!」
「ご存知でしょうけれど、今、ノーパンなんですよ。こんな場所で見たいなんて、先輩、大胆」
「違う馬鹿! 早く着替えてこい!」
「はあーい」
 コンビニの袋を彼女に握らせると、その場で背中を向けた。彼女は小さく声を漏らして笑うと、そのまま足音を立てて離れていった。

 +++

 少しすると再び足音が聞こえて、彼女がひょっこりと姿を見せる。さっきまでの赤い目も落ち着いていた。
「お待たせしました。すみません、色々ありがとうございました」
「どういたしまして。……大丈夫か?」
「はい。すみません、ご迷惑をおかけしました」
 それから何となく顔を見合わせて、どちらからともなく「帰ろうか」と口にした。今からカフェに行く気力がないのはお互い様のようだった。

「先輩、うち寄っていきます?」
「じゃあ少し上がらせてもらおうかな」
「少しと言わずゆっくりしていってください。で、約束守ってください」
「約束?」
 何のことだろうと考えている間に、彼女は嬉しそうに口を開いた。
「私が漏らしたら先輩も漏らしてくれるんでしょう? だから見せてください」
「なっ!?」
 確かにあの時は、マヤが漏らしたら俺も一緒に漏らして、一緒に恥ずかしい思いをするつもりだった。勿論、冗談ではなく本気で。

 結果として彼女は間に合わなかった。それなら俺もあの発言を守るべきなのだろうか。いやでも、彼女は誰にも見られなかったんだから、恥ずかしい思いはしてないだろう。それなら、わざわざそんなことはしなくて良いんじゃないか。
 考えながら歩いていると、彼女が俺の腕を引く。はっとして顔を上げると、いつの間にか駅の側まで来ていた。かと思うと、そのまま駅前のコンビニへと俺を引っ張っていく。

「着替え買っていきましょうか」
「いやいやいや、何言ってるんだ!」
「あはは、冗談です。けど、コンビニは寄っていきましょう。うち、何もないんで」
 それなら別にこのコンビニに寄らなくても、彼女の家のそばで寄れば良いだろう。そう思っている内に彼女はどんどん店内に足を進めていく。
「私、あっち見てきますね」
「ああ、わかった」
 そう言って離れていく彼女は店の奥へと進んで、片隅にある扉へ入っていく。その様子に、彼女の言動の意味がやっとわかった。それならそうと言ってくれたら良いのに。

 彼女を待ちながら、店の中をぐるりと回る。先程ひとり飛び込んだときに見た下着やストッキングのコーナーが目に入り、自分のさっきの大胆な行動を思い出してしまい、頬が熱くなった。
 買い物は後で良いだろう。彼女が戻ってきたら、駅に向かおう。乗るのは、途中下車しやすいように各駅停車の方が良いだろうか。そんなことを考えていると、そばに駆け寄る足音が聞こえて、顔を上げた。

このサイト上にある画像・文章の複製・転載はご遠慮ください。
初出: 2021年11月3日(pixiv・サイト同時掲載) 掲載:2021年11月3日

7
成人済の時々物書きです。 スカ、女攻め萌え。BLよりはNLやGLが好きです。
18歳以上ですか? ここから先は、成人向けの特殊な趣向の小説(女の子、男の子のおもらし等)を掲載しています。