息が上がるのと同時にじわじわと込み上げてくるものを感じた。あと一周走れば終わり。足を動かし、ただ無心に前を目指すけれど、段々と意識がそれに支配されてくる。ぶるりと体が震えて、足がもつれ掛けた。
ああ、トイレ行きたい。長い練習の間、水分補給こそしたものの一度も用を足していないのだから、催すのも当然だ。火照った体の中、更に熱い塊がたぷんと揺れる。それでも足を進めた。終わったらまずトイレに行こう。ただ一心に足を動かした。
なんとか一周走り終えて、ラインを超える。そのまま数歩行き過ぎてから、両足が止まった。は、は、と息が上がる。汗が噴き出して、全身が濡れる。額から滴る汗を手で拭っていると、横からタオルが差し出された。
「はい、お疲れ様」
一つ年上のマネージャーからタオルを受け取って、首元を拭う。続いて差し出されたのはドリンクホルダーだ。正直、喉は乾いていた。走っている間に尿意は紛らわせられて、今は何ともなかった。だから、自然と手を伸ばして、いつものようにスポーツドリンクを一気に煽った。
冷たい液体が喉を滑り落ちて、胃へと落ちていく。汗で乾いた体内が一気に潤いを取り戻したように感じた。はあ、と息を吐いて、もう一口飲み込む。
やっと一息付けた気がした。瞬間、ぶるりと体が震えた。そうだ、トイレ。一度思い出すと、下腹部の塊は大きく固く張り詰めた気がした。早く行こうと足を向けかけた矢先、笛の音がグラウンドに響き渡った。
「集合だね。行こうか」
嘘だろ、と口の中で呟いた。顧問の元に向かう先輩の後ろに続いて仕方なく足を進める。火照っていた体は段々熱を失って、冷たくなっていく。その真ん中で熱い塊がたぷんと揺れるのがわかった。
どうしよう、トイレ。ダッシュで行ってしまおうかと思ったけれど、顧問は時間に厳しい人だ。我慢するしかない。ごくりと唾を飲みこんだ。
顧問の話は正直半分も頭に入ってなかった。トイレ、トイレ行きたい。早くトイレ。そわそわ体が揺れそうになるのをぐっと堪える。体の中では嫌な衝動がむず痒く暴れていた。解散の合図だけを耐え忍ぶ。
ハーフパンツの中で、汗で湿った下着がぴたりと張り付いている。ぶるり、と体が震えた。瞬間、大きな波が押し寄せて、熱い液体が一気に押し出されるのを感じる。まずい、だめ、絶対だめ。我慢、我慢我慢我慢っ。全身に力を入れて、溢れそうな雫を何とか押し留める。
右足に体重を掛けて、今度は左足。さり気なく足踏みを繰り返して、気を紛らわす。あとちょっとのはずだ。早くトイレ、トイレ、トイレっ。
「それでは解散。一年生は片付け」
顧問の不愛想な声に視界がぱあっと明るくなった。終わった。やっと終わった。トイレトイレトイレっ。
そのままの格好で駆け出そうとしたところで、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「おいおい、どこ行くんだよ」
「っ、え?」
「レギュラーはこの後ミーティングって言ってただろ。来週の大会の」
そんなこと完全に聞き逃していた。今からミーティングなんて。さっと血の気が引く。そうこうしている間にもレギュラーは部室へと吸い込まれるように集まっていく。待たせるわけにはいかない。両足が、全身が震えた。
嘘だろ。トイレ、行きたいのにっ……! ぎくしゃくした動きで部室に入り、パイプ椅子に腰かける。座った瞬間、下腹部で重い塊がずんと突き上げられたような気がした。
トイレ、トイレ、トイレ……おしっこっ……。叫びだしたくなる程の尿意にじわりと涙が浮かぶ。周りの雑談に入る事も出来ず、ただただ俯いていた。少しすると顧問が表れて、来週の予定確認を始めた。
はやく、はやくはやくはやくっ……。もう何でも良い。走る順番も距離もどうでも良い。だからお願いトイレ、おしっこっ……!
話なんて欠片も耳に入ってなかった。机の下で両足を擦り合わせて、必死に意識を紛らわせる。だめ、トイレ、トイレいきたい、おしっこ、おしっこでる、でるっ……! 我慢しないといけないのに、出すことしか考えられない。ショートパンツの内側で下腹部はぱんぱんに膨らんでいる。
こんなことならスポーツドリンクを飲むんじゃなかった。走る前にトイレに行っておくんだった。後悔ばかりが頭に浮かぶが、今となってはどうしようもない。おしっこ、おしっこ、おしっこっ……! 泣き出しそうになりながら、ただ空を眺めていた。
ぞわぞわと悪寒が纏わりつく。背中がぞくっとして、下腹部のぱんぱんの膀胱を刺激する。先端に向かって熱い液体が満たされていく感覚に思わず背筋が伸びた。あ、あ、だめ、おしっこ、おしっこ、おしっこっ……! 周りに皆がいるというのに、咄嗟に椅子の下でハーフパンツの前を握り締めた。ぎゅうと押さえた先端から熱い雫がじゅうと零れて、汗に濡れた下着を更に濡らす。や、ばい、といれ、おしっこ、おし、っこ……!
押さえると少し楽になったけれど、人前でそんな格好するわけにもいかない。震える手を離して、ハーフパンツの裾をぎゅっと握り締めた。はやく、おねがいはやく、トイレ行かせて、おしっこ、でる、おしっこ、おしっこぉっ……。
視界が滲む。おしっこがしたくてしたくてたまらない。もう何でもいい、トイレ、おしっこ、おしっこさせて、お願いおしっこっ……!
「それでは以上。体調管理には気を付けるように」
顧問の低い声がして、がたがたと椅子を引く音が聞こえた。一瞬反応が遅れる。皆が立ち上がって部室を出ていく姿が見えた。
……終わった? やっと、終わった。…………おしっこっ……! 泣き出しそうになりながら震える足で立上り、部室を飛び出した。
もうトイレまでは間に合わない。部室の裏でしてしまおう。人の流れに逆らって、薄暗い部室裏へ向かう。
ざくざくと一人分の足音が響き渡る。ある程度奥へ入って、辺りを見回す。もうここなら大丈夫かな。じっとしていられず、両足が地団太を踏む。おしっこ、おしっこ、おしっこっ。誰かに見つかったら。頭になかったわけじゃないけれど、それ以上におしっこが頭の中をいっぱいにしていて、余計なことは考えられなかった。
「あ、あ、あっ、だめっ……」
ハーフパンツと下着を一緒に握って降ろそうとした時だった。
「あれ、どうしたの?」
背後から声を掛けられて、飛び上がりそうな程驚いた。首だけで振り向くと、一つ年上のマネージャーがボール片手に小首を傾げていた。
全身が強張った。そしてその瞬間、我慢は限界を迎えていた。
「あ、あ、っ、あっ……!」
じゅわあっと熱いおしっこが広がる。咄嗟に両手でハーフパンツの上から股間を押さえる。けれどおしっこは一気に勢いを増して、布地を突き破って溢れ出した。
あ、あ、どうしよう、おしっこ、おしっこ、でてる、どうしようっ……! 目の前には異性の先輩。それなのに我慢に我慢を重ねたおしっこは全然止まらない。
先輩は目を丸くして立ち尽くしていた。辺りにじゅううううう、と僕のおしっこの音だけが響き渡る。冷えた両足が温かく濡れていく。ああ、すごい、出てるっ、おしっこっ……。限界を迎えたおしっこは気持ち良くて、両膝ががくがく震えた。
永遠にも思えたおしっこは徐々に弱まって、ぴちゃぴちゃと雫を零して終わった。ハーフパンツからはまだおしっこが滴って、足元の水溜まりに波紋を落としている。
……どうしよう、やっちゃった。間に合わなかった。おもらししちゃった。しかも異性の先輩の前で。最悪だ。どうしよう、どうしよう。じわりと涙が込み上げる。
先輩と僕は時間が止まったかのように向き合っていた。沈黙を破ったのは先輩だった。
「だ、大丈夫だよ。誰にも言わないから」
頷いて返事をすると、先輩は僕の方に手を伸ばした。
「ジャージ持ってるでしょ? 部室で着替えておいで。その間に洗ってきてあげるから」
おしっこと一緒に全部出てしまったかのように頭は空っぽで、今はただうなずくことしか出来なかった。
部室には幸運にも誰もいなかった。びちゃびちゃに濡れたハーフパンツと下着を脱いで、タオルで足を拭う。それからジャージのズボンを履いたところで、外からノックの音が響いた。
中から開けると、先輩が立っていた。貸して、の一言に、今脱いだハーフパンツと下着を手渡すと、彼女は足早に去っていった。
時間が経って冷静さが戻ってくる。最悪だ。おしっこ、漏らした。もう子供じゃないのに。我慢できなかった。パイプ椅子の上で膝を抱えて座る。ぐす、と鼻を啜っていると、今度はノックも無しに、部室の扉が開いた。
「はい、お待たせ。洗ってきたから、鞄に入れて持って帰ったら良いよ」
「……ありがとうございます」
「あんまり気にしないようにね。誰だって失敗はあるんだから」
「……はい」
それからしんと沈黙。先輩はぎこちなく笑うと、手を振った。
「じゃあ、また明日ね。ばいばい」
そう言って部室から出ていく。返事は出来なかった。それから部室で一人過ごしていたけれど、勢いをつけて立ち上がった。……帰ろう。いつまでも下着なしでいるのも落ち着かない。
鞄を取り出して、先輩が持ってきてくれたビニール袋を入れる。中身はハーフパンツと下着。そこでとんでもないことに気が付いた。下着を洗わせてしまった。付き合ってるわけでもないのに、しかも漏らした下着を洗わせるなんて。全身がかあっと熱くなる。
明日どんな顔をして会えばいいんだろう。鞄を肩に担ぎながらため息が漏れた。
初出:2026年9月7日(pixiv・サイト同時掲載)
掲載:2026年9月7日